第384話 昼下がりの来客

 ウエストミンスター寺院近くの裏路地を抜けた角にある地元で人気のパブ”Anna”。その味のある木製看板の下に二人連れの男性が訪れていた。二人ともビジネスマンと言った風体で一人は小太りの中年、もう一人はガタイのいいエネルギッシュな青年だ。


 「ここですか!?シェパーズパイが絶品っていう店は!」

 「ああ、ここのマスターは料理上手でな!その上、男前と来た!サービスもいいし実にいい店なんだが……」

 「……やってないですね?」


 期待に胸を膨らませてきた二人組だったが、店の扉には”Close”の木札が掛かっていた。店内に人はいるようだが照明が全てついていない。


 「おかしいな……今日は定休日じゃないはずなんだが……すまんなぁ……」

 「仕方ないですよ!休みなんですから……また今度連れてきてくださいね!」

 「……そうだな、必ず連れてきてやるさ!それじゃあ、今日は別の店で食べよう!」

 「そうしましょう!」


 二人組は落ち込んだ様子を見せたが、すぐに気を取り直して仕事の英気を養うランチを取るべく去っていった。働く者にとって切り替えは重要だ。


 「…………」


 二人が去っていた数分後、また一人の男が店の前で足を止めた。


 グレーのチェスターコートを纏った長身の東洋人だ。短く切りそろえた黒髪と顎髭には僅かに白髪が混じっているがその顔はまだ若々しく整っている。


 それだけ見れば珍しくもない普通の人間なのだが、その眼が、只者でないことを語っていた。決して大きいというわけではないが鋭い光を宿した黒い瞳。見る者が見れば卒倒するほどの力を秘めている。


 「…………」


 カランッカランッ……


 長身の男は木札を見ても迷うことなく扉を押して店内に入っていく。来客を知らせる鈴に店の奥にあった人の気配がこちらに向かって来る。それと共に食欲を刺激するいい香りも漂ってきた。


 「お客さん、申し訳ないけど今日は……おや、天全てんぜんじゃないか。どうしたんだい?」


 カイゼル鬚の紳士、店の主であるセオドアは客の顔を見ると微笑みを浮かべた。


 「悪いな、休みだとは思わなかった」


 ”天全”と呼ばれた男は慣れた様子でカウンター席に腰を下ろした。


 この凄みのある男こそ、伏見天全。双魔の父であり、日本のみならず世界中から一目置かれる遺物使いである。


 セオドアとは妻であるシグリや同級生のハシーシュと共に昔からの友人で気の置けない間柄だ。ブリタニアを訪れた際は必ずこの店に顔を見せフラッと現れる。


 「ハハハッ!問題ないよ。今日は双魔が貸し切りにしたいって言うから休みにしてるだけさ」

 「……双魔が?」

 「ああ、何かの慰労会だって言っていたけど……何か知っているかい?」

 「……知らんな……が……」

 「うん?」

 「双魔の業にようやくひと段落着いたのは確かだ……我が息子ながら数奇な運命を持って生まれたものだと思う」

 「……そうか……まあ、君もシグリも分かっていて双魔が生まれてきたんだろうけどね。僕が言うことじゃないけれど、双魔は大丈夫さ。強い子だし、仲間にも恵まれている」

 「……フッ……そうだな……」


 天全の心中と双魔の状況を察したセオドアの気の利いた言葉に天全は硬い表情を崩した。


 「すぐに出るだろうけど、折角だ。何か飲んでいくかい?」

 「そうだな……いつものを頼む」

 「オールドパー十八年のミストだね。少し待ってくれ」


 注文を受けたセオドアはロックグラスを用意し、冷凍庫からロックアイスを取り出した。空いた方の手にナイフを持つと一瞬、その手がブレたように見える。そして、次の瞬間にはグラスは砕かれた氷で満たされていた。


 棚から高級感のある玉付きウイスキーボトルを手に取る栓を開ける。


 キュポンッ!と言う小気味のいい音共に仄かに甘い香りが鼻腔をくすぐった。


 トクトクトクトクトクッ……


 静かな店内にウイスキーが注がれる音だけが響いている。


 「どうぞ」

 「ああ、いただこう……んっ…………うん、美味いな」


 クラッシュアイスによって柔らかく、爽やかな口当たりとなったスコッチがするりと口に入る。口の中には芳醇なバニラの香りが広がり、実に華やかな味わいだ。年寄りにはよく生意気だと言われたものだが、天全は昔からこのウイスキーが好きだった。


 一流のバーテンダーは酒の味を操る。セオドアの作るこの一杯はさらに格別だ。天全の鋭い目付きが柔らかくなった。


 「……十八年……双魔も今年で十八になるのか……速いな、時の流れは」

 「……君がそんなことを言うなんてね、昔を思えば信じられないよ」

 「フッ、俺もそう思う……シグリに絆された」


 お互い笑みを浮かべる。グラスを回すと囃し立てるようにシャラリと氷が音を立てた。


 「ハハハッ!君たちは傍から見ればバランスが悪かったよ!つっけんどんな天全に天真爛漫なシグリがいつもくっついて歩いているんだからね……まあ、不思議と相思相愛なのはよく伝わって来たけどね」

 「…………」


 照れているのを誤魔化すかのように天全はグラスの中身を一気に煽った。氷が溶けて風味の変わったウイスキーが喉を一気に通り過ぎる。


 「……さて、俺はそろそろ行く……代金だ。受け取ってくれ」


 天全は立ち上がると懐から紙幣を数枚取り出し、カウンターの上にパサリと置いて踵を返した。


 「ああ、毎度……天全?うちはぼったくりはやってないよ」


 セオドアが紙幣を返そうとすると天全は振り返り、手を出して首を横に振った。


 「いいんだ。この後、双魔と一緒にあの酒飲みも来るだろう?アイツにはいつも双魔が世話になっているからな。それで好きなだけ飲ませてやってくれ。もし余ったら双魔と鏡華ちゃんたちに美味いものでも食わせてやってくれ」


 天全の言う”酒飲み”とは週に三日は必ず”Anna”を訪れる酒を浴びるように飲んではくだを巻き、最後は酔い潰れて自分の契約遺物に背負われて帰っていくブリタニア王立魔導学園のとある講師のことだ。


 「なるほどね、分かったよ。双魔に何か伝えておくことはあるかい?」

 「フッ、俺から双魔に言うことなんてシグリの機嫌を損ねた時くらいだ。特にないさ……それじゃあ、また来る」

 「ああ、待っているよ」


 セオドアに見送られ、天全はゆるりと出口へと歩いていく。そして、扉に手を掛けた時、ふと動きを止めた。


 「……セオドア、これはお前にも伝えておくべきだろうから言っておく」

 「…………何だい?」


 天全の雰囲気が遺物使いとしてのものに切り替わったのを感じ取ったセオドアもまた表情を真剣なものにし構えた。


 「……ジョージが、お前たちの王が言っていた………………」

 「っ!そんな……まさか…………」


 セオドアの顔から微かに血の気が引いた。目を大きく見開き、動くことができない。


 友の言葉はそれほどの衝撃を覚えるものであった。


 「……ジョージは自分で最後にするつもりだ。代替わりとその後にはお前の力も必要に違いない……俺も出来る限りのことはするつもりだ……お前も準備はしておけ……また近いうちにな」


 カランッ!カランッ!カランッ!


 扉のベルの音共に友は去っていった。一人残されたセオドアは思わず立ち尽くした。想定していなかったわけではないが天全の情報は少なからずセオドアに衝撃を与えた。


 (……早すぎる……いや、もう今さらそんなことを言っても仕方がない……ついに……来るのか…………)


 様々なことに考えを巡らすセオドアの表情は厳しかった。パブのマスターとしては決して見せない顔だった。


 …………ュー…………シュー…………シュー!


 拳に力が入ったその時だった。厨房から鍋が噴きこぼれる音が聞こえた。


 「しまった!おっと、そろそろ仕上げに入らないといけない時間だね!兎に角、今は双魔たちに楽しんでもらうことが大事だからね!」


 時計を見れば双魔との約束の時間が近づいていた。セオドアは自分に言い聞かせるように明るい声を出すと慌てた様子で店の奥へと消えていく。


 カランッ……


 グラスに残っていた大きな氷が鳴った。それはセオドアと天全の心情を汲みとったような悲し気な音色だった。

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