第3話「犬神憑き1」

樹々が生い茂る山の中に霧が出ている。

数メートル先も見えない様な濃い乳白色の霧だ。

霧で出来た乳白色のキャンバスに見え隠れする者が居る。

もし、その場に見る者が居たとすれば証言したであろう。

それは僧侶の姿であったと。


道摩は依頼を受けて或る村に向かっていた。

霧吹き谷村という、周辺を山々に囲まれた、村民50名足らずのいわゆる限界集落である。

村民は皆、田畑を耕し自給自足で生活をしている。

集落の中でも、ひと際大きな家が有る。

村長の矢田部権蔵の家である。

既に90歳を超えていたが、かくしゃくとしており、道摩への依頼はこの老人からのものであった。


「道摩さん。村の畑を見ていただきましたか」

「見ました」

「枯れておりましたでしょう」

道摩が村長の家に来る道すがら見えた幾つかの田畑は、確かに茶色く枯れていた。

「そうですね。それが今回の件と関係があると?」

村長は頷いた。

「村民がですな、こんなことはあまり言いたくないんですが、犬神筋のせいじゃと

言うとりましてのう。儂も年寄りですが、今どきでもそんな事を言う年寄り連中ばかりでしてな」

「農作物が枯れるのは、他にも原因が考えられるのでは?」

村長は頷いた。

「儂らもそれは考えました。ただ原因が分らんのです。ここに住んどるもんは全員、先祖代々、何百年も前からこの土地で田畑を耕しとるもんばかりです。しかし、こんな風に原因が全く分らん事で枯れるいう事は今まで無くて。それで……」

「犬神筋のせいだと?」

「はい。勿論それだけではないのです。村民全員の田畑がやられとるんですが、犬神筋の家のもんの所だけが無事なんです。そこに間が悪い事に体調不良を訴えるもんが続出しましてな。しかも体調不良になったのが、田畑が枯れたのは犬神筋のせいだと直接本人に文句を言ったもんばかりでして」

「それで犬神筋の家から犬神を欲しいと?」

「そうです。憑いてる犬神を落としてしまえば、そんな風に文句を言う人間も居なくなりましょうて」


犬神、もしくは狗神。

日本古来から伝わる憑き物とされる。

大抵は家に憑く。

蠱毒という呪術の一種とされ、

やり方などは、地方や文献によって様々だが、

代表的な物で言えば、犬を首だけ出した状態で土に埋め、

飢餓状態にする。

犬が絶命する寸前に、家の守り神になるならば餌をやると言って、

犬が吠えれば承諾したものとみなし、餌をやり、その首を斬り落とす。


犬神が憑いた家は犬神憑きや犬神筋などと呼称され、家は繁栄し、仇する者には不幸が訪れるとされる。

だが、所属するコミュニティなどにおいては忌避の対象になり、

婚姻などで犬神筋の者だと分かれば断られる。

必然的に、結婚になる事が多い。

今回の道摩への依頼は、その犬神筋の家に憑いた犬神を落とす事である。


道摩は珍しく迷っていた。

依頼を断るべきかもしれないと考えたからである。

本来ならば、憑き物を落とす事に関しては言えば、

憑かれている本人か、その家族や友人が依頼してくるものである。

それも、本人や周りが憑かれている事で困っている場合である。


まず、村の田畑が枯れたのが村民達の言う通り、犬神筋の者のせいなのか因果関係が分からない。

その後の体調不良については、関係が有る様にも思えるが、確証がない。

但し、それとて田畑が枯れた原因を証拠もなく犬神筋の者のせいにしたのだとすれば、因縁を付けたと報復されるのは自業自得と言えなくもない。

もしもこれらの事柄に何の関係もないとしたら、勝手に他人の家の守り神を落として良い訳が無い。


今、道摩が向かっているのは村長の言う、の家である。

まずは本当に犬神筋の者なのかと、村で起きている出来事との因果関係を調べるつもりであった。

ただでさえ山奥の村の集落から、さらに奥にその親子は住んでいるらしい。

舗装されていない細い山道を車で行くと、小さな土地に畑と古い造りの家が見えてきた。

そのまま進むと門が有り、表札には「清宮」の文字が有る。

道摩は車を停めて、門の中に入っていく。

中に声を掛けようとした瞬間、

「家に何か御用ですか?」と声を掛けられて振り向いた。


道摩は声を掛けられる前から気配で察してはいたのだが、

警戒させない様に、わざと声を掛けさせてから振り向いた。

そこにはこの山奥の村に似つかわしくない、色白の端整な顔立ちの細身の若い男が立っていた。

手には、山菜が入った籠を持っている。

「清宮さんの家の人かい?」

「はい。この家の息子の朋也と言います。貴方は?」

「ああ、失礼。趣味で民俗学を研究している道摩って者なんだが、この辺りの風俗とか古い習慣なんかを村の皆さんに聞いて回っててね。それで、お父さんにも話を伺えないかなと思ってね」

「そうなんですか?でも父が話してくれるかどうか」

「悪いけど聞いてみてもらってもいいかな?この村のの伝承について聞きたい人が来ていると」

憑き物という言葉に朋也の表情が一瞬変わったのを道摩は見逃さなかった。










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