第412話 ところで……君の名は?

 「で、他に気になることはあるか?俺が聞きたいのはとりあえず、いつごろから姿を見せるようになったかだけなんだが……」

 「あ、そしたら、うち、二つ聞きたいことがあるんやけど、ええ?」

 「ん?なんだ?」


 手を挙げたのはルサールカでも、涙目でお尻を摩っているヴォジャノーイでもなく鏡華だった。


 「うん、そしたら、一つ目なんやけど……この子がうちのこと怖がるのはどうしてなん?さき、後で教えてくれる言うてたやろ?」

 「ん、そう言えばそうだったな……」


 確かに双魔は鏡華に約束した。鏡華として双魔やイサベルに懐いているのに、自分は怖がられていることが気になるらしい。


 「鏡華の嬢ちゃんは怖がられてるのか?何でだろうなぁ?こんな顔してる俺も怖がらないのに、綺麗な嬢ちゃんは怖いのか?チビ助は」


 ヴォジャノーイは顎を撫でながら首を傾げた。隣のルサールカは噴き出しそうになるのを、口に手を当てて我慢している。


 「ん、まあ……別に鏡華個人が苦手っていうよりは魔力的な性質が原因だな」

 「魔力的な……性質……まさか……」


 双魔の考えをすぐに理解したのか鏡華は目を見開いた。


 「この子は樹の精霊だからな。自ずと土とか水を好む……イサベルはゴーレム使役術を扱う一族。ゴーレムの祖型は土人形だ。つまり、イサベルの魔力性質は土。だから、懐かれてるんだろう」

 「……確かに私の魔力性質は土だけれど……鏡華さんが怖がられてるってことは……」

 「……納得したわ。うちの魔力性質は少し特殊やけど、大枠で火……咎人に責め苦を与える地獄の炎……その子が樹なら……怖がって当然やね」

 「っ!うー……」


 鏡華が寂しげに言いながら、双魔の膝の上に目を遣ると、女の子は双魔のお腹に顔を押し付けて顔を隠してしまった。


 「……誰にも怖いものはあるさかい……仕方あらへんね」


 (…………ムスペルの火もかなり怖がってたしな……無理もないか……が、鏡華も……)


 「…………」


 鏡華は双魔の言葉で理解したはずだ。しかし、それでも割り切れない心はある。閻魔王の孫とは言え、今は一人の少女として現世にいるのだから。


 「……鏡華さん」


 寂しさを含んだ鏡華の微笑みにをイサベルは心配そうに見た。何と声を掛ければいいのか分からないのだろう。が、鏡華はすぐに気丈に笑った。今度の笑みは心からの、いつもの上品な笑顔だった。


 「でも、うちの魔力が怖いだけなら……きっと、うちがこの子に好いてもらえればそれで解決やからね。諦める必要もあらへん。双魔、一緒に方法考えて。うち、この子を懐かせて見せるさかい」

 「……ん、分かった。俺も大丈夫だと思う……この子もまだ色々知らないこともあるだろうからな」

 「……うー」


 吹っ切れた様子の鏡華を見て、双魔は身体の力が抜けた気がした。いつの間にか身体が強張っていたらしい。女の子を優しく撫でてやると、顔を押し付けたまま小さな唸り声が帰って来た。取り敢えずこの話はここまでだ。


 「んで?もう一つの聞きたいことってのは?」

 「ああ、そうそう……この子なんやけど、どうして双魔の部屋にいたん?ヴォジャノーイはんも、ルサールカはんも、ここからの出入りは自由にできるようになってるん?」

 「いいえ、ここから出るには双魔さんに出してもらうしかないわ。と言っても、私もこの人も、この箱庭の居心地がいいから外に出ようだなんて思わないけれど……欲しいものがあれば双魔さんが買ってきてくださるし……え?おチビちゃんは箱庭の外に出ていたの?」

 「は、はい……双魔君の部屋で一人で泣いていたとか……」

 「うむ、部屋にはこ奴しかいなかったぞ」

 「双魔、どういうことやろ?」

 「…………」


 確かに、鏡華が言ったことは双魔も気になっていた。この箱庭の主は双魔だ。この中に存在する者は強力な精霊であるヴォジャノーイとルサールカでさえ双魔の許可がなければ外に出ることは叶わない。女の子が自らの意志で箱庭の外へと出てきたとなると、増々謎が深まる。


 (…………やっぱり……ただデカい樹って訳でもなさそうだな……一応、本人にも聞いてみるか……)


 双魔は前を向いていた女の子の身体を抱えて半回転させると、女の子の顔を覗き込んでみた。


 「う?ぱぱー!」


 女の子の大きな緑色の瞳に双魔の顔が映っている。回されたのが何かの遊びだと思ったのか、女の子のご機嫌加減は増している。


 「……どうやって俺の部屋に来たんだ?」

 「うー?んー?んー………………ん!」


 女の子は双魔の質問の意味が分かったのか、首を左右に何度か振った。眉を寄せて眉間に可愛い皺が浮かぶ。そして、短い沈黙のあと、両手を大きく広げて双魔に抱きついた。


 「……これは……どういうことだ?」

 「え、双魔……分からへんの?」

 「……双魔君…………」

 「双魔さん……おチビちゃんの言いたいことなんて一つしかないと思うけれど……」


 何やら女性陣は分かっているようだが双魔にはピンとこない。小さな子どもの考えていることを理解するのは苦手だ。ちなみにヴォジャノーイも分かっていないようで、ポカンとしていた。


 「ソーマ」

 「ん?」

 「こ奴はソーマが大好きだから、ソーマに会いに来たのだぞ!難しいことは分からんがそれは我にも分かる!」


 ティルフィングは双魔をビシリと指差して得意げに言い放った。双魔は呆気に取られてしまったが、鏡華たちが頷いているのでティルフィングはズバリ女の子の気持ちを言い当てたらしい。


 「……俺のことが…………」

 「えへー」


 女の子の頭を撫でてやると、また、ぎゅっと抱きついてきた。じわりと温かいものが胸に染みた気がする。女の子が外に出てきた理屈などどうでもよく感じてきた。この温かい気持ちは、愛しさはティルフィングに感じたものと似ている。


 (…………まさか、これが父性ってやつか?)


 自分らしくないがそんなことを考えてしまった。それを自覚すると無性に恥ずかしくなってきた。親指でこめかみをグリグリ刺激して紛らわそうとする。が、皆は笑っている。誤魔化しきれていないらしい。


 「……ん、まあ、理屈は後で調べるからいいか……うん」


 独り言のように呟くとわざとらしく頷いて見せた。恥ずかしさが消えないのであまり突っ込まないで欲しいという意思表示だ。


 「ソーマ、ソーマ」

 「ん?……なんだ?」


 ティルフィングが無邪気に話を蒸し返さないか、少し心が強張ったが、出てきたのは全く違う話題だった。


 「いまさらだが、こ奴の名前は何というのだ?」

 「……名前」

 「確かにそうやね。この子の名前、聞いてへんわ」

 「……そう言えば……ヴォジャノーイさんとルサールカさんが呼んでいるのも……あだ名ですよね?」

 「あ?ああ、そうだ。ゲロロロロロ!名前なんて考えもしなかったな!ルサールカがチビって呼んでたからよ!」

 「まあ!貴方、私のせいにしないで頂戴!でも……この子の名前が分からないから、私もおチビちゃんって呼んでいたのだけれど…………」


 ヴォジャノーイとルサールカも双葉の女の子の名前は聞いていないらしい。全員の視線が双魔に集まった。が、双魔も自分にご機嫌で抱きついている女の子が巨樹の精霊であることは分かっていても名前は分からない。そもそも、あの樹が何の樹かも知らないのだ。


 「…………」

 「?ぱぱー?」


 双魔は女の子の両脇を抱えて、自分の膝の上に立たせた。女の子は頭の双葉をぴょこぴょこ揺らしながら不思議そうに双魔の顔を見つめている。


 「……お前さん、自分の名前、分かるか?」

 「…………???」


 双魔に聞かれた女の子は返事の代わりに首を傾げた。それに合わせて、ぴょこぴょこと揺れる双葉が「知らない」と代弁しているようだった。

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