第385話 パブ”Anna”へようこそ

 カランッ!カランッ!カランッ!


 天全が去ってしばらく後、”Anna”に再び来客を知らせるベルの音が鳴り響いた。扉が勢いよく開かれたのか今度はけたたましい音だ。


 白衣をひらひらと揺らしながら顔色の悪い女、常連客かつセオドアの友人であるハシーシュが店に足を踏み入れた。


 「よーっす……って……こりゃまたスゲー量だな……」


 気の抜けた声で店主に声を掛けた客は目の前の光景にポカンと口を開けた。


 肉料理、魚料理、ピザパイにスープやシチューがなみなみと入った鍋が数個、見たこともない大きさのサラダボウルに山盛りの野菜。数十人規模のパーティーのために用意したとしか思えない量の料理がテーブルの上に所狭しと並んでいる。


 「やあ、ハシーシュ。ちょっとそこの大皿を寄せてくれるかな?」

 「……なんだよ……この量は……」


 ハシーシュは両手に丸鶏のローストチキンを乗せた皿を持って厨房から出てきたセオドアを呆れた顔で見ながら、言われた通りにテーブル上にスペースを作った。


 「いいタイミングで来てくれたね、助かったよ」


 セオドアがにこやかにローストチキンを置くのを横目にハシーシュはカウンターの椅子を引いて腰を下ろした。


 「……何なんだよ……この量は……」

 「ハハハッ!双魔からたくさん食べる子がいるからって注文があってね」

 「……アイツらか」


 ハシーシュの脳裏に思い当たった二人の顔が浮かんだ。一人は無邪気な神話級遺物、もう一人は遺物科の頂点に君臨する無表情な槍使いだ。ついでに二人に挟まれて苦笑を浮かべる双魔の顔も浮かんできた。


 「君は引率かな?ハハハッ、しっかり先生らしいことをしているみたいで安心したよ」

 「うるへー……あん?なんだよ、これ……」


 ハシーシュがカウンターに肘をついて拗ねているといつの間にかカウンター内に戻ったセオドアがグラスを置いた。中には丸氷と琥珀色の液体が入っている。


 「さっきまでいた先客が君にってさ」

 「あん?……まあ、何だか知らねぇけど飲ませてくれるなら貰うよ……んっ……ぷはー!くー!効くなぁ!空きっ腹にスコッチ!」

 「……君はそうやって……いいウイスキーなんだからもう少し味わって欲しいな」

 グラスに入ったウイスキーを一気に煽り、上機嫌になったハシーシュをセオドアはチクリと刺した。

 「いいんだよ!客の飲み方にケチつけようってのか?」

 「ハハハッ……それもそうだ、悪かったよ。ところで双魔たちは?」

 「あん?ああ、さっき学園の前に集合したっつってたからもう来るんじゃねぇの?……あ、これもう一杯」

 「そうか……」


 カンッ!と音を立ててカウンターに置かれたグラスにセオドアがウイスキーを注いでいた時だった。


 カランッカランッ!


 扉のベルが今日三度目の来客を知らせる。


 「悪い、マスター……少し遅れた……って、もう飲んでるのか……」

 「んっ……ぷはー……先にやってるぜ、双魔」


 双魔は開口一番、セオドアに遅刻の謝罪をすると共に先客に呆れた顔を向けた。


 「ハハハッ、構わないよ。料理はもう幾つか出来上がっているから冷めないうちに食べてくれると嬉しいな」

 「む、いい匂いだな!おおー!ごちそうだ!」


 双魔の背後から銀色の髪が美しい少女がひょっこりと顔を出して目を輝かせる。おそらくこの子が双魔の契約遺物なのだろう。金色の瞳と左右一房ずつ色が違う髪が目を引いた。


 二人に連なって懐かしい白を基調とした制服を着た少年少女が姿を現す。一人だけ私服の子がいるのは遺物科ではなく魔術科の所属なのだろう。


 黒髪の大人びた少女、ブラウスにパンツスタイルと動きやすさを重視した紫黒色の髪の真面目そうな少女。


 「こんにちはー……スンスン……いい匂い……お腹空いた」

 「わー、久しぶりだなー!ここやっぱりいい店だよ!」


 それに続いてこちらは既に顔見知りのロザリンと何度か双魔と一緒に店に来た覚えがある金髪の少年、名前はアッシュと言ったはずだ。それに紫色の短髪に眼鏡をかけた筋骨隆々の身長二メートルに届くのではないかという青年が店に足を入ってきた。どうやらこれで最後のようだ。


 全員が店の中に入ると最初に入ってきた黒髪の少女がススッと歩み出た。


 「初めまして、六道鏡華言います。いつも双魔がお世話になって、うちもお世話になると思いますのでよろしゅうお願いします」


 六道鏡華、そう名乗った少女は両手を前で合わせてセオドアに深々と頭を下げた。


 セオドアは少女の名前、容姿、纏う雰囲気にすぐに察しがついた。


 「なるほど、初めまして。君が双魔の婚約者さんかな?ハハハッ!双魔が言っていた通り美人さんだね」

 「ほほほ!おおきに。これからはうちもお邪魔させていただきます」

 「ああ、よろしくね。そちらは……」

 「……あっ!はっ、初めまして!私はイサベル=イブン=ガビロールと申します!よろしくお願いします!」


 セオドアに視線を向けられた紫黒色の髪の少女はイサベルと名乗った。こちらもすぐに察しがつく。


 (……ああ、この子が双魔の二人目の恋人さんか……鏡華ちゃんといい、ロザリンちゃんといい下手をすると天全よりモテるかもね)


 「双魔から聞いているよ。君も美人さんだ、双魔が羨ましいよ。よろしくね、お嬢さん」

 「あっ、そのっ、はいっ!よろしくお願いします!」


 イサベルは両手をワタワタさせながら何度も頷いて見せる。


 「こんにちは」

 「やあ、ロザリンちゃん、今日はお腹一杯にしていってね」

 「うんうん、マスター。えーと、こっちがアッシュ君で、こっちがフェルゼン」


 ロザリンがアッシュとフェルゼンを指さして紹介してくれた。


 「お久しぶりです!僕のこと覚えてますか?」

 「ああ、勿論さ。アッシュ君。そちらの君は初めましてかだね」

 「はい!自分はフェルゼン=マック=ロイといいます!どうぞよろしく!」


 フェルゼンと名乗ったガタイのいい青年のにこやかな挨拶は好感の持てるものだった。


 「マック=ロイというと……カラドボルグの……」

 「はい!ロザリンとは同郷です!」

 「ハハハッ!ケルトの大英雄の末裔が二人も来てくれるなんて光栄だよ!何度か名乗っているけど私はセオドア、この店の店主だ。好きに呼んでくれていい。みんな双魔の友達だ、来てくれればサービスするから、贔屓にしてくれると嬉しいよ」

 「「「「はい!」」」」

 「……お腹減ったね?」


 ぐー…………


 セオドアが最後にまとめると皆、笑顔で頷いた。ロザリンだけが料理の方を向いて腹の虫を鳴かせている。


 「それじゃあ、みんな好きな席に座ってね。飲み物は……そうだな……取り敢えずジュースを何種類すればいいかな?」

 「ん、それで大丈夫だ。皆、座っててくれ……マスター、ちょっと」


 セオドアに促され鏡華たちが各々思い思いの席に座っていく中、双魔がテーブルではなくカウンターの方に寄ってきた。


 「うん?どうしたんだい?」

 「いや、その、だな……」


 双魔はこめかみをグリグリとしながらチラリと自分の斜め下辺りに視線をやった。するとそこには顔を三分の一ほど覗かせてこちらを見上げている少女の顔があった。


 「ああ、なるほど……」

 「っ!……」


 セオドアが双魔の言わんとすることを察し、少女の方を見ようとした瞬間、視線を感じたのか双魔の契約遺物はサッと後ろに隠れてしまった。綺麗な銀髪だけが双魔の腰辺りから見えている。


 「……ティルフィング、大丈夫だ。マスターは悪い人じゃない……ティルフィング?」

 「…………」


 双魔が何とかセオドアに紹介しようとしているがティルフィングと呼ばれた遺物は一向に双魔の後ろから出てくる気配はない。


 「うーん、警戒されてしまっているみたいだね?」


 (……僕の正体を何となく感じ取っているんだろうな……警戒されるのも無理はないか……)


 「……双魔……」


 「別に無理をさせることはない」、そう言おうとした時だった。双魔は何か思いついたのか、渋い表情が悪戯っぽい笑みに変わった。


 「ティルフィング、そこの料理は全部この人が作ったんだぞ?」

 「む?……本当か?」


 双魔の言葉にティルフィングが再び顔を三分の一ほど覗かせた。美しい黄金の瞳に浮かんでいた警戒の色が薄まり、好奇心が強まっている。


 「ああ、本当だ。マスターのプティングは美味いぞ?」

 「……プティング?」

 「ん、プリンのことだ」

 「……プリン……美味なプリン…………」


 プリンに釣られたのか銀髪の少女はひょっこりと双魔の後ろから顔を出した。ジーッとセオドアを見ているが警戒心はもうほとんどなく興味津々と言った様子だ。


 「…………」


 一度双魔の顔を見ると「今だ!」と言わんばかりに目配せをしていた。こんな双魔は珍しい。思わず声を出して笑いそうになってしまうが何とか堪えて、改めてティルフィングに微笑みかける。


 「初めまして、可愛らしい剣のお嬢さん。私はセオドア、呼び難ければマスターでもいいよ。双魔のパートナーとは私も仲良くしたいんだ?どうかな?」

 「…………むぅ……」


 警戒心はもうほとんどないないはずだが、人見知りなのかまた三分の一ほど顔が隠れてしまった。しかし、もうひと押しと言ったところだ。


 「……そうだな……私と仲良くしてくれればお嬢さんが好きな料理を何でも作ってあげよう!私も双魔は君が喜んでいるのが好きなはず、私もお客さんに喜んでもらえれば嬉しい!プティングと言わず、パフェでもクレープでも好きなものを言うといいよ?」

 「……ティルフィング、な?」


 ダメ押しと言わんばかりに双魔が屈んでティルフィングと視線を合わせて頭を撫でた。それが最後の決まり手だったのだろう。双魔が立ち上がるのに合わせてティルフィングはセオドアに対峙した。


 「ハハハッ、やっと顔を見せてくれたね?お嬢さん」

 「……う、うむ!我が名はティルフィング!双魔の剣だ!マスターとやら……好きに……呼んでもよいぞ……」


 意を決したものの恥ずかしさは残っているようで最初は腰に手を当てて胸を張っていたティルフィングだったが、言葉はどんどん尻すぼみになり、最後に身体を後ろに向けて双魔に抱きついてしまうのだった。


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