第54話 銀髪の乙女 裁定の時
巨怪グレンデルの凶爪は少女の華奢な体躯を今にも貫こうとする瞬間だった。
ガツンッとグレンデルの爪は見えない何かに衝突し、ティルフィングを傷つけること阻まれた。
得体の知れない力が少女を守護している。
予想外の出来事にグレンデルは思わず怯んで距離を取った。そして緑色に光る瞳は驚愕に染まる。
「ナニガオコッテヤガル!」
死にかけ、いや、すでに死んでいたはずの魔術師から得体の知れない力が突如吹き上がったのだ。
それに驚いたのはティルフィングも同じだった。
「…………ソーマ?」
青白かった双魔の顔色が徐々にもとの血色に戻っていく。止まらずに流れ出ていた血も止まった。緑毒の剣気に侵され変色していた肌からも毒気が抜けていく。
意識はまだ戻らないようだが口が微かに動き何か言葉を紡ぎ出す。
「破ら……れた……盟約……は……蘇る……」
双魔の身体が輝きを帯びる。
「我……が剣……愛しき……我が妹よ、我が……娘よ…………」
輝きは段々と強さを増していく。言葉も力強くなっていく。
「
「ソーマ!」
倒れていた双魔は静かに、浮くように直立し、そのまま宙に浮かび上がった。腹部を貫いていたフルンティングはするりと抜け落ち、ガラン!ガラン!と音を立てて地面に転がった。
「新たな誓いを此処に……」
ぼさぼさの短い髪は長く、長く伸びる。黒髪が銀に染まっていく。身体は華奢に変化し、優美な丸みを帯びる。
「其は
最後の詠唱が終わると双魔の全身を包んでいた輝きが弾けて散った。そこに立っていたのは金糸の編み込まれた白の衣に身を包み、陽光に煌めく細氷の如き白銀の髪を靡かせる蒼眼の乙女だった。
「……………ソーマ……なのか?」
ティルフィングは呆けた表情でその姿を見上げている。ずっと泣いていたのか真紅の瞳はさらに紅くなっていた。
「ん、そうだ…………心配掛けたな」
ティルフィングの頭を撫でてやる。すると、髪で隠れていたティルフィングの右眼が黄金の輝きを放つ。
左の眼も真紅から黄金へと色を変える。夜闇の如き黒髪は双魔と同じ白銀へと染まっていく。
それと同時に紅の剣気がほとばしり結界の内部は紅の氷原と化した。
「ティルフィング」
優しく呼びかけて手を差し出す。
「うむ!」
その手を取ってティルフィングは元気よく立ち上がる。そこには既に悲しみは欠片も残っていなかった。
「古き盟約は此処に果たされた!新たなる誓いを、幾久しき契りを結ばん!
一瞬、眩い光を放ってティルフィングは、剣の乙女はその姿を一振りの剣へと変える。
双魔の手には黄金の柄と白銀の刃煌めく一振りの剣が握られる。
「さあ、グレンデル……カインの後裔よ、裁定の時だ!」
眼下の巨怪に昂然と言い放った。決着の時は刹那に迫っていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
異形の巨躯は真紅の氷原に茫然と立ち尽くした。
不気味な緑光を放つその双眸に映ったものに全てを蹂躙し得る双腕双脚、人間如きならば容易く切り裂き、砕くであろう爪牙、鈍色で剣戟銃弾などものともしない鱗に覆われた全身が悉く硬直した。
禍々しい強大な怪物をそうせしめたのはソレが己の内に決して感じることのなかった感覚であった。かつて怒りのままに全てを壊し、嬲り、潰し、己の快楽へと変えたソレが。恐れるものなど何もなく、目にしたことのない神々にさえ唾を吐きかけ、侮辱の言葉を並び立てた怪物が感じたのは「恐怖」ではない、「畏怖」でもない、「戦慄」か「狂喜」かそれとも死の直前に感じた微かな「落胆」なのか。
その答えはグレンデルには分からない。彼の怪物がすべきはただ目の前に存在する生を奪うことだけだ。
原因不明の硬直からすぐに身体は解き放たれる。
「ナニガオキタノカワシラネエガ、オトコガオンナニカワッテ、イロガカワッタグライデオレサマニカテルトオモッテルノカヨ!メデテエヤロウダ!」
「…………」
グレンデルの嘲笑う姿を、双魔は眉すら動かさずに見降ろしている。それがグレンデルの癇に障った。
「シネェエエエエエエエエエエ!」
足と尾を使って地面から凄まじいスピードで宙に浮かぶ双魔へと飛び掛かる。
「フッ!」
双魔も宙を蹴るようにして向かってくるグレンデルへと突っ込む。
両者は音もなく交錯し紅氷へと着地する。
「ギャアアアアアアアアア!」
一拍空けて、聞くに堪えない醜悪な悲鳴を上げたのはグレンデルの方だった。左肩から袈裟懸けに深く切り裂かれ緑毒の血液が噴き出ている。
双魔は膝をつきうずくまるグレンデルに向き直る。
「甦ってしまったことをお前の罪として問うことはない……それでも、お前は甦るべきではなかった……裁定を下す!出でよ”
外部から切り離された常緑の大樹に囲まれた紅の氷原に、黄金の柱と白銀の屋根が輝く荘厳な宮殿が姿を現した。
「ガアアアアアァァアァァアアアアアアアァァァァァァア!」
傷を負って恐慌状態に陥ったのかグレンデルは傷口から血を噴き出させたまま双魔へと突進してくる。
「一つ、罪なき者の肉体を奪い!」
双魔がそう言い放つと宮殿から黄金の鎖が飛び出し、グレンデルの四肢を絡めとって動きを封じる。
「クソガァ!」
拘束から逃れようと暴れるが、暴れれば暴れるほど自由が失われていく。
「二つ、神をも畏れぬ獣理の悪行、血塗られた山河の如し!」
「グギャアアアア!」
封じられた手足に銀の槍が突き刺さりグレンデルは膝をつく。その動きは完全に止まった。
「三つ、神代の掟によって裁きを与えてくれよう!”
双魔はグレンデルの前までゆっくりと歩いて近づく。そして、ティルフィングでグレンデルの心臓を刺し貫いた。
「…………ゴハッ!」
口から大量の血を吐き出してグレンデルは前に倒れた。その目から光が徐々に消えていく。
「……クソガ……コノオレサマガニドモマケルナンテナ」
「……人食いの怪物の結末なんてそんなもんだ」
片目を瞑ってこめかみをぐりぐりしながら素っ気なく答える。
「クックック……イイナァ……テメェノソノカオ……ナブリガイモアッタシ……モウイッカイ…………コンドコソコロシテヤリテェ…………ナ」
「三度目はない……フルンティングに残っていたお前の残滓は消し去った。もう、現世に来ることはない」
「チッ……ツマラネェヤロウ……ダ…………ゼ」
ニヤリと、最後の笑みを浮かべると竜頭の巨人はサラサラと灰の様に跡形もなく消え去った。
グレンデルの倒れていた場所には気を失ったサリヴェンが倒れている。
口元に耳を近づけ、首筋に手を当てる。呼吸、脈共に問題はなくただ気絶しているだけのようだ。
「はーーーーーー!」
サリヴェンの無事を確認するとドッと疲れが押し寄せてきた。大きく息をつく。限界が来たのか結界を形成していた巨木が少しずつ消えていく。
それと同時に地面を覆っていた紅氷も舞台の外側から中央へ向けて徐々に消え、元の舞台が姿を現していく。
「ん?」
ティルフィングの刃が紅の光を帯びる。光が収まると刃は白銀から元の黒に戻っていた。
気を失ってしまったのか双魔の身体にもたれてくる。
「おっと」
ティルフィングの小さい身体を抱き寄せる。
双魔の身体も女神から元に戻る。ぼさぼさの髪は黒と銀が入り混じり、身に纏う服も魔術科のローブと遺物科の制服に戻っていた。
その数瞬後、結界は完全に消滅し舞台が外部の人間に
『い、いま!結界が消えったっス!』
アメリアの声が聞こえる。差し込む夕日が目に沁みた。
そこで、双魔の意識は立ったまま途切れた。
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