第375話 甦る蒼炎

 「……ソーマ……こやつと契約を結ぶのか?」


 ティルフィングが頬を不機嫌そうに頬を膨らませ双魔を睨んでいた。その様子は傍から見れば可愛らしいのだろうが双魔を疑うように見つめる黄金の瞳はジトーっと普段は絶対に見せない湿り気を帯びていた。


 「いや……別にレーヴァテインと契約を結ぶって訳じゃ……」

 「ダメだぞ!我は絶対に許さない!ソーマと契約していいのは我だけだ!」

 「ティルフィング……話を……」

 「ソーマの契約遺物は我がいるではないか!……ソーマは我だけでは……不満なのか?グスッ……」


 ティルフィングは双魔にひっしと抱きつき胸に顔を埋めた。ティルフィングのレーヴァテインへの反応から嫌がることは何となく予想が出来たのだがこんな反応は予想していなかった。


 双魔は面食らってしまったがすぐにティルフィングを抱きしめ返して優しく背中を撫でてやる。今まであまり感じることはなかったがティルフィングは双魔に対して並々ならぬ独占欲があったようだ。遺物と契約遺物の関係、少し考えてみれば当然のことだ。思い至らなかった不甲斐無さと泣きじゃくるティルフィングへと愛おしさで思わず笑みがこぼれ出てしまう。


 「……大丈夫だ。俺の契約遺物はティルフィングだけだからな」

 「……グスッ……スンッ……本当か?」


 背中を摩りながら頭を撫でてやるとティルフィングは恐る恐る顔を上げて双魔を見た。泣いたからなのか目が少し赤くなっていた。


 「ああ、魔力を分けるだけだ。敵対はしたがロキの話は聞いただろ?レーヴァテインはティルフィングの妹みたいな存在らしい。出来れば俺も助けてやりたい。いいか?」

 「……大体……突然妹などと……言われても……スンッ……我はそやつのことを知らない…………それに……スンッ……お姉様お姉様とやかましいし……とにかく我はレーヴァテインのことは好きではない……」

 「…………」


 双魔は鼻をすすりながらポツリポツリと話すティルフィングの背を摩り続けて言葉を受け止めていく。


 「……スンッ……好きではない……レーヴァテインのことは好きではないが…………ソーマのことは好きだ……だから……ソーマがそうしたいなら……スンッ……好きにすればいい」

 「……ん、ありがとさん……ティルフィング」

 「……うむ……我はいい子だからソーマの言うことは聞くのだ……その代わりレーヴァテインと仲良くするつもりはないぞ?」


 背中を摩るのを止めてティルフィングの華奢な身体を抱きしめる。ティルフィングは耳元で釘を刺してきた。何となくレーヴァテインがどうなるか予想できているようだ。勿論、双魔もティルフィングに無理を言うつもりはない。


 「……むふふ……ソーマ少し苦しいぞ……」

 「そうか?」

 「……お姫様の説得は済んだかな?」


 まだ少し拗ねているような気もするがこの調子なら大丈夫だろう。双魔が安心したと同時にロキから声を上げた。穏やかな笑みを浮かべたままこちらを見上げている。


 「ん、アンタの頼みを引き受ける。レーヴァテインは俺が責任を持って引き取る」

 「……フフフッ……君ならそう言ってくれると思ったよ。フォルセティもありがとう」

 『いいの。私も同じ思いだから……』

 「さて、それじゃあ双魔、気の変わらないうちにレーヴァに魔力を分け与えてやって欲しい」

 「それは良いが……どうすればいいんだ?」

 「ああ、まずは女神の姿になって欲しい。疲れていると思うけれど出来るかい?」

 「……ん、分かった……ちょっと待ってくれ……」


 頼まれてみたものの意識的にフォルセティの姿になろうとするのはこれが初めてだ。今まではいつの間にか姿が変わっていた。一度だけ阿弖流為と対峙した時に試みたがあの時とはもう感覚が違う。が、双魔も伊達に高位の魔術師をやっているわけではない。すぐに方法に思い当たった。


 「…………」


 両の瞼を閉じて己の身体を流れる魔力の流れを把握し、それから心臓を意識する。双魔の心臓は”神器アーク”、フォルセティのものだ。湧き出る神気を一気に身体中に巡らせる。


 銀の閃光が双魔を包み、弾けた。そこには気だるげな表情の女神が現れる。長く美しい自分の髪を撫でる。如何やら無事に転身できたようだ。


 「おおー……その姿のソーマ、綺麗だ……」


 ティルフィングが感心して声を上げた。


 「……ん、上手くいったな……それで?この後はどうすればいいんだ?」


 訊ねられたロキは一瞬呆けたがすぐに笑みを浮かべなおした。何か玩具を見つけた子供のような笑みに何となく双魔の中に嫌な予感が走った。


 「……ハハハッ……魔力を分けるって言っただろう?……君がさっきガビロール宗家の恋人にしたことと同じことをすればいい」

 「……………………ちょっと待て……アンタ、まさか…………」


 ロキの含み笑いを見て双魔の表情はピシリと固まった。白い肌が微かに朱を帯びる。


 「ほら、時間がないと言っただろう?早くして欲しいな。ああ、安心していいよ……今度はしっかり目を瞑っているからねっ!」


 ロキは双魔とイサベルのやり取りを覗いていたことを白状すると宣言通り両の瞼を閉じた。


 「……む?ソーマ、何を……むむっ?何だ目が見えなくなってしまったぞ?誰だ!?我の目を塞いでいるのは!?」


 ティルフィングが突然慌てふためきはじめたのでそちらを見るとフォルセティが両手でティルフィングの両目を塞いで目配せをした。そして、気を利かせてそのまま自分も目を閉じた。


 ここまで状況が揃ってしまってはやるしかない。そもそも双魔は既にロキと約束を交わした。神との約束を破れば碌なことにはならない。聖書に語られるアダムとイヴの楽園追放がいい例だ。


 『……双魔』

 『……双魔君』


 ふと、鏡華とイサベルの顔が脳裏に浮かんだ。が、その顔は悲しそうというよりも呆れを含んだ穏やかな笑みだった。


 (……鏡華、イサベル……すまん……)


 心の中で二人に謝りながら横たわったまま動くことのないレーヴァテインを優しく抱き上げた。


 繊細なガラス細工のような抱き心地はティルフィングとほとんど変わらない。ただ、熱い。炎を抱きかかえているかのように熱い。その点においてティルフィングとレーヴァテインは氷と炎、真逆とも言っていい力をその身に宿していた。


 「……フフフッ……恋人たちを思い出して躊躇っているのかい?大丈夫さ、それは人工呼吸のようなものだから。人命救助ならぬ遺物救助だ……ハハハッ!」

 「……アンタはちょっと黙っててくれ」

 「ソーマ!?今度は目が見えないぞ!何をしているのだ?」


 茶化すロキに思わず突っ込むとティルフィングも手をぶんぶんと振って今にも騒ぎはじめそうになっている。


 (ええい……ままよ!)


 双魔はレーヴァテインの唇に掛かった蒼髪を人差し指で避けると顔を近づけ、レーヴァテインの唇を奪った。


 女神と魔剣、共に形もよく柔らかな唇が重なり合った。意識のないレーヴァテインは何の反応も示さない。


 「……んっ……」


 双魔は口からレーヴァテインへと魔力を注ぐ。すると、レーヴァテインの傷口に灯っていた蒼炎が燃え盛りはじめた。


 「……?……んっ…………」


 まるで意識のないレーヴァテインが双魔の魔力を求めているかのように魔力はすさまじい勢いで吸い取られていく。それと共に蒼炎はより一層燃え盛る、そして、レーヴァテインの胸に開いた穴が徐々に塞がりはじめた。


 (……これは…………そういうことか)


 双魔は魔力を送りながらレーヴァテインに起こっていることを推測し、理解した。


 恐らく蒼炎はレーヴァテインの身体に残っていたロキの魔力を燃やしているのだ。それを壊れたレーヴァテインの修復に当てている。


 そんなことを考えているうちに胸の穴は完全に塞がった。次にレーヴァテインの全身が銀の光を帯びる。ロキの魔力が全て消費され双魔の魔力が行き渡っているのだろう。胸の穴が塞がったのと同じように顔や腕、脚の亀裂が消えていく。


 レーヴァテインの意思か、魔剣に備え付けられた遺物としての機能なのか魔力は容赦なく吸われていくが双魔はそれを拒むことはなく、惜しみなく魔力を分けあたえる。


 どれだけそうしていただろうか。長いかったような気もするし短かったような気もする。レーヴァテインの傷は全て癒え、全身が眩い銀閃を放ち、光が弾けた。


 魔力の流れもそれを合図に止まった。どうやら終わったようだ。蒼髪の少女は元の傷一つない美しい姿を取り戻していた。


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