第344話 ロザリンの不覚

 双魔とティルフィングがロズールと黒いティルフィングとの一度目の衝突の少し前、戦場の端では巨大な白狼と小さな碧の影が凄まじい速さで駆け回り攻防を繰り広げていた。


 「グルルッ……バウッ!」

 「よいしょっ……うーん……全然隙がないね?」

 『褒めるわけじゃねぇが流石ってところだな』


 振るわれた鋭い爪による一撃を紙一重で躱しながら呟いた一言にゲイボルグが反応した。


 ”神喰滅狼フェンリル”に纏わりつきながら何とか隙を探そうという方針のロザリンとゲイボルグだったが当の神狼は一切の隙を見せることはなかった。


 自分よりも遥かに小さい上にちょこまかと動き回る獲物を視覚、聴覚、嗅覚でしっかりと捉えて寸断なく攻撃を加えてくる。


 そのせいでロザリンはほとんど攻め手に回れていなかった。更に状況は悪化する。


 「……ふぅ……ちょっと疲れてきちゃったかな?」

 『……大丈夫か?』

 「うーん……ちょっとまずいかも?っと……危ない危ない……」


 表情には浮かんでこないがロザリンの呼吸は微かに乱れはじめていた。この姿になってから既に十分以上経過した。”真装アレーティア”はかなりの魔力と体力を消費する本来は短期決戦の手段だ。今のように持続的に使うものではない。


 かと言って”真装”を解除してしまえば”神喰滅狼”の動きについていけず一瞬で食い殺されてしまうだろう。


 攻撃に回れず逃げ回るしかない、体力は減るばかり。ロザリンとゲイボルグは詰みの状況に片足を突っ込んでいた。


 「……どうしよっか?」


 追い込まれていることを改めて自覚することによってどうにか策を絞り出そう、ロザリンがそう思った時だった。


 『ロザリンはん!聞こえる?』

 「……鏡華ちゃん?」


 突然、脳内に直接学園を守っているはずの鏡華の声が響いてきた。


 「バウッ!」

 「危ないっ……鏡華ちゃんどうしたの?」


 フェンリルの攻撃をまた紙一重で躱しながら返事をした。そう言えば双魔が念話の魔術を施していたのをすっかり忘れていた。


 『こっちも色々あって知らせるんが遅なってしまってごめんな!”神喰滅狼”の弱点なんやけど……』


 如何やら鏡華は”神喰滅狼”の弱点を看破しているらしい。ロザリンはよく知らないが浄玻璃鏡の力を使ったのだろう。


 「……うん、うん……分かった。ありがとう鏡華ちゃん」

 『無理はせぇへんようにねっ!』

 『あの嬢ちゃんか!何だって!?』

 「弱点、心臓と胸の辺りだって。小さな針が刺さってるからそれを狙ってもいいみたいだけど……」

 『この状況じゃそいつは厳しいな!結局心臓狙って仕留めるしかないかっ!チキショウッ!』

 「…………一撃に全力込めてみようか?思い切って」

 『あん?そりゃあ……ってもうやる気かっ!?』


 ロザリンは心に決めたのか突然”神喰滅狼”に背を向けて走り出した。ゲイボルグは制止する暇も与えてもらえなかった。


 「……ワォォォォォォォォォン!!」


 ”神喰滅狼”はロザリンが逃亡したと捉えたのか遠吠えを上げるとすぐさま追ってきた。


 逃げるロザリン、追う”神喰滅狼”二者の距離は離れることはないと思われたが何と徐々に距離が生まれてきた。


 走ることにすべての力を集中させ碧の一矢となったロザリンの速さは神代の怪物を凌駕する兆しを見せたのだ。


 「…………っ…………」


 姿勢を低くして突き進むロザリンは一歩進めるごとに僅かに形のいい眉を歪めた。全身が軋むように痛む。残された道はつい数瞬前に自分で言ったように一撃に全てを込めるのみだった。


 (もうちょっと…………)


 あと少し、助走をつけることができればそこから跳躍し渾身の一撃を”神喰滅狼”に叩きつけられる。結果はどうなるか分からないが、街や人々を守るため、仲間を守るため、そして恩人である双魔の力になるためにロザリンが全てを捧げてでも為すべきことだった。


 『…………』


 ゲイボルグも覚悟を決めたロザリンを見守ることにしたのか何も言わない。


 「バウッ!バウッ!」


 頭から生えた三角の耳がぴくぴくと動き聞こえてくる”神喰滅狼”の方向から距離を読み取る。正にこれ以上ないというタイミングだった。自分と相手の速度、距離、予測される”解技デュミナス”の威力。この一瞬、ロザリンは勝利の運を全て引き寄せた……はずだった。


 「……今っ……ッ!!??」


 思い切り地面を蹴り、垂直に跳躍しようとした瞬間、足元が激しく揺れた。何か大きな力の余波を全身で感じ取る。踏み切った右足は不安定だった。体勢が僅かに崩れ跳躍は中途半端な高さまでしか上がらない。


 「何っ!?」


 驚きの余り思わず見下ろした地面には巨大な漆黒の刃のようなものが”黄昏の残滓”の怪物を巻き込んで鮮血にまみれながら突き立てられていた。


 「ガルルッ!バウッ!」

 「ッ!!?」


 その隙を見逃す”神喰滅狼”ではなかった。研ぎ澄まされた刃が如き牙が、開かれた巨大な顎が空中で無防備なロザリンに迫る。


 『おい!?ロザリ……』

 ゲイボルグの叫びも虚しく次の瞬間、神狼の口は閉じられた。虚空には微かに美しい若草色の髪が数本舞った。


 若く美しき深碧の女帝は神話に謳われる神々の王オーディーンの最後と同じく”神喰滅狼”に飲まれ、戦場からその姿を消した。


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