第220話 叡智たちの近況報告

 「……さて、そろそろ儂も入れてもらおうか」


 黒頭巾の老人の登場でわちゃわちゃとしていた空気を破るようにヴォーダンが口を開いた。


 『ヴォーダンか』

 「そうですね、太公望殿もいらっしゃいましたし、はじめましょうか」

 『うむ、一応待たせて悪かったと言っておくかのう』


 心にもないことを悪戯小僧のように笑う老人の通り名は晴久が呼んだ通り”太公望たいこうぼう”と言う。


 通称を”太公望”、仙人としての名を”姜子牙きょうしが”、本名を”呂尚りょしょう”。


 四千年を誇る中華の歴史において燦然とその名を輝かせる大人物である。


 呂尚には大きく分けて二つの側面がある。


 一つは、軍師としての側面。呂尚は周王朝の開祖、文王に見初められ、仕官を決め、文王の死後は息子の武王を補佐し、妲己の陰謀によって暴走状態に陥り残虐苛政を極めた殷王朝最後の王、紂王を滅ぼし、周王朝の創始に多大な功績を残した。


 周王朝の建国後には後に戦国の七雄に数えられる大国、”斉”の大公となった。


 これにより中華における武官の最高位に位置づけられ、また軍師の元祖として後世の英雄たちに大きな影響を与える存在となった。


 もう一つの側面は道士、仙人としての側面だ。


 呂尚はもう一つの名である”姜子牙”という名で中華において極めて有力な仙人の一人だ。


 そもそも中華における”仙人”とは他の地域における”神”とほぼ同等の存在である。


 仙人としての呂尚は仙人の最上位、元始天尊の直弟子である。


 前に説明した軍師としての側面も元始天尊の「文王、武王を補佐せよ」という命令が発端だ。


 つまるところは呂尚は「中華史上最強格の軍師であり、道士であり、最上位の仙人」なのだ。


 殷周革命が成り、周王朝の運営が落ち着き、与えられた領地である斉国を子孫に託してからは仙人たちの本拠地である崑崙山でたまに仕事をしながら気ままに旅をしたりと、のんびりと過ごしていたのだが、そんな呂尚も突然の不運に見舞われた。


 それが、この世界に神秘を復権させる原因となった”世界大戦勃発の危機”である。


 この先、各地の神々が世界に介入するにあたり、元始天尊は殷周革命の時と同じように呂尚を人間界へと派遣したのだ。


 師である元始天尊の命には逆らえず、呂尚は嫌々ながらおよそ三千年振りに人間界に降臨し、そして一道士として、神秘連盟や魔術協会の設立に関わった。


 その経緯から呂尚は今もなお仙人ではなく、魔術協会に道士として所属している。


 ジルニトラの定めた序列は二位。


 ブリタニア王立魔導学園の学園長室には今、半数は遠隔とは言え、世界の魔術師の上位四人と、七位、それらを取り決める竜と言った大物たちが顔を合わせて座っているのだ。


 「それでは、各々の地域の状況でも聞かせてもらおうかの」

 「じゃあ、私から話すわ。一応、一番年下だし」


 ヴォーダンが改めて仕切り、発言を求めると一番最初に手を挙げたのはすっかり普段の様子に戻ったヴィヴィアンヌだった。


 「聖フランス王国の情勢は一応平穏よ。ただ……何人か馬鹿がやらかしてる。ベルナール=アルマニャックの件については日本に書簡を送ったけどこの場でも直接謝罪しておくわ。晴久、迷惑を掛けたわね……ごめんなさい」


 ヴィヴィアンヌの真摯な謝罪に晴久は目を細めて頷いた。


 既にフランスの王室や前の宮廷魔術団長から十分に謝罪と賠償は受けている。


 晴久の反応は律義さを見せたヴィヴィアンヌのプライドに傷をつけない配慮だった。


 「それと……不本意だけど王宮魔術団長を拝命したわ…………今後は関わることも多くなるかもしれないから、そこはよろしく。以上よ」

 『へー!ヴィヴィちゃんが……』

 『ひょっひょっひょ!そうかそうか……ヴィヴィが宮廷魔術団長か!アレは中々骨が折れる。特に人間関係がのう!気の利く副官を置くといい。困ったことがあればこの老いぼれが相談に乗るぞい』

 「太公様、ありがとう!」

 『ひょっひょっひょ!気にすることはないわい!』

 『…………』


 いち早く反応したマーリンだったがヴィヴィアンヌの機嫌が悪くなるのを防ぐため呂尚が滑り込んだ。


 仲良く話している二人を見てマーリンはジトーっとした湿っぽい視線を向けて拗ねていた。


 「では年齢順という流れですので次は私が……ああ、グングニル殿、お茶をいただいてもよろしいですか?」

 「かしこまりました」


 晴久の注文を受けたグングニルは素早くミニキッチンへと消えていった。


 「さて、我が国についてですが…………ああ、ありがとうございます」


 グングニルは事前に用意していたのかすぐに戻ってきて、緑茶を注いだ湯呑を晴久の前に置いた。


 「……ふう、改めまして我が国についてお話します」


 晴久はお茶を口に含み、口の中を湿らせてから話しはじめた。


 「大きな変化はありません。ただ、フランスと同様に事件がチラホラと……特に年末の一件では以前お話した”神の影”が再び姿を現したようで…………」

 『ああ、前に言っていたアレかー!それでどうなったんだい?』


 マーリンが復活して興味深げに話に入ってきた。それに晴久は苦笑を浮かべて答えた。


 「事件自体は解決しましたが……残念ながら”神の影”は逃がしてしまいました……私も禁裏での儀式から手を離すわけにはいかないので。新たに判明したこともなく…………面目ありません」

 『ありゃりゃー、それは残念!まあ、でもしょうがないかな!僕たちも少し気をつけておくよ!ね、みんな!』


 マーリンの呼びかけに返事は返さないものの一同揃って肯定的な表情を浮かべた。


 『晴久、他には何かあるか?』

 「いえ、以上です」

 『そうか、それでは、ここからは年寄りたちの話になるな……あまり面白いものではないが付き合ってくれ』


 ジルニトラが大真面目なことで冗談めいたことを言った。


 室内の空気はそれで少し緩まった。


 『はいはいはーい!ジルニトラと僕は大体同じくらいの歳だから僕が先に話すよ!いいよね!?』

 『好きにしろ』

 『やったね!』

 「……チッ!」


 先を譲られたマーリンがハイテンションで喜ぶ。


それを見たヴィヴィアンヌが不愉快そうに舌打ちをしたことに気づいていなかったのはマーリン当人だけだった。

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