第285話 二人の中の”神器”

 「ロザリンさん……離れてください」


 双魔は書類を読み、修正を加えながら背中にぴったりとくっついているロザリンに声を掛けた。さらさらとした髪やロザリンの匂い、触れられている感触が男としての本能を刺激してくるが、それを理性で押し殺し、大型の犬が懐いてじゃれてきたと思うことで双魔は何とか自分を誤魔化していた。


 「どうして?後輩君、私のこと嫌い?」

 「嫌いじゃないですけど……自分の仕事をしてくださいよ……」

 「私の仕事はもう終わったよ?後輩君も嫌いじゃないならいいんじゃないかな?ギュー」

 「…………」


 ロザリンはいつもの無表情ながら吞気な調子でさらに引っついてくる。背中で柔らかく魅力的な感触の二つのものがフニフニと背中を刺激してくる感覚に双魔は思わず動きを止めた。


 数日前、バロールを倒し、昏倒したロザリンが学園で目を覚ました後に会ってからロザリンの距離感というものが最早機能していないのだ。ところ構わず今のようにくっついてくる。


 (……これはどうすればいいんだ)


 一度、強く言ったが、ロザリンは叱られた犬のように見るからにしょげてしまい湧いてくる罪悪感に双魔は耐えられなかった。それ以来、心をなるべく空にしてロザリンの好きにさせている。


 「キュクレインさん!何をしてるんですか!は、破廉恥ですよ!?双魔君から離れてください!」


 突然、イサベルの声がしたので書類から目を離し、扉の方を見ると顔を真っ赤にしてこちらを睨んでいるイサベルと、隣に鏡華が立っていた。


 「…………」


 (そう言えば来るって言ってたな……また、何か悪戯でも思いついたのか……イサベルは何の用だ?)


 悪戯っぽい笑みを浮かべて楽しそうに手を振っている。双魔も手を振り返しておく。


 イサベルは怒っているのかこちらにつかつかと寄ってきて何やらロザリンに言っている。確かに、どうしてこんなに懐かれたのだろうか。


 (……学園長が言ってた”アレ”が何か関係あるのかね?)


 ほとんど思考を放棄し、ペンを机上に投げた双魔は一昨日、学園長に聞いた話の内容をぼんやりと思い出した。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 「…………おなか減った」

 「学園長の用事が済んだら一緒に食堂に行きましょう、少し我慢してください」

 「……うん、後輩君が言うなら我慢する」

 「仲がよろしいようで結構です」


 グングニルが双魔とロザリンのしっかりと繋がれた手を横目で見て冷静な口調でそう言った。


 「……ハハハハハ」


 双魔は渇いた笑い声を出すしかない。双魔とロザリンはグングニルに伴われて学園長室に繋がるエレベーターに乗っていた。


 時は少し遡る。左足の治療を終えた双魔は眠っているロザリンの隣で本をペラペラと捲っていた。そして、ロザリンが目を覚ましたかと思うとすぐにグングニルがやって来て二人揃って連行されたのだ。


 そして、寝起きでまだ気だるげなロザリンは先ほどから双魔の手をしっかりと握っている。調子を取り戻せず心細いのかと思い好きにさせている次第だ。そして、今に至る。


 (さてさて……何の用だか。多分バロールのことだろうが……)


 バロールとの戦闘は”創造”の空間内でもことだがその直前に二頭の白狼とレーヴァテインと闘っている。恐らくヴォーダンは把握しているだろう。


 「…………いい匂い」


 双魔が考え事に耽る隣でロザリンがそう呟いた。それと同時にエレベーターがベルを鳴らして到着を告げる。


 「どうぞ、こちらへ」


 グングニルに連れられてエレベーターを降りる。グングニルは降りてすぐの扉をノックした。


 「ご主人様、連れてまいりました」

 『……うむ、入りなさい』


 学園長の声と共に扉が開いた。学園長室に来るのは久しぶりだ。双魔は少し緊張した。が、部屋に入ってすぐに呆気にとられた。


 「ご飯っ!」


 来客用のテーブルの上には所狭しと料理が並べられていた。どれも湯気といい匂いを漂わせている。


 ぐー……ぐぐー……


 目を輝かせたロザリンのお腹が盛大に声を上げた。


 「キュクレイン君は朝餉を食べていなさい。儂は伏見君と話そう」

 「いただきます!」


 ヴォーダンの言葉を聞き終わる前にロザリンは手を合わせて挨拶を済ませて食事を開始した。闘ってから何も食べていなかったのでかなり空腹だったのだろう。


 「伏見君はこちらに来なさい」


 双魔はヴォーダンに手招きされるがまま近づき、学園長の仕事机の前に置かれた椅子に腰を掛けた。


 「グングニル、紅茶を」

 「かしこまりました」


 一礼してグングニルがミニキッチンに姿を消すとヴォーダンは双魔と向き合った。


 「さて、大変だったようじゃのう。じゃが、よくやった。それでこそブリタニア王立魔導学園の生徒じゃ。フォッフォッフォ」

 「……いえ」


 学園長は口元に笑みを浮かべてそう言った。やはり、全て把握しているらしい。


 「失礼します」


 グングニルが紅茶を用意して戻ってきた。カップが二つ置かれ鮮やかな色の液体が中を満たしていく。


 「うむ、それでは本題に入るとしよう。伏見君……お主は”神器アーク”というものを知っているかね?」

 「”神器”ですか?旧約聖書の?」


 ”神器”と言えば一般的に『旧約聖書』に記されたノアの箱舟や預言者モーセの契約の箱を指す。しかし、学園長は首を横に振った。


 「いや、それとは違うものじゃ、聞いたことはないかね?」

 「…………いや、ありませんね」


 双魔は師の言葉やその他諸々の記憶を漁ったが”神器”なる言葉に聞き覚えはなかった。


 「はむっ……むぐむぐ……ごくんっ……私も聞いたことない」


 食事をしながらしっかりと耳は傾けていたのかロザリンがポツリと言った。


 それを聞いたヴォーダンは数度、顎髭を弄ぶと息をついた。


 「ふむ、仕方ない。それでは”神器”について説明しよう。”神器”とは端的に言うと”神の臓器”じゃ。それを備えておる者を”神器保持者”と言う」

 「神の……臓器?……っ!?」


 一瞬、何を言っているのか理解に苦しんだがすぐに双魔の脳裏である光景が弾けた。左眼を漆黒に光らせたロザリンの姿が。アレはバロールの魔眼。つまり、ヴォーダンの言う”神器”だったのだ。


 が、同時に疑問も生じた。ロザリンはともかくなぜ自分も呼ばれたのだろうか。心臓が熱くなり鼓動が早まる感覚に見舞われる。


 「察しの通り、キュクレイン君のバロールの眼は”神器”そして……伏見君、君の心の臓もまた然りじゃ……心当たりはあるじゃろう?」


 ヴォーダンの目が真っ直ぐに双魔を見据えている。


 改めて問われるまでもなく、”神器”と言う存在を前提とすれば双魔には山ほど心当たりがあった。


 ティルフィングと契約してから使えるようになった謎の変身能力、神話級遺物をいくら振るっても尽きることがなく、神の御業の一つといっても過言ではない空間魔術”創造ブンダヒュン”を使いこなし、創り出した箱庭を維持することのできる、幼少の頃には己の身体を蝕み続けていた膨大な魔力。魔力は心臓から生み出される。散っていたパズルのピースが幾つかやっと当てはまったような気分だ。自分は今、豆鉄砲を喰らったような顔をしているだろう。


 「……学園長、自分は…………」

 「うむ、お主は”神器保持者”じゃ、そしてキュクレイン君もな」

 「ロザリンさんも、ですか?」


 ロザリンの左眼に宿っていたバロールは確かに討滅したはずだ。ロザリンの左眼は既に開き、翡翠の瞳を覗かせている。


 「後輩君」

 「ロザリンさっ……ん?……」


 声を掛けられて振り向いた瞬間、双魔は固まっていた。その眼にはロザリンの左眼、漆黒の魔眼が映り、身体は硬直していた。


 「何か私も使いこなせるようになったみたい?はむっ……むぐむぐ……」


ロザリンはフォークに刺したブロッコリーを頬張ると左眼を閉じ、もう一度開いた。


 今度は元の澄んだ翡翠の瞳がこちらを見つめていた。


 「うむ、バロールの意識のみが消えて魔眼は残ったか」


 ヴォーダンがそう口にした。如何やらヴォーダンの言う通りらしい。


 双魔は魔眼の束縛から解き放たれ、ヴォーダンの方に向き直った。


 「…………学園長、俺たちに”神器”について教えたのはどうしてですか?」

 「フォッフォッフォ……何、キュクレイン君の問題が解決した今が教える絶好の機会じゃ。お主らの師は少々弟子に甘い故、それで知っていたが教えなかったのじゃろう……”神器”は互い引き寄せ合い、惹かれ合う……この世界には遺伝やその他のきっかけで極稀に”神器保持者(アークホルダー)”が生まれる。それは数奇な運命に巻き込まれることを確約されておるようなもの……何か困ったことがあればこの老い耄れが力になろう…………決して、一人で抱えるでないぞ?幸い、同じ境遇の者がここに二人おる……一人になることはない、加えてお主らには良い契約遺物もおる。試練を乗り越えよ……そして行く行くは”英雄”となって欲しい……おっと、最後は儂の個人的願望じゃった!フォッフォッフォ!最後だけは忘れてくれて構わん!フォッフォッフォ」


 自分が”神器保持者”だったことや、何故それを師が教えてくれなかったのか、あの力はティルフィングの 力ではなく、自分の力だったのか。ぐるぐると、双魔が脳裏で謎を渦巻かせている中、ヴォーダンはしばらく楽しそうに笑っていた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 (…………「”神器保持者”は惹かれ合う」か……)


 そう言えば鏡華も閻魔大王の孫だ。一種の”神器保持者”と言えなくはないかもしれない。今度一度話してみる方がいいだろう。


 (……まあ、ロザリンさんは何考えてるのか分からないし……深く考えたら負けか……)


 双魔が脳内で諦観を決め込んでいる間もロザリンは双魔の髪にすりすりと顔を擦りつけている。


 「双魔君から離れてください!」

 「どうしてイサベルちゃんがそんなこと言うの?あ、イサベルちゃんも後輩君のこと好きなんだよね?羨ましいのかな?代わってあげようか?」

 「なっ!?そっ、そそそそうですけどっ!……ちっ違っ!あのそのあ、あ、あ、あ…………」


 双魔が記憶と思考の海に飛び込んでいる間にイサベルがロザリンに正面からノックアウトされ、トマトのように真っ赤な顔で金魚のように口をパクパクさせていた。


 「ロザリンはん、お噂は重々。うちは六道鏡華、よろしゅうな」

 「うんうん、よろしくね。後輩君の婚約者さん?」

 「ほほほ、今度お茶でもしようか。ロザリンはん」

 「……うん……今度ね……」


 鏡華の笑顔に何か感じたのかロザリンは少し双魔から離れた。が、相変わらず腕は双魔の首に回されたままだ。


 バンッ!


 「ソーマ!」

 「ヒッヒッヒ!なんだ?楽しそうじゃねぇか!なぁ?」


 そこで勢いよく扉を開いてティルフィングとゲイボルグが乱入してきた。ゲイボルグの背から飛び降りたティルフィングは素早く双魔の傍によって膝に乗った。


 「あら、アッシュ。楽しそうね」

 「あ、アイ。うん、今日は賑やかだよ!」


 そこにひょっこりとアイギスが顔を出す。


 (…………後でおっちゃんたちのところに行こう)


 賑やかで、居心地もいいが少し疲れるのも事実。姦しさに囲まれながら、箱庭で静かに過ごし、考え事に耽ることを決心する双魔であった。


 この時、双魔は余り時の経たないうちに、自分が何者であるのか、ティルフィングと自分の関係がどのようなものなのかを知ることになろうとは微塵も予感していなかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る