第139話 水精の忠告

 ルサールカの手際の良さであっという間にテーブルの上はティータイム仕様になった。


 今は椅子に腰掛けて、テーブルに置かれたガラスのティーポットの中でラベンダーが揺れているのを穏やかな風に吹かれながら三人で眺めている。


 「そうだ!ルサールカ、アレはまだあったか?」


 お湯に色が移ってきた時、ふと、ボジャノーイがルサールカの方を向いてそう尋ねた。


 「はい、はい、まだありますよ」


 ボジャノーイが言う”アレ”が双魔には分からなかったが、どうやら彼の好物らしい。


 ルサールカはボジャノーイに銀色の缶を手渡した。缶の中身が転がっているのかカラコロと軽く硬い音が鳴った。


 「おう、これだ!これ!」


 ヴォジャノーイは子供のように喜びながら、受け取った缶を水かきのある平べったい手で開けた。


 「それ、なんだ?」

 「お、坊主も食べるか?」


 問いかけた双魔にボジャノーイが嬉しそうな顔を向けた。自分の好物を勧めたいのだろうか?が、双魔は何となく嫌な予感がした。


 「いや、中身が知りたいだけだよ…………」

 「そうか……まあ、見たら食べたくなるかもしれないからな!見ろ!これがワシの好物だ!」


 そう言って、ボジャノーイが缶の中身を手に載せて双魔に見せた。


 ボジャノーイの手には双魔の手のひらより少し小さいサイズの何かが乗っていた。


 黒く硬質そうな身体、六本の細い脚、丸っこいフォルムに頭から生えた立派なツノ。少年なら誰もが好む昆虫の王様、そうカブトムシだ。


 「…………いや……これは、ちょっと…………無理だな」


 双魔に昆虫を食べる趣向は皆無だ。思わず口角がヒクヒクと痙攣してしまった。


 「そうか?美味いんだがな…………カブトムシの砂糖菓子…………あんぐっ…………ボリボリ…………うん!美味い!ゲロロロロ!」


 好物を拒否されて一瞬しょんぼりしたボジャノーイだったが、カブトムシを口に放り込むとすぐに明るい表情を浮かべた。


 「…………」


 見た目からして、虫を好んで食べてもおかしくはないのだが、双魔はその様子を目にするのが初めてだったので唖然としてしまった。


 「フフフ!まあ、びっくりするわよね。私も最初は驚いたわ。すぐに慣れたけどね。もういいかしら?」


 ルサールカはポットを揺らすと中身をカップに注いだ。


 「どうぞ!お菓子も食べてね!そうそう、安心していいわ、これには虫なんて欠片も入ってないから」

 「あ、ああ、ありがとう」


 笑みを浮かべたルサールカから双魔はティーカップを載せたソーサーを受け取った。


 目の前ではヴォジャノーイがボリボリと美味そうにカブトムシを食べている。


 ルサールカには悪いが、菓子を食べる気にはならなかった。


 見ていられなくなって受け取ったソーサーに視線を落とす。鮮やかな紫色に染まったお湯に自分の顔が移り込む。湯気が心を落ち着かせるいい香りを乗せて昇ってくる。


 「…………んっ」


 カップの縁に口を当ててゆっくりと傾ける、口の中にラベンダーの香りが広がっていった。


 丁度いい塩梅の熱さで喉を通り抜けていく。


 「ふう…………」


 思わず恍惚の息が漏れて出た。


 そんな双魔の様子をルサールカは年の離れた親戚の子供を見るかのような目で見守っている。


 「どうかしら?」

 「うん、美味い……香りもいいし飲みやすいな」

 「ラベンダーだけだとクセが強いからミントと他にも数種類ブレンドしてあるの。パックにしておいたから持ち帰るといいわ」

 「そうか、ありがとう」

 「いえいえ……今日は何の本を読んでいたの?」


 ルサールカの視線がテーブルの隅に置かれた分厚い本に向けられた。


 「ん、ああ……魔術に関する本だよ。明日の授業で何を話そうかと思って」

 「あら、お仕事の本だったの。双魔さんは偉いわね。若いのに」

 「好きでやってることだからな」

 「そういう気取らないところも坊主のいい所だな!ゲロゲロ!」


 いつの間にカブトムシを食べ終えたのかボジャノーイもカップを片手に会話に混じってきた。


 「そう言えば、さっきはボーっとしたけど何を考えてたんだ?」

 「…………いや、別に」


 双魔は目を伏せて誤魔化した「いきなり婚約者が自分の家に押しかけてきた」などとは恥ずかしくて言えたものではない。


 その時、ルサールカの瞳はそんな双魔の挙動を見逃さずにきらりと光った。


 「……さては、女の子のことね?違う?」

 「…………」

 「何だ?そうなのか?ゲロロロロ!坊主ももうそんな歳か!」

 「貴方、あんまりからかっちゃ駄目よ。双魔さんくらいの歳の子は色々と繊細なんだから」


 大声で笑うヴォジャノーイをルサールカが諫める。が、正直双魔としてはルサールカの方が怖かった。


 「双魔さん、詳しくは聞かないけど……女難の相が出てるから、気をつけた方がいいわよ?」

 「…………は?」


 目を丸くして驚く双魔にルサールカは更に続けた。


 「あ、勘違いしないでね?女難って言ってもあなたの周りに悪い女が集まってくるわけじゃないわ。きっとみんないい娘よ?ただ…………数が……いいえ、何でもないわ!兎も角、怖がる必要はないけれど色々と気を配っておいた方がいいわ!」

 「ん……まあ……分かった…………うん」


 普段はそこまで押しが強いわけではないルサールカが珍しく念を押すような言い方をしたので、双魔は頷く他なかった。


 「ゲロロロロ!まあ、若い頃は色々あるもんだ!ワシみたいに綺麗でよくできた嫁をもらえるように頑張れよ!」

 「まあ、貴方ったら……」

 「ゲロゲロゲロ!」


 突然褒められたルサールカが頬を染める。


 それを見たヴォジャノーイも照れくさそうに笑いながら頭を掻いている。


 「…………仲のよろしいこって」


 目の前の夫婦が甘い雰囲気を醸し出したので、それを漱ごうと双魔がハーブティーを口にした時だった。


 『ソーマー!ソーマ!いないのか!?』


 どこからか最早、聞き慣れた声が双魔を呼んでいる声が聞こえてきた。


 「ん、ティルフィングか」


 双魔はズボンのポケットをゴソゴソと漁ると中から懐中時計が出てくる。


 『ソーマ!ソーマ?』


 ティルフィングの声は懐中時計から聞こえてきていた。


 そろそろ部屋に戻った方がいいだろう。


 「二人とも、今日はもう帰るよ」


 声に気を取られている間に焼き菓子の食べさせ合いをはじめていた夫婦に声を掛ける。


 「ゲロ!?そ、そうか!」

 「…………ホホホホ…………」


 完全に二人の世界を形成していたヴォジャノーイとルサールカが茶を濁す。


 「また、来るよ」

 「あ、そうだ!双魔さん、これ持っていってくださいな」


 ルサールカは本を持って立ち上がった双魔を引き留めると残っていた焼き菓子を袋に詰めて、台車に載っていた紙袋に入れると双魔に差し出した。


 「新しく作ったハーブティー、たくさんあるからお友達にも分けてあげるといいわ」

 「ん、ありがとさん。じゃ、またな」

 「ああ、また来いよ!」

 「女の子には気をつけるのよ!」


 二人に見送られながら、双魔は右腕を真一文字に振った。


 すると、空間が歪み長方形の光のドアが出現する。


 双魔は振り返ってヴォジャノーイとルサールカに軽く手を振ると光の中に足を踏み入れ、そ

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