第365話 ロザリン、帰還

 「よいしょ……っと……ただいま」


 俊足を飛ばし、一足飛びに屋上まで戻ってきたロザリンは何事もなかったかのように普段通りひらひらと手を振って見せた。そして、一瞬全身が光に包まれ”我が名はクランの猛犬”の鎧が霧散した。


 『ヒッヒッヒ!戻ったぜ!こっちの戦況もよくなさそう……そんなこたぁないみたいだな?』


 いつもの軽口で緊迫した場を和ませようとしたゲイボルグだったが人と一振りが増えていることに気づくと口調が真剣になった。


 「ん、まあ、子守が仕事だからな。キュクレインもよくやったな、流石だ」


 手にした安綱で軽く肩を叩きながらハシーシュはゲイボルグに答えた。褒められたロザリンはこくんと一度頷いて応える。


 「ロザリンはん!無事でよかった!」


 思わず駆け寄った鏡華が両手で包み込むようにロザリンの手を取った。


 「うん、鏡華ちゃんの言った通りだったよ?偶然だったけど針を壊したら”神喰滅狼フェンリル”は動かなくなった」

 「せやったらよかった……ロザリンはん、その耳と尻尾は……」

 「うん?……あれ?」


 鏡華が手を離したのでロザリンは自分の頭とお尻に手をやってみた。するとどちらにもフワフワとした普段はない感触があった。どうやら真装を解除したにもかかわらず犬耳と尻尾が生えたままのようだ。


 「ゲイボルグ?」

 『ヒッヒッヒ!心配ねえよ!今回は今までよりも深い力を使ったからな、その名残だ。そのうち元に戻るさ!』

 「そっか、分かった……うーん、ちょっと落ち着かない感じだね」


 ロザリンはそう言うと尻尾をフリフリと振って見せた。三角の耳もピコピコと動いている。


 「それにしてもあんなのに喰われてよく平気だったな?」

 「うん、ゲイボルグと後輩君のおかげかな?」

 「双魔の?」


 ハシーシュの問いにロザリンは再びこくりと頷いた。


 「うん、”神喰滅狼”に飲み込まれた時に私は気を失って真装が解けちゃったんだけど、ゲイボルグが剣気で守ってくれたの」

 「あの卵みたいなやつか」

 「うん、おかげで栄養にされずに済んだ。食堂を通って胃袋まで行っちゃったから危なかった。その後すぐに起きたんだけど……力が出なくて…………」

 『真装は消費が激しいからな、ロザリンの場合すぐに腹の中が空になっちまう。腹が減ったロザリンは力が出ない』

 「…………うちとイサベルはんのお弁当あないに食べたのに?」

 『ま、ロザリンにとっちゃそんなもんさ』

 「それで?」

 「とりあえず出ようと思ったんだけど、力が出ないからどうしようかなぁ?と思ってたらゲイボルグを見てて思いついたの。剣気を毛玉に変えるくらいなら出来るかな?って。こんな風に」


 そう言ってロザリンはゲイボルグを軽く振ると”神喰滅狼”が吐き出していた深碧の毛玉がふわりと宙に現れた。


 「剣気で毛玉……そないな機転よくまあ……」

 「ゲイボルグのブラッシングは週に一回くらいやってるからね。そのまま毛玉を増やし続けたら出られるとは思ったけどお腹が減ってたからどうしようかなぁと思ってたら、後輩君にコレをもらったのを思い出して……」


 ロザリンはポケットをごそごそと探ると紙包みを取り出して中身を開いた。そこには何やら赤黒い干した実が入っていた。


 「これは……なつめ?」

 「……なるほどな、双魔に貰ったんだな?コレは」

 「うん」

 「……双魔が持ってくる茶だの香だの、果物は魔力が含まれた特殊なのが多いからな……キュクレイン、お前不思議な力を感じたりしたか?」

 「うん、今まで感じたことがない感じの」

 「そうか……キュクレイン、これまでの殻を突き破ったと考えていい。お前は成長して新たな可能性の芽が出ている。その耳と尻尾もそのせいだ。なあ、ゲイボルグ?」

 『ヒッヒッヒ!そう言うこった!まったく双魔様様だぜ!』

 「……?」


 まだ強くなったという実感がわかないのか耳をピコピコ動かしながら首を傾げた。


 「それよりも、イサベルちゃんアッシュくんは大丈夫?」

 「ええ、応急処置は何とか終わったのでこのまま安静にしていればしばらくは大丈夫なはずです。気は失ってますけど……キュクレインさんは大丈夫ですか?怪我は……」

 「大丈夫、ありがとう。カラドボルグ、フェルゼンは?」

 「こっちも気を失ってるだけよー」

 「そっか。うんうん、ひとまず安心だね」


 ロザリンはホッとしたのか頭の耳がぺたりと後ろに倒れた。しかし。表情は相変わらずの無表情だ。


 (こっちの方が分かりやすいかも……)


 イサベルがロザリンを見ながらそんなことを考えた時だった。


 『………主』

 「ん、分かってる」

 「「「ッ!?」」」


 安綱が穏やかにハシーシュを呼んだ。直後、鏡華、ロザリン、イサベルに緊張が走った。ハシーシュに吹き飛ばされた”界極毒巨蛇ミドガルズオルム”がその規格外の巨体に相応しいゆったりとした動きで身体を起していた。無機質な瞳は怒りに燃え、口の両端からは見るからに毒々しい紫色の息吹が煙のように漏れ出ていた。


 三人は咄嗟に構えたがそれをハシーシュが片腕で遮った。


 「お前らは頑張った。十分にな、後は任せとけこれでもお前らの先生だからな」


 ハシーシュは教え子たちに八重歯を覗かせてニヤリと不敵に笑いかけた。そんなハシーシュを見て安堵したのか三人は構えを解いた。が、鏡華だけは一歩前に出た。


 「……先生、あの蛇を倒すには首を落とすか、心の臓に刺さってる小さい針を折る。それ以外にはあらしまへん」

 「……首か心臓の針……ん、分かった。六道、ありがとさん」


 ハシーシュは少し考えるように左手の親指で頬を掻くと頷いた。首を落とせばいいというのは分かりやすくていい。針と言うのは双魔が話していた死人を蘇らせるとかいうやつのことだろう。


 三人はハシーシュを真っ直ぐに見つめた。ハシーシュはそれで満足だった。身体を起こした”界極毒巨蛇”と同じようにゆったりと振り返る。


 「さぁて……随分うちの可愛い生徒たちを可愛がってくれたじゃねえか、死にぞこないのバケモンが……後悔するなら今のうちにしとくんだな!!」


 安綱の薄紫の剣気が燃え盛る炎のように噴き上がった。無造作に結わえた髪が解け、ざんばらとなる。オリーブグレージュの髪が白く染まり果てる。


 そこには学園一の怠惰講師ではなく白髪の斬鬼が神代の怪物など物ともせずに堂々と立っていた。

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