第345話 ”界極毒巨蛇”

 「ロザリンはんが……」


 ロザリンの様子を見ていた鏡華は絶句した。浄玻璃鏡の力を行使している証である紫色の瞳は確かにロザリンが”神喰滅狼フェンリル”に飲み込まれる姿を鮮明に映したのだ。


 脚の力が一瞬抜けかけてふらついたが何とか踏みとどまる。ロザリンがどうなったかはすぐにでも確認したいがそうする訳にもいかない。危機はこちらにも迫っているのだ。


 「来るぞぉぉぉぉーーー!」


 フェルゼンの叫び声が耳を叩いた。目の前には既に”界極毒巨蛇ミドガルズオルム”の圧倒的な巨体が迫っている。


 首無しの巨人を五体ほど平らげた”界極毒巨蛇”は満足したのか舌をチロチロと覗かせて進撃を開始した。


 動きは緩慢だが”界極毒巨蛇”の身体は兎にも角にも巨大だ。恐らく頭だけで今鏡華たちが立っている建物と同じ大きさだ。そんなサイズの大蛇が動きはじめるとどうなるか。


 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…………


 戦場に地鳴りが走る。建物も細かく震えている。地面を這って進む”界極毒巨蛇”は一分と経たないうちに戦場の半分のところまで来ると動きを止めた。


 ”界極毒巨蛇”の目の前にはティルフィングの剣気による紅氷の柵が張ってある。かなり鋭利な氷の槍だ。躊躇しているのだろうか。


 「…………」


 と思いきやすぐに前進を再開した。紅氷はかなりの硬度を誇るはずだが”界極毒巨蛇”の重量には耐えられないのかガラガラと崩れていく。


 紅氷を押し潰すと同時にその周辺の獣や兵士たちも次々と押し潰され血を噴き出しながら地面に張りつくように死んでいく。


 「来るな…………カラドボルグっ!全力だ!!!」

 『ええ!!』


 双魔とティルフィングの馬防柵が越えられれば次の防衛線はカラドボルグの剣気による重力網だ。フェルゼンは迫り来る神話の怪物を食い止めんとカラドボルグを正眼に構えて力を爆発させる。


 虹色の重力網は輝きを増しまるでオーロラの如く太い帯状となり”界極毒巨蛇”を迎え撃つ。


 重力に耐えられず果てた”黄昏の残滓”の小竜や獣たちの死骸が平たく、平たくなっていきやがて地面にめり込んでいく。全てを圧し潰す濃縮重力の帯。これであれば山ほどの大きさの”界極毒巨蛇”であっても足を止めるに違いない。


 「フェルゼンっ!凄いよっ!僕らも頑張らなくっちゃ!」

 『アッシュ、タイミングをよく見ないと駄目よ。力の解放は衝突の直前、いいわね?』

 「……うんっ!分かってる!」


 仲間の勇姿に守備の要であるアッシュも鼓舞される。


 「……鏡華さん、私は細かい敵の方に集中します。適材適所ですから」

 「……せやね、油断大敵やから、任せるわ」

 「はいっ!」


 イサベルは自立駆動になっていたゴーレムたちのコントロールを自分に戻し、さらに戦力を増員させて敵が入り込む余地がある細かいルートを埋めていく。


 (……この状況、ロザリンはんの状況を把握してるのはうちだけ……胸にしまって置くほかないわ……双魔……)

 『……主…………心を……研ぎ澄ま……せ……』

 「……玻璃……おおきに、落ち着いたわ。いざとなったら、奥の手出すほかあらへんね」

 『……心……得た……』


 逼迫した状況に焼きつくように熱くなった頭が浄玻璃鏡の一言でスーッと冷めていった。この状況では打つのに早すぎるが鏡華にも打つ手は残されている。まずは状況を正確に見定めるのが自分の役目だと言い聞かせる。


 双魔のことも心配だが双魔は鏡華に「任せる」と言ったのだ。愛しい人の帰る場所を守らずして何が許嫁か。


 心は奮起しつつ、頭脳は冷静に。それが重要だ。視線を”界極毒巨蛇”に定め直し身体から力を抜いた。


 「……ん?」


 しかし、冷静になって見据えた”界極毒巨蛇”は再び動きを止めていた。眩い光を放つ虹色の壁の前で無機質な両の眼でカラドボルグの重力帯を見つめている。


 「…………」


 その異質な行動にフェルゼンとアッシュは眉をひそめた。”界極毒巨蛇”に不自然さを感じ心の底が不安で焦がされるような感覚に襲われた。次の瞬間だった。


 「シャーッ!!」


 それまで前進するだけで静かだった”界極毒巨蛇”が突然尻尾から警戒音を響かせて俊敏に身をくねらせた。


 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!!


 先ほどよりも激しい地鳴りが発生する。”界極毒巨蛇”の頭が正面ではなく右へ動く。そして、数瞬もしないうちに左側から現れる。


 「あかんっ!」


 浄玻璃鏡は未来を見ることは出来ない。しかし、”界極毒巨蛇”の動きからどのような状況陥るかは瞬時に予測できた。


 「くっ!”虹輝くセブンカラー斥力グラビティ天降フォール()”!!……ぐっ…………グググググ……お、抑え……きれな……いっ!」

 『フェルゼン!気張って』

 「……ぜっ、全力っ……だっ!止まれっ!止まれっ!」


 フェルゼンは一度前方に展開していた”虹輝くセブンカラー斥力グラビティ帯網メッシュ”を解除すると新たな解技を発動する。虹色の剣気を上方から落とし、”界極毒巨蛇”の動きを止めようと試みるが余りの質量に止めることは叶わない。


 フェルゼンは全力を尽くしている証左か、腕と額の血管が切れて血が滴り落ちはじめていた。


 神話級遺物による妨害など物ともしない”界極毒巨蛇”の巨大な胴がアイギスの障壁をぐるりと囲う。一周で止まることはなく二周、三周と”界極毒巨蛇”は身体を回し、四周目にして動きを止めた。


 アイギスの障壁という堅固な防御を施された仮想の学園は”界極毒巨蛇”の蜷局の中にすっぽりと埋まってしまったのだ。


 「…………」


 ”界極毒巨蛇”は障壁を真上から見下ろすとチロチロと真っ赤な舌を動かした。そのまま大口を開ける。上下の鋭い四本の毒牙から透明の雫、神をも殺した毒液が落ちてくる。


 雫はアイギスの障壁に阻まれてツーッと地面に落ちるとシュワシュワと音を立てて地面を陥没させた。


 「……”界極毒巨蛇”に押し潰されて群がっていた小さな敵は潰れました……私のゴーレムたちも一緒にですけど……それにしてもこの状況は…………」


 イサベルは簡潔に自分の状況を報告しながら鏡華の隣に立って巨大な毒蛇の顎を見上げた。端正な顔立ちからは血の気が引いている。鏡華の顔色も大して変わらないだろう。


 「……アッシュッ……すまん……力及ばす……だ……グオ……オオ……」


 諦めずに剣気で少しでも”界極毒巨蛇”の動きを鈍らせようと力を振り絞っているフェルゼンが悲痛と無念の籠った声をアッシュに送る。


 「大丈夫っ!僕とアイでどうにかして見せるよっ!」


 アッシュから力強い声が返って来る。アイギスを真上に向ける。円形のアイギスの中央に刻まれたゴルゴーンの紋章と”界極毒巨蛇”二つの蛇の眼が衝突し、それが火蓋を切った。


 「来いっ!!」


 アッシュは普段の柔和な性格からは想像できないほどの気迫を纏い鋭い声を出した。アイギスの障壁が輝きを増し、アッシュ自身もアイギスの剣気に包まれる。柔らかな金髪がざわざわと動く。


 「……シャーッ!!!」


 キィィィィィィンン!!


 ”界極毒巨蛇”は凄まじい勢いで頭を繰り出し、アイギスの障壁に毒牙を突き立てようと試みる。鋭い毒牙と障壁が触れ合った瞬間、耳をつんざくような不快で甲高い音が発生する。


 アイギスの障壁は”界極毒巨蛇”の電波塔ほどある巨大な牙を通さない。


 「シャーッ!……シャーッ!」


 ”界極毒巨蛇”は蛇らしい執拗さの片鱗を見せ、尾の先を振って音を出しながら障壁に牙を立て続ける。


 「これくらいなら……僕は絶対に守り通して見せるよっ!!」


 アッシュは口元に笑みを浮かべて勇ましく神代の怪物を挑発して見せさえした。


 「流石、オーエン君……私たちと同じ年で”竜騎士ドラグーン”の称号を叙任されているだけはありますね……」


 イサベルはフェルゼンの敵わなかった”界極毒巨蛇”と互角に渡り合っているアッシュに感嘆の声を上げた。普段実力をひけらかすことは決してないアッシュだが噂されている実力は本物、否、それ以上に見える。


 「……でも……耐えてるだけじゃあかんわ……」

 「え?」

 「うちらは完全に包囲されてる……せやから……」


 重々しく口を開く鏡華の額に汗が滲んだ。その瞬間だった。


 「……シャーッ!!」

 「これはっ!?」

 『アッシュ、出力をすぐに上げなさい。全方位によ』

 「大丈夫っ!分かってるよ!ハッ!」


 アイギスの障壁を四重に取り囲んだ”界極毒巨蛇”の極太の身体が獲物を締め上げるようにその輪を縮めはじめた。アッシュとアイギスはすぐさまそれを察知して剣気の出力を上げた。


 「……クッ……これ以上は……」

 「フェルゼンっ!」


 それとほぼ同時にフェルゼンが力尽き膝をついた。虹色の光と共に人間態に戻ったカラドボルグが傾いたフェルゼンの身体を支える。


 その瞬間、一気に”界極毒巨蛇”の締めつけが力を増し半球状の障壁は歪みかけたがアッシュが出力を上げたことで眩く輝き膨大な質量による圧迫に対抗し、半球を保つ。


 効いていないように見えてフェルゼンの尽力はしっかりと神代の怪物の力を抑えていたらしい。しかし、これでアッシュとアイギスだけになってしまった。


 「……双魔は後ろにも気をつけておけって言ってたけど……後ろだけじゃなくて全方位だったね……でも双魔に任されたんだから……僕はやってみせるよ」


 笑いながら親友へとぼやくように呟いたアッシュの顔には僅かな疲労が浮かんでいた。

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