第366話 斬鬼神滅

 ハシーシュは眼前の景色を見渡した。見渡す限りの荒野。その中心には神代の怪物。まさに血が騒ぐシチュエーションだった。


 首を左右に軽く振ってコキコキと骨を鳴らす。肩に担いでいた安綱をベルトのホルダーに装着しぶら下げると咥え煙草を軽く吸った。


 「さて……せっかくの戦場だ、教え子も見てるしな……蛇に分かるかどうか知らねぇが名乗りを上げとくとするか!すぅーーーーーーーーー…………」


 咥えていた煙草を左手で握りつぶし、思い切り息を吸い込んだ。そして、それを一気に爆発させる。


 「遠からん者は音に聞け!!近き者は目にも見よ!!是こそは聖王の血統、当代が聖剣使いの妹、円卓の異端、ハシーシュ=ペンドラゴン!!契りを結びしは日ノ本天下五剣が一、天鬼討滅の神刀、銘を童子切安綱!!神殺しの大蛇だか”界極毒巨蛇ミドガルズオルム”だか知らねぇが相手にとって不足無し!!いざ、推して参る!!」


 神風のような大音声が響き渡った。それを耳にした鏡華たちの胸には不思議と安心感が増した。一方の”界極毒巨蛇”は明らかに怯えを見せていた。


 これまで一度も怯えなど見せず無機質な眼でこちらを捉えていた大蛇が思わずと言った様子で僅かに身を引いて慄いたのだ。


 それを好機ととらえたハシーシュは疾走を開始する。双魔とティルフィングが残していた紅氷を足場に薄紫の剣気を後引き帯を作りながら”界極毒巨蛇”との距離を詰め、思い切り跳躍した。踏切の際に頑強な紅氷にひびが入り足を離した直後に砕け散った。


 一瞬にして接近した小さき強敵に”界極毒巨蛇”はその顎を大きく開いた。


 次の瞬間、口の端から漏れ出ていた猛毒の息吹がハシーシュ目掛けて噴射された。紫色の毒息は速さこそないもののねっとりと広範囲に拡散し、疾走するハシーシュの視界を縦横無尽に埋め尽くした。


 「……?ッ!!?グギャッ!……ガッ……ゴフッ…………」

 「ギャッ!ガッ……」

 「カッ…………カッ………………」


 まばらに残っていた”黄昏のラグナロク・残滓リズィジュアム”の魔獣たちが”界極毒巨蛇”の毒息に触れた瞬間、体の至る個所から血を噴き出して絶命した。


 「ありゃあ、流石に厄介か?」

 『ええ、避けた方が良いかと』


 ハシーシュの問いに安綱は答えたが二人はすでに空中だ。それに逃げ場もない。絶体絶命、そう思われたがハシーシュは慌てることなく、左手で腰に提げた安綱の鞘を掴み、僅かに外側へと傾ける。右手は安綱の柄に手を遣り、迫る毒の息吹に一瞬目を細める。


 次の瞬間、尻鞘に収められた安綱とハシーシュの右手が微かにぶれて見えた。


 「童子切・霞掃い」


 バシュゥゥゥゥーーーーーーーーー!


 何が起きたのか、ハシーシュが何をしたのかは一切目には映らなかった。しかし、ハシーシュの呟きと同時に戦場の中央をほとんど埋め尽くさんばかりだった”界極毒巨蛇”の毒の息吹がまるで斬り裂かれたように霧散し、消滅した。

 

 「!!!!!」


 ”界極毒巨蛇”にまたもや戦慄が走った。目の前の小さき者に自分が勝てる光景がこの時点で一切失われた。そして、それは正しかった。


 猛毒の壁を消し去った神刀使いが迫っていた。右手は腰の太刀に手に置いている。全身に不気味なほどの静謐と研ぎ澄まされた薄紫の剣気を纏った遺物使いの姿があった。


 それが一時、未だ発展途上とはいえ三人もの神話級遺物とその契約者を圧倒した強壮なる”界極毒巨蛇”が最後に目にした光景だった。


 「わざわざ復活してご苦労だったな、お前さんはこれで終わりだ……シッ!!!」


 ハシーシュは短く息を吐くと共に裂帛の気合を以って稲妻の如く安綱を閃かせた。


 鞘から解き放たれた童子切安綱は小乱れ刃紋、長さ三尺の美しき太刀が膨大な剣気を纏い空を裂くほどの斬撃を放った。


 「……………」


 攻撃されたはずの”界極毒巨蛇”は時が止まったかのように一切動かない。ハシーシュはそれを気だるげに見ながら安綱を鞘に納める。


 「童子切一閃・鬼ノ頸刈リ」


 刀身が納まりきる直前、鍔と鞘がぶつかり合いパチンッと小さな音が鳴った。


 その音が合図だったかのように”界極毒巨蛇”の首が下にずれていく。


 ズズズズズ……


 巨大な物を引きずるような重苦しい音共に大蛇の山と見違う首が落下する。


 「!!!!!!????」


 首を切断された後になって気づいたのか”界極毒巨蛇”は長い舌をだらりと口の外に出しながら無機質な眼をぎょろりと動かした。されど、事はすでに終わっている。


ズゥゥゥゥゥゥン!!!ビキビキビキッ!


 胴から切り離され重力に逆らうことのできない純粋な質量となった”界極毒巨蛇”の顎は凄まじい音と衝撃を生み出して地面に衝突した。小山が丸々一つ数百メートルの高さから降ってきたようなものだ。あまりの質量に地面にはクレーターが如き大穴と地割れが発生した。


 「さて……ん?」


 一仕事終えたハシーシュは地面に垂直落下しながら一息ついたところだったがあることに気づいた。


 ズッ……ズズズ………ズズッ………


 頭を失ったはずの身体がまだ動きを止めていないのだ。首の断面から滝のように赤紫の血が流れ出て荒野を染めていくがその血を垂れ流しながらも身体は動いているのだ。


 「チッ!流石化け物だな。心臓の針も潰さねぇと駄目か……」

 『主』

 「わぁってるよ!あの血にもなるべく触るなってんだろ!?ここから仕留める、それでいいな!?」

 『ええ』


 ハシーシュの乱暴な返事に安綱は穏やかに答えた。得てして毒を持つ怪物というものはその全身に毒を持っている。あの鮮血の滝は猛毒の滝でもあるのだ。


 ハシーシュはゆらりと安綱を鞘から引き抜いた。先ほどは一瞬しかその姿を見せなかった小乱れ刃紋の美しい刀身が蒼穹を映し出す。柄を両手で持って軽く息を吸った。全身を包む剣気を安綱の刃へと集中させる。細長く伸びたそれはさながら紫雲の槍のようだ。


 「………童子切一条・鬼ノ心喰ミぃぃぃぃぃ!!!」


 全身の筋肉と魔力、剣気を躍動させハシーシュは渾身の突きを放った。


 虚空に突き出された安綱の刀身から剣気の一矢が撃ち放たれた。膨大な剣気が濃縮された一条の光は音もなく飛び瞬く間もなく”界極毒巨蛇”の胴体、鎌首をもたげ持ち上がっている首と地面が触れるか触れないかの点を正確に突き貫いた。


 堅牢な鱗に風穴が空いた。ハシーシュの剣気による刺突は正確に”界極毒巨蛇”を撃ち貫いた。ハシーシュにとって狙撃手のような細やかな芸当は不得手だ。故に心臓ごと針を消滅させた。


 「!!!……………」


 心臓が剣気によって蒸発し消滅すると舌を動かしていた”界極毒巨蛇”の頭は最後に一度ピクリと動いてから目の光を失った。


 ロキの従えていた神殺しの怪物、”界極毒巨蛇”はこうしてその二度目の生を終えた。


 『お見事です』

 「あー、あー面倒だった」

 『相変わらず素直ではないですね』

 「ケッ!面倒だったのは本当だ!十分素直じゃねぇか!あん?」

 『フフフフッ……そう言うことにしておきましょうか………あとは双魔くんとティルフィング殿ですね?』

 「………ん………まあ………双魔なら大丈夫だ、絶対にな………それに死なれちまったらシグリに何を言われるか………」

 『………そうですね』


 見上げれば膨大な魔力、否、神気が壮絶にぶつかり合っていた。主の心中を察した安綱は静かに答える。双魔を見つめるハシーシュの瞳は僅かに揺れていた。

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