第10話「道摩の仕置き」

公園の入り口では、市川警部補が煙草をふかして待っていた。

二人の無事な姿を見つけて、驚いているようだった。

「こりゃあ驚いた。てっきりあんた達もやられちまうとおもっていたよ」

「そいつは悪かったね無事で」

道摩が軽口で返した。

「いやすまん。で?どうなったんだい?」

「そこに居る、慧春尼大阿闍梨があっさりと全部やっつけちまったよ」

「な、なんだと?それは本当に?」

「ええ。市川警部補本当です。ただとりあえずはまだ、中に人は入れないで下さい」

「分かりました。慧春尼さん。他には何か?」

「はい。ついでに先日起きた、そこのアパートのも祓っていきましょう」

「え?じゃあやはりあの事件も今回の公園の事件と関係が?」

慧春尼は頷いた。

道路一本挟んだ所にある、アパートにすぐに市川警部補を筆頭に一行は向かった。

アパートに着くと市川警部補を筆頭に道摩、慧春尼と続いて中に入る。

現場になったトイレは上がってすぐ左手に有る。

市川警部補が白い手袋を嵌め、トイレのドアを開ける。

まだ血の跡が残る床は、どす黒く変色していた。

中を慧春尼が覗こうとした瞬間、

バタンっ。

大きな音を立て勝手にドアが閉まった。

「あ~かいちゃんちゃんこきせましょうか~」

子供の声が部屋中に響いた。

「な、なんだ?子供?一体どこから?」

市川警部補が辺りを見回す。

「佛説魔訶波羅蜜多心経。観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五オン皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空」

慧春尼が落ち着き払った態度で曼荼羅図を掲げ、般若心経を唱え始める。

「は、般若心経?」

市川警部補が思わず声に出して言った。

聞き覚えのある般若心経のフレーズに、何故だか市川警部補は安堵した。

道摩は慧春尼が般若心経を唱えるのを腕組みしてじっと見つめている。

急に地鳴りの様な音が鳴り始め、アパート全体が揺れた。

「あ~~~~~~~かいちゃあんちゃあんこお~~」

部屋中がビリビリと振動する様な大きな声で子供が歌う。

「くっ」

思わず市川警部補が耳を塞ぐ。

だが、慧春尼に動揺は無い。

淡々と、般若心経を唱え続ける。

「くっ」

何か苦悶するような声が聞こえたかと思うと、それきり静かになった。


「今のは?」

「赤いちゃんちゃんこ着せましょうかってトイレの個室に居ると子供の童歌みたいなものが聞こえて、着せてくれって言うと、首をバッサリ切られて、その血で赤いちゃんちゃんこを着てるかのように殺されるっていう都市伝説だよ」

「まっ、もう居なくなったけどね」

道摩が答えると、

「じゃあ、事件は解決したって事で良いのかな?」

「いや。市川警部補。残念だけどまだ終わってないよ」

「道摩さん何故だね?全部慧春尼さんが今みたいに取り除いてくれたんだろう?」

「ああ。取り敢えずはね」

「取り敢えず?てことはまた出るかもしれないって事か?」

「その通り。何故あんなもんが、この短期間の間にこの周辺にばかり出てきたのか。根本的な所が解決していないからな」

「なんてこった……」

「ところで、市川警部補。頼んでおいたあの件はどうなったんだい?」

「あれは、今手続き中だよ。もう二、三日もしたら返事がくるだろう。ただそこからまた調べるから時間はかかるぞ」

「構わないよ。ただ出来る限り早くしないと、また何かかもしれないぜ」

「分かった。出来るだけつついて早くやらせる様にするよ」


一週間後。

慧春尼と道摩はK県警の本部に市川警部補と居た。

道摩が市川警部補に頼んでいた物の結果が出たのだった。

「市川警部補これかい?」

「そうだ」

三人の机の前には、何枚かの書類が置いてある。

「思っていたよりも人数が少なくてびっくりしたよ。だがお陰ですぐに全員を特定出来た。身上書も一緒に付いてる。確認してみてくれ」

「ありがとう市川警部補。じゃあ調べさせてもらうよ」

そう言うと道摩は、書類に目を通し始めた。

何枚目かの書類でその手が止まった。

そして、ゆっくりとその書類に目を通し始めた。

しばらく考えたのち、道摩は残った書類にも目を通して言った。

「恐らくこいつだろう」

「なに?犯人か?いや、そもそもこの事件に黒幕が居たという事か?あんな化け物どもを操る人間が?」

「多分ね。だが市川警部補。あんたには申し訳ないがここまでだよ」

「な、なんだと?ふざけるな!どういう事だ!」

「じゃあ聞くが、あんた何の罪で犯人を捕まえるんだい?化け物を操って人を殺させた?証拠は?起訴出来ると思うかい?そもそも怪異や怪人物達は、そこの慧春尼大阿闍梨が全部跡形もなく消しちまったぜ?」

市川警部補は絶句した。

道摩の言う通りである。

しかし、ならば道摩や慧春尼、いや、公安特務課はどうしようというのか。

「じゃあ、犯人はそのままって事か?」

「市川警部補。表向きはねお蔵入りって事になる。だが、安心してくれと言っていいのか分らんが、俺達なりの、いや公安の特務課なりのやり方で終わる事になるよ」

「特務課なりの終わり方?それはどういう……」

道摩は首を振って答えに代えた。

知らないのではなく、教える事が出来ないという拒絶の意味だった。

市川警部補はそれで諦めた。


道摩と慧春尼は、ある大学の研究所に向かっていた。

市川警部補に頼んで調べてもらった書類の中に人物を見つけたのだ。

研究所はその人物が居る場所であった。

道摩が調べさせた書類とは、匿名掲示板についての書き込みをした人物についてである。

公園は県立公園とはいえ、全国区ではない。

書き込みの量と、書き込んだ人物にはおのずと限りがある。

調べるのに時間はそうはかからない。

但し、掲示板の人物を特定するにはサーバー側への開示請求が必要になる。

道摩はその段取りを市川警部補に最初に頼んでいたのであった。

道摩が何故、匿名掲示板サイト目を付けたのか。

「道摩さんよく気が付きましたね」

「被害者の中に、動画投稿サイトで人気の子がいたんでね。彼女が公園に行く前に、自分のSNSで、あの公園の掲示板サイトを見て行くことにしたって書いていてね。気になって見てみたのさ。それに、あの中学生の二人組。彼らも掲示板をみたとそう証言していたし。見てみれば、事件の日付より前に書き込みされた物が、後から事件になってる。順番も出てくるモノも全く一緒。おまけに証言が完璧すぎる。まるで、掲示板通りかの様にね。特に少年二人の証言は決定的だったよ。黒い服の女の服装がまちまちだった。掲示板を見れば、黒い服の女とは書いてあるが、細かい服装には言及されていない。つまり、自分がイメージしたものを見てしまった。あの黒い服の女だけは、あの公園だけのオリジナルの怪奇現象で、少年達は同じ服装を見る事が出来なかったんだ。他は、ネットで探せばいくらでも情報が出てくる一級の都市伝説ばかり。さぞ同じ情報が共有されただろうね。ここまでくれば、後は誰が書き込んだかさ。調べてみればやはり同一人物が複数の人間を装って書き込みをしていた。それも、都市伝説の何々が出るってところばかりをね。ま、何にしても、お仕置きは受けてもらわないとね」

「そうですね」

慧春尼は心底楽しそうに笑顔で頷いた。

研究所に着くとすぐに目的の研究室に着いた。

目的の人物は―

「広瀬隆教授だね?」

道摩が尋ねた。

30歳の若き天才科学者。

量子物理学及び、量子コンピューターの第一人者である。

研究室には広瀬教授一人だった。

研究室の中には、何台かのデスクトップパソコンと、ノートパソコンが有る。

「そうですが、どちら様で?」

「俺は道摩。こっちは……」

「慧春と申します」

「はあ。それで何か?」

「M県立公園。知ってるだろう?あと、その公園の噂にまつわる匿名掲示板」

「あ~あの公園。事件で有名ですからね。それに元々僕の地元ですし」

「そうかい。事件の事、掲示板に書き込んだのあんただろう?しらばっくれても無駄だよ。調べさせてもらったからね」

「……そうですか。それが何か?事件の事を書き込んだからといって一体なんの罪になるんです?そもそも警察の方?今どきの警察は尼さんも居るんですか?」

「あんた自分が何をしたのか他人には分からないと思ってるね。まあ確かに普通なら分らんし、出来る事でもないわな。量子コンピューターを使って掲示板への書き込みを現実化させるなんてこた。しかも、何の実験かを知られたくないが為に、自分のとこの研究員の学生まで殺したね」

広瀬教授の顔色が変わっていた。

「な、何をばかな事を。量子コンピューターにそんな性能はない。だ、第一証拠はどこにあるんだ。証拠は」

「ふーん。証拠ね。あんたとんでもない天才だよ。普通なら量子コンピューター完成させるだけでもとんでもないことなのに、量子力学の不確定性原理を応用して、有り得ない世界を有り得る方に任意で世界を決定させたんだからさ。あんたが使ったのは虚構実在論てやつだろう?漫画や、小説みたいな創作物が実在出来るなら、創作物の中の人物等も実在出来るはずだっていう。さぞ神様みたいな気分だったんだろうね。でも残念ながら、あんたが実在の存在にさせた奴らは、全部俺の横に居る美人さんが消滅させたよ。で、証拠なんだけど、助手務めてくれてた山田雄介君。あんたが殺しちゃった子ね。彼が直接あんただって、教えてくれたよ」

広瀬教授は笑った。

「頭がおかしいのか?死んだ人間がそんな事出来る訳がないだろう?」

「ふふ。そんなにおかしいことかな?だってあんたは都市伝説の怪人達を実在の存在にしたんだぜ。死んだ人間が語り掛けてくるってのも有りじゃないのかい?あんたお得意の確率論的にもさ。当たり前だが彼はさぞ怨んでいるんだろうな。あんたのせいで、首を切り落とされて殺されたんだから。そーらその証拠に見てみなよ。あんたの横に居るぜ」

道摩はそう言って広瀬教授の右を見た。

「ひいっ」

広瀬教授は釣られて道摩が見たところを見た。

殺された山田雄介が立っていた。

山田雄介は自分の首を小脇に抱え、広瀬教授に何かを言っている様であった。

だが、首から切り離されているせいなのか、何を言っているのか広瀬教授には分からなかった。

「俺は悪くない。か、勝手に量子コンピューターと論文を持ち出そうとするのが悪いんだ。お。お前なんか死んで、と、当然だろうが。き、消えろ!」

「う~んカマかけただけなのに、引っかかちゃうんだね。やましいことがなきゃ見えはしないのに」

広瀬教授は我に返り言った。

「あ、あんた達はこの素晴らしい研究の成果が分らないのか?どっちにしたって罪には問われやしない。世界を変える事が出来るんだ。多少の人間が死のうがそんな事は小さい事じゃないか」

「世界を変える。ねえ。でも、あんたにとって都合の良い世界だろう?そんなもんはまっぴらごめんだよ。勝手にあんたが人を殺してもいい理由にもならないしね」

「凡人があっ」

広瀬教授が近くにあったペーパーナイフを取り、道摩へ切りかかってきた。

その瞬間。

道摩が何か呟いた。

すると広瀬教授は急に目の前が真っ暗になり躓いた。

躓いたひょうしに手に持っていたペーパーナイフが何処かにいってしまった。

広瀬教授は必死に目を凝らした。

停電かと思ったが、道摩の気配も慧春尼の気配も感じない。

真の闇。

そんなものが有るとすれば、まさに今ここがそうだと思った。

自分の手さえ目の前に持ってきても見えなかった。

―これは一体何なんだ

すると遠くに、微かに揺らめく青白い炎の様な物が見えた。

研究室の大きさから考えれば不自然な遠さである。

遠すぎるのだ。

その青白い炎が段々大きくなってくる。

こちらに向かって来ているのだ。

広瀬教授がそう思ってみているうちにも、どんどんと炎が大きく見えてくる。

遂に炎に照らされたものが見えてきた。

それは、鬼の群れであった。

先頭に居る鬼は赤鬼であった。

角が二本あり、鋭い黄色の牙が口から二本生えている。

3メートルはありそうな大きな体である。

その後ろに、青鬼が居た。

赤鬼と色が違うが他の外見は全く同じである。

その後ろに居る鬼は、両足の部分が両手になっていた。

両手の部分から足が生えている。

目が三つのもの、あるいは一つ目のもの。

色々な鬼達が一列で広瀬教授目掛けて行進していた。

遂に先頭の鬼が、広瀬教授の目の前を通った。

凄まじい獣臭と糞尿の匂い、そして腐敗臭が漂った。

「うっ」

思わず広瀬教授はむせてしまった。

ピタリ。

鬼達が歩くのを止めた。

「ン?何か聞こえたなあ」

「確かに聞こえたなあ」

「聞こえた聞こえた」

「我にも聞こえた」

「我にも」

「我も」

鬼達が我にも聞こえると合唱の様に言い始める。

広瀬教授は身動きせずに息を止めた。

いつの間にか青白い炎、鬼火が広瀬教授の周りに群がっていた。

よく鬼火を見ようとして広瀬教授は気が付いた、広瀬教授の周りをびっしりと鬼達が取り囲んでいる。

ほんの20センチ程までの所に鬼達が居る。

隙間なく取り囲まれているのだ。

逃げる事はおろか身動きもままならない。

異臭はもはや耐え難いレベルになっている。

鬼の一人に目が合ったような気がした。

それは、広瀬教授が見た事の無いような凶悪で、残忍さを瞳の奥にたたえていた。

広瀬教授は恐怖で失禁した。

「臭うな」

「うむ」

「臭いぞ」

「臭い」

「臭いのう」

鬼達がまた口々に言い始める。

「ここ、かのう」

「ぎゃあ」

広瀬教授は叫んだ。

太ももの辺りを噛みちぎられたのだ。

「人間か」

「人間だな」

「喰え」

「それ早い者勝ちだ」

広瀬教授の周りに居た鬼達が口々に言う。

「あがっ。や、止めてくれ」

「それ腕を喰え」

「我は頭じゃ」

「腹も美味いぞ」

次々に鬼達は広瀬教授を喰らっていった。

広瀬教授の体は鬼達に食い荒らされ、腹からは内臓が飛び出し、頭は脳が見えていた。

しかし、激痛に苛まれながらも死ぬことが出来なかった。

気絶することも、狂ってしまうことも出来ない。

ただひたすら貪り喰われ、骨を齧られ、

気が付くと鬼達に喰われた所に肉が再び付き、

目を抉られ、鼻をもがれ、耳を拭きちぎられる。

鬼達は腹が満ちることが無い様であった。


広瀬教授は、道摩の術に堕ちていた。

道摩が術を解かない限り、永遠に鬼達に生きたまま喰われ続ける。

傍目からは、何事も無いかの様に見えるが、心は彼方に行ってしまっている。

慧春尼と道摩が研究室を出ると、公安部特務課の山村と高橋が待っていた。

道摩と慧春尼に挨拶をする。

「後は、我々が」

道摩が頷いた。公安部の人間が何人か待機していた。

表向きは、不正アクセス禁止法違反での逮捕。それに伴う家宅捜索ということなっている。

研究室の中にあるものは、根こそぎ押収される。

気が付くと、慧春尼の姿がない。

道摩が振り返ると研究室の中に居る。

「慧春尼様、ご指示を」

特務課の人間の声がする。

―慧春尼様?何故「様」付けなんだ?それになぜ慧春尼に指示を仰ぐ?

特務課の人間が、道摩に気付き研究室のドアを閉めた。


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