第309話 干し棗
「……お腹減った……お腹減った……お腹減ったね……」
「ふうー……確かにもういい時間だな」
自分の仕事を全て終え、項垂れてブツブツと呟いているロザリンを横目にフェルゼンは椅子の背もたれに寄りかかって取り出した布で眼鏡を拭きはじめた。
壁の時計は十二時少し過ぎを指している。いつもならそろそろ揃って食堂に向かう時間だ。
「…………」
「確かに僕もお腹ぺこぺこだなぁ……あれ?双魔どうかしたの?」
お腹を摩りながら双魔が窓の外を眺めていることに気づいたアッシュが声を掛ける。
「いや……今日はやけに賑やかだと思ってな……」
今は春期休暇でほとんどの学生は故郷に帰るなりして学園にはいないはずだ。最近は静かな学園で黙々と仕事をこなしていたのだが今日は外がやけに騒がしい。それも学園のこの区画の主たる高等部の学生にしては少々幼く元気な声が聞こえてくる。
「ああ、それは中等部と初等部の有志が高等部の見学に来ているからだな」
事情を知っていたらしいフェルゼンがかけなおした眼鏡を輝かせて説明してくれる。
「普通なら我々各科の評議会役員も出張るんだが……この時期に実施するのは卒業生を主に行う見学会だからな。俺たちは特に関与することもない」
「ん、そんな話を聞いたことがあるようなないような…………」
記憶の奥底を辿ると休暇期間前に出席した職員会議でそんなことを言っていたような気がする。
「わあー!ホントだ!初等部の子たちかな?可愛いね!」
窓辺に寄って外を見下ろすアッシュが歓声を上げる。アッシュは結構子供が好きだったりする。二人で出かけた時もよく話したり話しかけたりされているところをよく目にする。
聞こえてくる声は実に無邪気で楽しそうだ。別にわざわざ立って見に行く気にはならないがさぞや平和な光景だろう。
「…………」
「……なんだよ?」
ふと、アッシュの視線がこちらに向いた。数秒間双魔の顔を見つめたかと思うとそのままふにゃりと顔を綻ばせた。
「うーん……双魔はあの子たちにみたいに無邪気な感じじゃなかったな……って……アハハ!」
「……それはお互い様だろ……」
双魔は自分が無愛想な子供だった自覚がある。全く子供っぽくはなかっただろう。しかし、アッシュには言われたくない。双魔に言わせればアッシュも十分子供っぽくはなかった。いつも他人に不快感を与えない程度の笑顔を浮かべ、よく気の利く大人びた子供だった。
お互い背が高く伸びただけで中身は大して変わっていない。
「アハハ!そうだね!僕たち全然変わらないもんね!」
「ん、まあ、だから仲良くなったてのもあるんじゃないのか?」
「確かにそうかもね!」
「……お腹減った……お腹…………」
双魔とアッシュが笑い合う一方、ロザリンは机に突っ伏して悲し気な雰囲気を醸し出していた。空腹一つでここまで悲壮感を出せるロザリンに何か酷いことをしたわけでもないのに罪悪感が湧いてきてしまう。
「……すんすん……後輩君……甘い匂い」
ロザリンがふと鼻をひくつかせて双魔の方を見た。「甘い匂い」と言う言葉に双魔はあることを思い出しローブを探った。すると手が紙包みに触れた。
「……ああ、これですか?」
双魔が取り出した紙包みを開くと中から赤黒く表面に皺の寄った何やら干した果物のようなものが出てきた。
「ドライフルーツ?」
アッシュが双魔の手許を覗き込んで首を傾げる。
「ああ、干した
双魔は一つ摘まむ突っ伏したまま器用にこちらを向いているロザリンの口元に持っていく。
「……はむっ……もむもむもむ…………甘ひ……おいひいね……ごくんっ……あんまり食べたことない味」
”棗”は主に中華や日本で食べられている果物の一種で生薬としても扱われる栄養価に優れた果物だ。双魔は定期的に干した物をルサールカに貰っている。ルサールカ曰く箱庭の特殊な土壌で育ったせいか普通の棗よりも栄養に優れ、魔力の活性化作用などもあるような代物だ。
「……後輩君」
「はいはい」
「あーん……はむっ……もむもむ……おいひい……」
ロザリンにせがまれてもう一つ食べさせてやる。ティルフィングとロザリンのせいで食べさせてやるのが板についてしまった双魔だった。
(……さて、そろそろかね)
時計を見ると丁度いい時間だ。しばらくしないうちにロザリンの鼻がきっと嗅ぎつけるだろう。そう思うと口元に自然と笑みが浮かぶ双魔だった。
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