第24話「道摩と赤マントの男」

道摩は夢を見ていた。

その夢の中では、あの公園での怪異に対する一連の流れが全く異なっていた。

夢の中での道摩はどちらかと言えば、傍観者であり、慧春尼一人で全ての怪異を退けていた。

しかも、僅か数時間程度の時間しか掛かっていない。

夢で有るはずなのに、時間が分かるのも奇妙で有ると、

何故なら、脳は時間を判断出来ないからだ。

道摩はそれを知っていた。

脳の受容体の中には、時間を司る領域は無い。

時間は物体(物質)ではないので、当然の事である。

脳が判断出来るのは今だけである。

過去であるという事は、それが記憶の中にあるという意識があるからであり、今を認識出来るのは実際には物を見たり聞いたりすることで、光や音を通じて、目の水晶体や鼓膜の振動が脳の受容体に電気信号を送り、事象を伝えていくことで成り立っている。

夢を見させているのが脳である事は間違いが無い。

ならば、時間が

例えば、少し寝るつもりが半分夢を見ている様な状態で目覚めると、ほんの数分のつもりが何時間も経っている事が有る。

意識が半分途切れている為に、時間の判断が出来ないせいである。

もし脳が時間の判断が出来るなら、寝て起きた時間の経過がどのくらい寝ていたのか分かるはずである。

それは記憶の反芻だ。一度体験しているという事だ…… 

そこで道摩は眼が覚めた。

道摩は夢の内容を覚えていた。

―あれが本当に起こっていた事ならば……

道摩は自問した。

一つは、ただの夢であるという事。

リアルでは有るが、記憶と脳が作り出したストーリーである。

だが、それならば慧春尼との公園での怪異に対する対応をリアルタイム、つまり時間の感覚を伴う形で見る事が出来たのかである。

これに対する答えを道摩は持ち合わせていなかった。

もう一つの可能性を考えてみる。

それは、

―タイムループか……だがそんな事が有り得るのか?

タイムループとは、

もし、そうであるならば少なくとも一度は、今回の事件に携わっていることになる。体験している記憶についての答えにはなる。

それでも尚、疑問は残る。

何故タイムループしたのか?である。

当たり前の事だが、そもそも道摩自身にはそんな能力は無い。

―偶発的な事なのか?

だがどんなに考えても、答えは得られなかった。


道摩は考えるのを止め、公園に向かう事にした。

公園に着くと、例の如く慧春尼と市川警部補が先に来て待っていた。

夏の陽射しが強く、暑いが、慧春尼は意に介した様子も見られなかった。

対照的に、警備に付いている警察官達の慧春尼に注がれる眼差しの熱さは、相当な熱気を帯びていた。

誰もが慧春尼の動向を見ている。

チラ見する者もいれば、明らかに警備そっちのけで見つめている者もいる。

当の慧春尼はと言えば、そんな事は歯牙にもかけずに佇んでいる。

慧春尼は道摩を見つけると、すぐに公園に入る様に促した。


道摩の様子を伺いながら、慧春尼は言った。

「また法力が上がってますね」

「そうかな」

「ええ。こ……」

―これなら……

慧春尼は何かを言いかけて止めた。

―まだ、話す時期ではない・・

道摩は慧春尼が何を言い掛けたのか気になったが、生憎と現場に着いてしまっていた。

余計な雑念は身を亡ぼす事になる。

―全ては終わってからだ。

道摩は眼を軽く閉じ、

「 オン・ビカラ・ソワカ急急如律令 オン・ビカラ・ソワカ急急如律令」

毘羯羅大将(びからたいしょう)の真言を唱え始めた。

道摩の知覚が拡がっていく。

神父の死体に涌いた蛆の様子までもが手に取る様に分かる。

眼を開くと数メートル先に、旧帝国陸軍の将校の軍服を着た、仮面の男が立っていた。

仮面の男のマントが風に靡いて、赤い裏地が見えた。

悠然と歩を進めて道摩に近付いて来る。

道摩の間合いに入った。

道摩は無造作に、右手に持った三鈷杵を下から斜め上に切り裂くように、仮面の男に向かってぶつけていった。

淀みなく放たれた攻撃は神速と言ってよいスピードだった。

道摩は勝利を確信した。

だが、仮面の男は消滅しなかった。

―躱された。

仮面の男は、いつの間にか道摩の攻撃の間合いのほんの少し外に居た。

道摩はゾッとした。

本能的に飛び退いた。

そこに、先程の道摩の攻撃に劣らぬスピードの前蹴りが来た。

道摩は、神父と赤マントの仮面の男の闘いを公安がドローンで撮影したもので観ていた。

神父の高速ジャブを躱し、常人では考えられない様な体勢から反撃していた事を知っていた。

その情報が無ければまともに喰らっていただろう。

―凄い奴だ。分が悪いか。

道摩の攻撃を仮面の男は、最小の動きで躱している。

一方の道摩は、仮面の男の攻撃が見えていて躱したわけでは無い。

この違いは大きい。

道摩の攻撃は当たらずに、仮面の男の攻撃だけ一方的に喰らってしまう可能性が有る。

―法力が上がって慢心したか。玄武を式神として同時に使えば、防御面をカバー出来たのに。

今更、玄武を使役する間を与えてくれはないだろう。

そう思った瞬間、正拳突きが道摩の顔面に来た。

僅かに顔を捻って躱す。

そこに、立て続けに肘、胴に回し蹴り、下段蹴りと攻撃が連続してくる。

道摩はいずれも何とか躱したが、だが最後に腹に正拳突きを喰らってしまい道摩は後ろに吹っ飛んだ。

神降ろしで身体強化されていなければ、内臓破裂で死んでいたであろう。

その位の一撃であった。

致命傷ではないがかなりのダメージを負ってしまった。


慧春尼は、苦戦する道摩をやや離れた所から見ていた。

その顔には穏やかな笑顔が浮いている。

まるで自分の子供が何かのスポーツで奮戦しているのを微笑ましく見守っている、

そんな風情である。

助けに入る、手を貸す等とは思っていない様であった。


道摩は立ち上がると、三鈷杵を構え直した。

すると、仮面の男はサーベルを抜いた。

道摩は内心動揺した。

―どこにそんなものが。

始めに見たときには、

今まさに、忽然とサーベルが現れたのである。

仮面の男は、腰を落とした。

と同時に、サーベルで神速の突きを繰り出して来た。

道摩は、三鈷杵で辛うじて受けた。

仮面の男は矢継ぎ早にサーベルの突きを繰り出してくる。

道摩はその内の一発を受け損ねた。

右肩に深々とサーベルが突き刺さる。

反射的に体が硬直した瞬間、更に左わき腹、右の太ももにサーベルの攻撃を受けてしまった。

道摩に反撃の手は思いつかなかった。

―死ぬのか。

不思議と慧春尼に助けを請おうとは考えなかった。

道摩は死を覚悟した。

急速に知覚が元に戻るのを感じていた。

神降ろしが解けようとしている。


慧春尼は、この状況下でも道摩を見つめる表情に変化は無かった。

変わらず穏やかな笑みを浮かべている。


仮面の男は、大上段からサーベルを道摩に向かって振り下ろした。

高い美しい音がした。

それは、仮面の男が持つサーベルの折れた音だった。

道摩の頭頂にサーベルが触れる寸前、道摩がサーベルの横腹を左右の手で交互に叩いたのである。

道摩は、眼を閉じていた。

雰囲気が変わっている。

普通の人間ならばすぐに気が付いたであろう。

だが、仮面の男は普通の人間ではない。

それが仇となった。

なんの警戒も無しに、折れて短くなったサーベルで無造作に道摩を突いた。

再び高い美しい音がした。

サーベルが根元から折れている。

仮面の男はサーベルを捨て、怒涛の正拳突きのラッシュを放った。

道摩はそれを空手の廻し受けの要領で全て捌いた。

眼を瞑ったままで。

仮面の男は更に、蹴りを放とうとしたが、完遂する事は叶わなかった。

道摩が放った三鈷杵が胸に深々刺さり、そのまま消滅したからだ。

「思った通り」

慧春尼は、そう呟くと道摩の元に歩を進めた。





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