第2話「邪気喰い2」

異様なまでに紅い唇。

陶磁器のような白い肌。

眼は細く吊り上がり、頭は青々とした坊主頭。

大輔には目の前に座る僧衣の者の、性別の判断がつきかねていた。

「あ、あの、ど、どちら様で?」

寝起きで混乱した頭と、急に現れた異様な雰囲気をまとう僧衣の者に驚いて、

状況が上手く整理できない。

―ああ、そういえば、お義父さんが何かお坊さんに相談するとかって言っていたっけ......それにしても何時いつの間に?しかも勝手に家に?

「お困りなんでしょう?」

大輔の考えがまとまらずにいる内に僧衣の者は言った。

声色からも男女の区別がつかない。

どこかに感情を置き去りにした様なその声に、大輔はぞっとした。

「いや、ええ、まあ」

「お困りなんですよね?」

訳が分からないまま曖昧な返事をする大輔に、また同じ調子の声で聞かれ、

「はい」

大輔は思わず返事をしてしまった。

義父ちちが寄越した人なら、なんにしても無下には出来ないしな。


大輔の義父、妻の由香の父親は、大輔の勤める会社の大手取引先で重役を務めている。

由香との結婚は、大輔の会社での将来の地位を半ば約束してくれた様な物だった。

現在住んでいるマンションの購入費用も出してもらっている。

逆らえる様な間柄ではなかった。

「由香を、妻を助けて下さい」

「見せていただけますか?」

大輔の問いに答えずに聞かれたが、気にしている余裕は大輔にはなかった。

「あの、では、こちらへ」

大輔は僧侶を寝室へ案内した。


寝室の入口に少し足を踏み入れ由香を一瞥しただけで、

「結構です」

僧侶が部屋から出た。

「えっ?もう?それでつ…」

「何か人に怨まれたり、妬まれたりしていませんか?」

大輔の言葉を遮って僧侶が言う。

「う、うらみ?妻はそんな人にうらまれたりする様な人間じゃないです」

「奥様ではなく貴方です」

「わ、私だってそんな人にうらまれたりなんかっ」

「そうですか。本当に?出世を妬まれているとか、女性にうらまれて」

「無いです」

今度は大輔が僧侶の言葉を遮って言った。

「では、心当たりはないんですね?やましい事はないと。奥様のご容体は一刻を争うもので、原因は間違いなくどなたかに呪われていることですが、よろしいんですね?」

僧侶はどこか楽し気に大輔に告げると、ついっと玄関に向かおうとした。

「あっ!お、お坊様、待ってください」

慌てて大輔が言うと、僧侶が足を止め振り返って言った。

「有るんですね?心当たりが」

その顔には明らかな喜悦の表情が浮かんでいた。


大輔は寝室のドアをそっと閉め、僧侶に聞いた。

「そんなに切羽詰まった状況なんですか?」

「ええ。直ぐにでも何とかしないと」

「何とかって、どうすれば?」

「呪いをかけている人間の所へ直接行って、止めさせる事です」

僧侶は、淡々とした口調で告げる。

「付いてきて下さい」

大輔は、少し考えてテーブルの上に置かれていた鍵を取り、

玄関に向かいながら言った。


大輔は助手席に僧侶を乗せ車を走らせている。

嫌々ながら僧侶に行く先の人物についての説明を始めた。

「今向かっているのは、その、少し前まで付き合っていた女性の所です。元々結婚前から付き合っていて、妻との縁談が来た時に別れ話をしたんですが、別れたくないとごねられまして。迷惑は掛けないからと言われて罪悪感は勿論有ったんですが、恥ずかしながら、そのままズルズルと。それが半年ほど前でしょうか、何が有ったのか分からないんですが、その、妻と別れて自分と結婚をしろと迫られたんです。私は離婚をする気はありませんでしたので、何とか彼女を説得し、3カ月程前に別れを告げました」

「それで、その方は納得されたんですか?それ以来、お会いもしていない?」

「はい」

大輔は苦々し気に答えた。


大輔達は一時間程で目的地に着いた。

車を近くのコインパーキングに入れると、線路沿いの道路に面したアパートの前で大輔は足を止めて二階の部屋を見上げた。

視線の先にある部屋の窓は電気が消えており、不在の様に見える。

一階に有る、郵便受けの所に大輔は足を運び、

201号室「野村 京子」と書かれた郵便受けのダイアルロックを回して、

扉を開け、慣れた様子で中の天井に手をやると、

―有った。

大輔は天井に貼って有った鍵を取り出して、二階に続く階段を上っていく。


201号室に着くと、ドアノブに鍵を差し込む。

カチャリと鍵の開く音がして、大輔はドアを開け、後ろに控えた僧侶と共に部屋に入った。すぐに電気をつけて狭いキッチンを抜けて奥の部屋に入る。

6畳程の部屋の壁にコルクボードが立て掛けてあった。

そこに一枚の写真が貼って有った。

大輔はそれを見て思わず息を呑んだ。


妻の由香の写真だ。

全身が映るその写真には、

「来てたんだ?」

「うわっ」

急に声を掛けられ驚いた大輔が振り向くと、スエット姿の京子が立っていた。

「お、お前はなんだ。一体どういうつもりだ。由香に何しやがったんだ」

「何って?決まってるじゃない。呪ったの。あの人が居なくなれば、

あたしが貴方の奥さんになる訳でしょう?ねえ?お腹すいてない?今コンビニに行ってきたから何か作ってあげるね?」

京子は、部屋の隅に居る僧侶をまるで見えないかの様に大輔に近寄った。

「おい、ふざけんな、!由香を元に戻せ!」

「あははは。無理。あとちょっとで奥さん死ぬし」

「くそっ」

大輔は写真に刺さっている針を抜きにかかった。

「止めて!何するの!」

「放せ!こんなもん全部抜いてやる」

大輔が針を何本か抜いた、止めにかかる京子を突き飛ばし、

コルクボードを破壊して、一気に全部の針を抜き取った。


「なにするのよ!せっかく…あああああああああああ」

京子は急に叫び出した。

「あがあっ」

立っている京子の両脚が太ももの付け根から、と音を立てて真後ろに向いた。

続いて太い枝を折る様なバキっンという音して、両腕が後ろ無きになる。

首だけがそのままで、両腕と両脚が反対側を向いている。

「ひぃいいいいいいいい、みないでぇ助けてえだいすけぇああああ」

京子は訳の分からない事を叫んでいた。

大輔は身動きが取れない

「ああががああああ」

京子は、ふらふらしながら歩いた。

「だい・すけぇええ」

大輔は歩み寄ろうとする京子を避けた。

すると大きな音を立ててガラス窓が割れ、京子の姿が見えなくなった。


大輔が恐る恐る下を覗くと、京子は生きていた。

脚と腕は更に方向へ曲がっている。

それでも立ちあがり、奇妙なダンスでも踊るかの様に歩き出した。

手足が逆向きのせいか、戻りたいはずなのに京子は、どんどんと道路のど真ん中を歩きながらアパートから離れていく。

大輔は少しの間それを呆然と見ていたが、我に返り、

京子を追いかける為に部屋を出た。


車も人通りも幸いに無かった。

大輔は走った。

20メートル程先に奇妙なダンスを踊る京子が見える。

今では道路の右側によれて歩いている。

どうしたら良いのか分からないが、取り敢えず連れ戻すつもりでいた。

カンカンカンカン。

近くに有る踏切の警告音が鳴り始めた。

丁度、京子の居るすぐ右手に踏切が有る。

ふらふらしている京子は、今にも踏み切り側に体が傾きそうだった。


大輔は必死に走ったが、後数メートルの所で躓いてしまった。

何か大きな音がした。

大輔はすぐに立ちあがろうと、顔を上げる。

そこに、京子の顔が有った。

―戻ってきた。

大輔はそう思った。

安堵感から、両手で思わず背中を抱きしめる。

その体は

「あい・・してる」

そう言って京子が口から血を吐いた。

視線を下にすると抱きしめた京子の胸から下が無くなっていた。


「うわああああああああああああああ」

大輔は絶叫した。

そのすぐ横に、いつの間にか僧侶が立っている。

僧侶は嬉しくて、嬉しくて、たまらないといった表情で二人を見ていた。

すると、京子の血を吐いた口から、何か黒い霧の様な物が出てきた。

僧侶はそれに顔を寄せると、思い切り口を開いて丸呑みにした。

「はぁ~たまらない」

僧侶がうっとりとした声で呟く。


「何者だ?」

僧侶に声を掛けてきた者がいた。

僧侶は答えない。

声を掛けたのは道摩で有った。

距離は3メートル程離れている。

道摩と僧侶の間には大輔と、京子が居る。

―さっきのは何だ?この坊主、人間なのか?

道摩は計りかねていた。

気から判断するならば「人間」である。

異質な雰囲気と先程の行為が、道摩を慎重にさせている。

―捕まえるか。

道摩がそう判断した瞬間。

パンっ。

車のクラクションが鳴り、道摩の眼をヘッドライトの光が射た。

「ちぃ」

小さく舌打ちをして、京子の亡骸を抱いて座り込む大輔を抱え、

道路の脇に飛ぶ。

既に僧侶の姿は消え失せている。

―アレは一体……


「どういう事だったんでしょう?」

大輔のマンションで、由香の父、山下幸三は道摩に問いかけた。

道摩は由香の父、山下幸三からの依頼を受けて、呪いをかけた人物の元凶を捜していた。

人捜しに掛ける時間を省略する為に、山下に探偵を雇わせて、

娘婿の大輔と由香の人間関係を洗わせた。

するとすぐに、野村京子の名前が浮上した。

京子のアパートに向かった道摩だったが、すんでのところで入れ違いになったのである。

「娘さんは、大輔さんの不倫相手の野村京子という女に呪いを掛けられていた。恐らく、由香さんが居なければ、大輔さんと結婚出来るとでも考えたのでしょう。実際もう少しで、由香さんは呪い殺されるところでした。ただ、大輔さんがそれに気が付き由香さんへの呪物を壊した事で、野村京子はを喰らってしまったんです」

「それはつまり」

「いわゆる "人を呪わば穴二つ" というやつですよ。呪詛と言うのは誰にもそれを知られてはいけないんです。自分の願いが叶い、呪物を処理しても尚、誰にも知られてはいけないのです。誰かに知られ、呪物を壊されたとなると、何倍にもなって相手に掛けた呪いが術者に跳ね返ってくるんです」

「これまでは半信半疑、いえ、全く信じておりませんでしたが、呪いと言うのは恐ろしいもんですな。ところで道摩さん。娘はもう回復に向かっておるのは分かるんですが、その、大輔君はどうなんでしょう?今後の事も有りますしあれでも一応は婿なので」

道摩は首を振って言った。

「大輔さんは、強烈な邪気に当てられています。しばらくはあのままでしょう」

「その邪気というのは?」

「野村京子の怨念というか、他人を呪う気持ちの様なものです。まともに呪詛返しを浴びている所に立ち会い、彼女の最後まで看取ってしまったので、時間はかかるでしょう」

大輔は心神喪失状態になっている。

一緒に居た僧侶について聞きだす事が出来なかった。

依頼人である山下も心当たりが無いという。

―あの僧侶は一体何者だったのか。

道摩は疑問を抱えたま、マンションを後にした。

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