第97話 神童の零落

 例えが長くなったが、ある日、男は何かに憑りつかれた。それが何なのかは男にも分からなかった。邪悪なるものであったのは確かだ。


 その日から男は「自分は神の御業を為せる、人の生死を自由にできる」という天啓に似た何かに突き動かされるようになった。


 自らの内に秘めたるその確信を誰にも悟られることなく、男は普段通りに過ごし、その裏で己の邪悪なる目標に向けて腕を磨いた。


 やはり、男には天賦の才があった。一年ほど経った段階で刀で斬った鼠がしばらく動き回るようになり、その半年後には犬と猫が蘇るようになった。


 男はこのような邪法に手を染めながらも家族や弟子の前では平然と過ごした。


 されど、男の打つ刀は清廉で美しいものから徐々に禍々しい物へと変わっていった。


 さらに男は禁裏に顔を出すこともなくなった。屋敷に引きこもり、ただただ邪悪なる刀を打ち続けた。そして、完全な刀が出来上がったと確信したその時。男は刀を片手に夜の街に飛び出した。


 走って走って走った。そして、人気のない橋のたもとを歩いていた若い女を背後からバッサリと斬り伏せた。

 斬られた女は傷口から大量の血を噴き出し、瞳から命の灯火を失い地に伏した。


 男は息を荒く吐きながら自ら命を奪った女の死体を観察した。


 暫くすると死体の身体がピクピクと痙攣するように動き出した。そして、握りしめられた右手をゆっくりと開くと再び動かなくなった。


 男は狂喜した。一旦死した者が僅かとはいえ再び動いたのだ。「死者を生き返らせる」自らの腕を事実として受け入れることができた。


 男はこれを機に毎夜、屋敷を抜け出しては人を殺め、僅かに生き返らせるを繰り返した。


 終いには斬った死体が立ち上がって動き回るようになった。


 この頃になると男の実験という名の連続殺人は陰陽寮に目を付けられていた。


 男はこのことにも、帝に呪刀を献上していることにも気づいていなかった。男の頭の中は人の命を自由にする刀のことで一杯であった。


 最早、男は自分が何をしているのかさえ分からなくなっていた。自分は死んだ人間を生き返らせることができるという妄念が思考を支配していた。


 そして、ある晩、男は屋敷の人間を全員斬った。


 使用人を、弟子を、我が妻を、我が子を全て斬った。斬られる瞬間、皆それぞれ驚いたり、怖れたりろ様々な反応を示したが、全員を切り殺した後、屋敷の中には血塗れの人間が蠢いていた。


 男は歓喜し、自らの腕に陶酔し、思わず手元にあった紙に「我神技得たり」と書いた。


 しかし、男の喜びは束の間だった。あることに気づいたのだ。


 皆、自分に斬られた後も起き上がって動いているが、表情に変化がないことに、言葉を発しないことに。


 男は悟った。自分の技術が不完全なことに。男には呪術の類の才は欠片もなかったが理解した。


 自分が蘇らせることができる、いや、殺しているのは魂だけだと。


 魄だけを身体に残した、歪な存在を生み出しているに過ぎないと。


 自らの手で抜け殻になって尚も動く身内の者たちを見て男は一瞬、正気を取り戻し、そして、発狂した。むせび泣いた。


 その間にも死体たちは動かなくなりドサリ、ドサリと無機質な音を立てて倒れていく。


 男の精神は限界を超えたのか、突然、何事もなかったかのように表情が無になった。


 筆をとり、「されど極まらず」と書き足すと屋敷を飛び出し、そのまま失踪した。


 その後、本人は知る由もないが宗家によって男の存在は抹消された。男は”この世に存在しない者”となったのだ。


 これが千子山縣という一人の刀鍛冶の話である。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る