第五章「千子山縣と言う男」

第96話 祝福された神童

 その男はまさに天賦の才を持っていた。


 生み出す刀の一つ一つが国宝級。時が経てば必ず遺物へと覚醒すると評価される刀を幾振も打ち出した。


 日ノ本で最高峰の鍛冶一族の分家に生を受けた。齢五にして宗家の当主に才能を見抜かれ、分家の次男であったにもかかわらず宗家の跡取りと同じ英才教育を受けた。


 齢十二にして己の作風を確立。繊細で優美、且つ芯の強い刀は武官ではなく、貴族や数寄者に好まれた。


 齢十五にして独立、そして、その五年後男が成人を迎えた年に転機が訪れた。


 蔵人頭くろうどのとうを通じて帝に献上された男の刀を帝の心を射止めたのだ。


 そこから男の栄達は始まり、やがて栄華を極めた。


 帝より京の付近に屋敷と工房を構える土地を賜った。


 毎月、帝に拝謁し刀を直接献上する栄誉も賜った。


 帝の期待に応えるように男の刀鍛冶の腕は更なる成長を見せた。それを受けて帝は若き刀鍛冶に更なる寵を与えた。


 まさに字に書き表して恥じることのない好循環であった。


 帝の寵を受けはじめて四季は四度廻ったころ、男は花嫁を迎えた。婚礼の儀はささやかなものだったが帝をはじめ、そうそうたる権力者たちに祝福され、すぐに子供も設けた。


 同じくして弟子入り志願の者を受け入れた。男が無駄に広いと思っていた屋敷は人で溢れ賑やかになった幼い頃より鍛冶一筋だった男は訪れた感じたこともない種の幸せに胸を躍らせた。


 季節はさらに三度廻った。己の子はすくすくと育ち、弟子は増え、帝からの寵は他の追随を許さない程になった。男は絶頂を極めたのだ。


 しかし、得てして人間が絶頂に達するという事象はその人間が変貌する機会であるということを連綿と神代から続いてきた人間の史は我々に語っている。得体の知れない何かに魅せられ、憑りつかれ、突き動かされて人は変貌する。


 例を挙げるとするならばやはり父母たる神の代行者にして人間の代表、”王”が良いだろう。


 神祖ロムルスにはじまり、地中海を中心として繁栄した史に燦然さんぜんと輝く古代ローマ帝国。


 その第三代皇帝たるガイウス=ユリウス=カエサル=アウグストゥス=ゲルマニクス、通称”カリギュラ帝”は”古代ローマ最狂の皇帝”と謳われる。


 カリギュラは恐らく神に魅せられて狂人へと変質したのだろう。


 彼は第二代皇帝ティベリウスがローマ市民に不人気だったこと、英雄ゲルマニクスの子息であったことなどを受け、最も祝福されながら即位した皇帝であった。


 民を愛し、民に愛される名君。されど、この皇帝は変貌した。


 原因不明の病、はたまた神の祝福であったのか。兎も角それをきっかけにカリギュラは暴君と化した。


 カリギュラは己の眼にのみ映る女神の寵愛を受けて狂ったのだ。


 民を苛み、放蕩に耽り、最後には親衛隊に暗殺された。果たしてカリギュラに救いはあったのか否か。


 もう一人、現代まで続く東方の大帝国である中華から例を挙げよう。


 七世紀から十世紀にかけて中華を統べた大帝国唐。その第六代皇帝である李隆基、またの名を玄宗。彼の皇帝は寵姫に魅せられ、愛に堕落し、変貌を遂げた。


 中華唯一の女帝、則天武后によって引き起こされた政乱、”武韋ぶい”を収め、兄に皇太子の位を譲られて即位した隆基はその才を存分に振るい、後の時代に”開元の治”と絶賛される治世を収め、大唐帝国を最盛期に導いた。


 しかし、ある出会いが隆基を変貌させた。


 楊玉環、すなわち楊貴妃との出会いである。


 大詩人、白居易の『長恨歌』に歌われるその大恋愛を経て隆基は名君から暗君へと変貌した。


 寵姫との遊興に耽り、部下の台頭を招いた。


 その結果、軍事反乱である”安史の乱”が発生し、唯一無二の寵姫、比翼連理と例えられた楊貴妃は命を落とした。


 その後、隆基は半ば強引に帝位を奪われ、軟禁状態の中、静かに、悲嘆に暮れながら冥界へと旅立った。変貌の末の哀れな末路であった。


 初めに少し触れ、またこれから語る男もまた、彼らと同じような道を歩んでいるかどうかは聞く者の判断に任せるところである。

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