第8話「慧春尼と道摩」

匿名掲示板

―あの公園ヤバイな。

―伝説の怪人のオンパレードだな。

―赤いちゃんちゃんことかあの辺も出そう。

―止めろよwトイレに行けなくなるだろw


山田雄介は、トイレで苦しんでいた。

昼間に食べた食事が何か当たった様であった。

築40年のボロアパートに一人暮らしである。

魔の公園。

友人連中がそう呼んでいる、県立公園の目と鼻の先に山田の住むアパートは有る。

山田は公園には興味がないので、入った事がない。

大学生でバイトに明け暮れている。

金が無いので、食材が多少古くても口にしてしまう。

それが仇になった。

トイレに籠る時間が長くなったせいで、トイレの中がとても暑い。

山田は、自分しか部屋に居ないので涼をとる為に少しだけトイレの戸を開けた。

すると、開けたそばからゆっくりと勝手に戸が閉まった。

―なんだ?風?

風が吹いて閉まった様には感じなかったが、他に説明がつかない。

もう一度、開けた。

今度はもっと大きく開けた。

どうせ一人なのだから、誰にも遠慮する必要はない。

バタン!

すると大きな音を立てて今度は勢いよくトイレの戸が閉まった。

カチャ。

トイレの鍵がひとりでに掛かった。

「な、なんだよ」

思わず山田は声に出していた。

便意はもう引いていた。

すぐに尻を拭いて出ようと思った。

―あ~かいちゃんちゃんこきせましょうか~

「え?」

―あ~かいちゃんちゃんこきせましょうか~

どこからか、子供の声がする。

「おい止めろよ。だ、誰だか知らないけど、いたずらだろ?」

―あ~かいちゃんちゃんこきせましょうか~

「おい。いい加減にしろよ。ただじゃおかねえぞ」

―あ~かいちゃんちゃんこきせましょうか~

「びびったりしてねえぞ。やれるもんならやってみろ」

ドン!

アパート中に響き渡る様な大きな音がした。

山田は便器に腰かけたままだった。

だが、首は床に転がっていた。

血しぶきが勢いよく吹き上がり、トイレの天井を赤く染め、降り注いだ血で山田の上半身は、

赤いちゃんちゃんこを着た様になっていた。

山田の死体が発見されたのは、一週間後であった。

隣の住民から異臭がするとの通報を受け、発覚した。


市川警部補は、通報を受け現場に急行した。

現場が県立公園に近い。

道路一本分しか離れていないのだ。

死に方も含めて関連性を疑うには十分過ぎる。

しかも今回は、密室殺人のおまけつきだ。

アパートの部屋には鍵が掛かっていたのだ。

勿論、犯人が合鍵を持っていた可能性は有る。

部屋の中に物色されたような跡はない。

物取りの犯行ではないだろうと思われた。

付近の防犯カメラには、怪しい人物は例によって出てこなかった。

市川警部補は事件が公園外で起きた事に懸念を覚えていた。


市川警部補のもとに、公安からまた新たな人物が行くとの連絡があった。

山田雄介殺害事件の三日後である。

「慧春(えしゅん)と申します」

市川警部補が連絡を受けたその日に、

「慧春」は来た。

市川警部補は生まれて初めて見る、

尼僧であった。

年は20代後半くらいに見える。

そしてとびきりの妖艶さを持つ美しい女であった。

尼僧を見たのも初めてだが、長い刑事生活の中でもこんな美しい女は見た事がなかった。

署内の人間がこぞって彼女を見に来ようとしていた。

どうやら受付けの係の者が、凄い美人が来たと吹聴したらしい。

「あの何か?」

慧春尼が市川警部補に聞いた。

まじまじと顔を見ていたが為に聞かれたのだが、市川警部補は、

―声までいい女だ。

そう思ったが顔に出さない様に、

「いえ、すいません。尼さんとお会いするのは初めてなもんでしてたので。失礼いたしました」

そう答えた。

「そうでしたか。無理もありません。今、日本では尼僧は文字通り数えるほどしか居りません故、中々お目にかかる事はないかもしれませんね」

「あの、ところで、本当に捜査に加わるのですかね?」

「はい。わたくしと、もう一人」

「もう一人?」

「ええ。もうそろそろ来られるかと」

慧春尼が言い終えると同時に、二人がいる応接室のドアがノックされた。

「どうぞ」

市川警部補が返事をすると、男が入ってきた。

30代後半位の精悍な顔つきの男だった。

「道摩です。よろしく」

男はそう名乗った。

「K県警の市川だ」

道摩を見た市川警部補はどことなく、慧春尼と道摩が似ている様な気がした。

「慧春です。初めまして道摩さん」

「慧春?そうかあんたが慧春尼大阿闍梨(だいあじゃり)か。噂通りの美人……いやそれ以上だな」

「大阿闍梨?どーまさんとやら。こちらの美人さんの事知っているのかい?」

「ああ。俺達の世界では超の付く有名人さ」

「ほう。あんた達の世界ね……しかし、慧春尼さん。大阿闍梨ってのはその、お若く見えるが、お寺なんかでは相当偉い人なんでは?」

慧春尼は、市川警部補の問いに艶然と微笑むだけで返事をしなかった。

「市川警部補。その通り。最高位さ。それだけの実力者ってことさ」

道摩が代わりに答えると、

「お恥ずかしい。わたくしなどまだまだ未熟者です。それに実力者と言えば、道摩さん、貴方の方こそ陰陽師界きっての実力者じゃありませんか」

「まあね。だが、大阿闍梨あんたほどじゃあない」

「ふふ。ご謙遜を」

二人のやり取りを聞いていた市川警部補が言った。

「で?お二人共何をして欲しいんで?」


道摩の要求は、市川警部補にとっては意外であった。

先の二人とは違い捜査資料の精査と、目撃者に対してのヒアリングを求めたのである。

ヒアリングの対象は、「口裂け女」事件の目撃者である村田巡査部長、

首吊り事件の目撃者の裕太と大輔の少年二人。

そして、市川警部補自身。

慧春尼の要求は特に無く、道摩の話にただ頷くのみであった。


ヒアリングは、市川警部補からスタートした。

人面魚の事件と、「口裂け女」から逃げた件を細部に渡って二人に話す。

流石に刑事だけあり、話しに無駄がなかった。

道摩、慧春尼の二人は一切口を挟まずに聞き入った。

続いてヒアリングしたのは、村田巡査部長である。

村田巡査部長は交番勤務であったが、事件後は休職している。

自宅へ市川警部補と一緒に赴き、三人で話を聞いた。

こちらも警察官らしく調書の通りで話にブレがなく、分かりやすかった。

少年二人には、別々に話を聞いた。

その場で、お互いの話の内容を合わせる事がない様にしたのである。

出来るだけ正確な話を聞きたいという、道摩の意向であった。

三組の話を聞いて、道摩は証言に「嘘」はないと感じた。

唯一、少年二人組の話で、黒い服の女の服装が違っていたり、髪型や体系などが違っていたが記憶の話であり一瞬のことなので、むしろ信憑性があった。

警察官ではないのだ。通常は、目撃者の証言は人数が増えるほど、印象がたくさん出たきてしまい、事実が見えにくくなる。

その意味でこの公園の事件は特殊であった。

目撃者が複数の警察官を含んでいるという、これ以上にない信憑性や正確性のある人間が目撃者になっている。

道摩と慧春尼は、赤マントの男の被害者、高野恵美の最後の動画も見た。

また、公安から派遣された神父クリス井上の、赤マントの男との格闘を収めたドローンで撮影された映像も、公安に慧春尼が掛け合い見る事が出来た。

この映像に関しては、市川警部補も初見であった。

公安からの資料が回ってこないせいである。

―これじゃ誰が刑事だか分からんな。

市川警部補は、内心苦笑した。

道摩たちがやっている事は、警察がやった事のおさらいにすぎない。

唯一違うのは、公安からのドローン映像を見たことのみだ。

―これで何か分かるのだろうか?

「お二人さん。何か分かったかい?」

市川警部補は、心の内を道摩と慧春尼に正直に告げた。

慧春尼は、艶然と微笑んでいる。

道摩が言葉を選びながら話しだした。

「事件そのものは、やはり人ならざるモノ。そういったモノの仕業だと思う。」

「人ならざる……信じられん。と言いたいところだが、実際にこれだけ色々見聞きしてしまうとな。それで?解決できるのかい?最初に来た探偵も、次に来た神父も殺されてしまったが」

「厄介だよ。市川警部補。相当にね。探偵も、神父も、俺たちの世界じゃそこそこ名の有る人間だったからね」

「俺達の世界?道摩さん一体どういう世界なんだい?」

「簡単に言えば、警察が手に負えない様な事件、怪奇現象とか、平たく言えば、魔物とか妖怪とか、悪霊みたいなモノを扱う人間達の世界さ」

「しかし、何でまたそんな世界の人間が公安から派遣されてくるんだ?」

「公安には、市川警部補も知っての通り、一課、二課、外事課とそれぞれの犯罪領域に対しての部署がある。これが表向きの部署。もう一つ、それとは別に特務課ってのがあってね。今回の事件で派遣されて来てるのは、そこからの依頼だよ」

「特務課?もうそろそろ定年だが初めて聞くぞ」

「滅多に普通の事件でかち合う事はないからね。それに、特務課は実際の事件解決は俺達の様な人間に任せて、事件解決後の事後処理と、隠蔽に注力しているから市川警部補が知らないのは当然だよ」

「そんな組織が警察機構の中にあっただなんて……そうか、だからあの二人は、公安部とは言ったが何課の所属だとは名乗らなかったのか」

「今回は被害者や、目撃者が多すぎるからね。隠すよりは一般警察にも協力してもらう方向性を選んだようだね。まっ俺達にしてみればどっちでもいいことだがね」

公安部は、右左翼などの政治的思想犯や政治思想家、宗教団体や宗教思想家、外国人テロリストなどを監視、情報収集し調査している。

また、捜査の一環として潜入捜査なども行っている。

情報提供者や協力者を当該組織に送り込む行為などもしており、その任務の性格上機密事項が多く、同僚ですらどんな任務に就いているのかお互いに知らない事が多い。

例え同じ部署の人間でも、秘密を知る人間が少ない方が機密は保たれやすいからだ。

事件の容疑者が、公安案件になると一般警察には情報が降りてこなくなる事が多い。

市川警部補も、何度か公安には事件の案件そのものを持っていかれた事が有る。

「それと俺達二人で、現場に行く事にしたよ。後、市川警部補。頼みがあるんだが……」

市川警部補はこの二人が死ななければよいなと思いながら、道摩の話しを聞いた。


次の日の午後。

公園の入口には、道摩と慧春尼、そして市川警部補の姿があった。

市川警部補は、二人にそれぞれ無線機を渡そうとした。

道摩は受け取り、慧春尼はやんわりと断った。

「では、二人とも気をつけて」

市川警部補の言葉に、二人は頷いた。



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