聖夜のラストソング
「ねぇ。み……未来なの? 未来がそこにいるの……?」
真奈海のやっと出した声が、マイクを通じて会場全体に響く。真奈海本人がここに漂う数多の感情の渦に押し潰されてしまうんじゃないかって、そう思えて仕方なかった。
「うん。病院、抜け出してきちゃった」
「ちょっと! ……それって、大丈夫なの?」
「一応病院の先生には許可取ってあるよ。だから多分、大丈夫じゃないかな?」
そんな真奈海を励ますように、美歌は小さく笑いながらそう答える。
「あたしだって昨日目覚めたばかりだし、今だって車椅子で動くことしかできないけど、必要以上に動かず、歌を歌うのも一曲くらいなら大丈夫だってさ」
「昨日? ひょっとして、未来……」
「あたし、知ってるよ。昨日瑠海が、あたしの目の前で泣いてたこと」
「…………」
真奈海の顔が引きつり、さらに崩れていく様子もここからでもわかった。
「瑠海がもらったクリスマスプレゼントのことも、あたし、見ちゃったから」
「…………あ〜〜〜〜、ごめん!」
それでも真奈海は今自分が立っている場所がステージの上であることを思い出したように、見事な切り返しをしてい……るつもりなのだろう。美歌の冷やかし半分の挑発的な言い回しに、少なくとも真奈海の声が大慌てになっている件はもはやどうしようもない事実である。
……うん。でもまぁそのクリスマスプレゼントの正体が、僕とのキスであることは、ステージの上にいる糸佳さえ知らない情報だからきっと大丈夫なのだろう。多分。
「でもあたしは、それが怖くて逃げてたんだ……」
美歌の声が、途端に弱くなる。
「自分が『BLUE WINGS』のメンバーとして変わっていくことが怖くて、こんな中途半端なあたしが『BLUE WINGS』を名乗ってていいのかな?っていう不安が怖くて、こんな風に変わってしまったあたしの目まぐるしい毎日がどことなく怖くて……」
そもそも美歌は数ヶ月前までごく普通の女子高生だったんだ――
「そして何より、あたしは瑠海が怖かった。怖くて、いつも逃げ出したかった」
「未来……」
そんな女子高生が今では元国民的女優の春日瑠海と肩を並べ、アイドルユニット『BLUE WINGS』を名乗っている。もちろんそれは美歌にとっても楽しい毎日だったかもしれない。その反面、プレッシャーだって巨大なものであるに違いなかった。
だけど、美歌が真奈海を怖いと思った理由は、もちろんそれだけではないのだろう。
「……あたしね。『BLUE WINGS』をやってて本当に幸せだった。毎日が楽しくて、毎日が好きになってて、自分ってこんなに笑えたんだなって、そう思えるようになってきた。でも、だからだと思う。毎日が楽しくて好きになればなるほど、余分な感情も芽生えてきた。春日瑠海に負けたくないっていう、そんな感情のこと」
身近な存在であればあるほど、その存在に飲み込まれそうになってしまう――
「あたし、本当にバカだよね。だって、あの春日瑠海だよ? 誰でもその名前を知ってる、春日瑠海だよ? そんな人とあたしなんかが張り合ったって、あたしに勝ち目なんかないじゃない!」
「未来。それは違……」
「だからあたしは春日瑠海が怖かったの」
真奈海の反論も許さず、美歌は話を続けようとする。
「だからあたしは深い眠りについて、そのまま目を覚ますことができなかったの」
これが今回の、美歌が眠っていた理由。そう言えば前に糸佳が、『全部真奈海ちゃんのせい』とかなんとか言っていた気がする。この美歌の話が全てだとするならば、本当にその通りだったのかもしれない。
美歌の、真奈海に対する感情……いやどちらかというと、真奈海の周辺にある全ての存在から、美歌は逃げ出したかったのか。
「……あたしそんな瑠海に真っ向勝負を挑もうとしてたんだから、本当にバカだよ。瑠海の気持ちも知らないで、あたし一人の感情に勝手に押し潰されててさ」
美歌は小さく笑っていた。
「だけど、怖かったのはあたしだけじゃなくて、瑠海もだったんだよね」
そんなのもう手遅れで、今更みたいな声が胸の奥を透き通っていくように響く。
「未来……本当に、いろいろごめんね。未来をひとりにさせちゃって」
「違うよ瑠海。それは結局お互い様だったってこと。だから、あたしの方こそごめん。瑠海をずっと一人にさせてしまってたのはあたしの方だよね」
だけど美歌は何か言い間違えに気づいたようだ。目を瞑り首を横に振っている。
「ううん、少しだけ違うかな。瑠海を一人にさせていたのは、あたしたちだったんだよ」
「え……?」
一体どこを言い直したのだろう。僕はすぐに気づくことができなかったけど、そう考える間もなく、美歌はもう一度マイクを強く握りしめた。
「もう瑠海を一人になんかさせないよね。ここに集まってくれた会場のみんな〜!!」
ステージの上に設置されたスピーカーから、美歌の力強い声が一気に会場の最上段まで駆け上がった。その言葉には一瞬誰もが戸惑いながらも、次の瞬間『わぁ〜』という歓声が沸き起こる。今日一番の大歓声で、喉と耳が潰れてしまうんじゃないかってくらいの大ボリュームの渦が、すっぽりとライブ会場の空から舞い降りてきた。
歓声の中には『瑠海〜』という声だけでなく『未来〜』という声も含まれていた。数週間ぶりに向けられた自分への声に、僕の隣にいる美歌も小さく笑って応えていた。もっともVTuberの動作は茜の動きが操作を握っているから、その笑顔を堪能できたのはこの会場でも僕だけだったけど。
「さて。そろそろお後もよろしいようで……」
歓声が落ち着いたところで、進行役を任された……らしい茜が声をかける。
「そうよ茜。あんたいつまでこのステージの上にいるのよ?」
「瑠海先輩ひどっ! あたしこのドッキリのために今日徹夜だったんですけど」
「そんな目的なんか知らないわよ!! てかなんで事あるごとにわたしにドッキリ仕掛けてくるわけ? 茜、あんたわたしのストーカーなの?」
「ストーカーなのは半分否定しませんけど……ドッキリってストーカーのすること?」
「瑠海ちゃん茜ちゃん、そろそろ最後の曲始めるから準備してください!」
「そういえばイトちゃんもわたしにドッキリ仕掛けた犯人の一人ってことよね?」
「え……ああ〜、それは……全部瑠海ちゃんのせいです!」
「またそれなの〜!?? てか、犯人といえば今日はあいつも犯人なわけ?」
「先輩の言うあいつというのは一般人なので名前は出しませんが……むしろ主犯です」
「あいつ絶対に後で、こ……」
「あの〜そろそろあたし歌いたいんですけど〜。茜ちゃん、よろしくね!」
「大丈夫です未来先輩! 未来先輩よりは上手に踊ってあげますから〜」
「やっぱしこの後輩、あたし大嫌い……」
そうこう話しながら、それぞれの立ち位置に集まるチロルハイムの住民たち。
今宵はようやく全員集まって、一つのライブを完成させようとしている。
聖夜のライブはもうすぐ終わりの幕を閉じようとしている。
残り最後の一曲を、観客を含めた会場全体で創り上げるんだ。
あ、真奈海が最後に何か言いかけた気もしたけど、僕は何も聞かなかったことにしよう。
「それでは最後の一曲、いっくよ〜」
本日の座長、春日瑠海の掛け声がスタンバイオーケーを伝える。
「「ミュージック、スタート!!!」」
全員の声が揃ったところで、ITOがキーボードを鳴らし始めた。
その瞬間、隣りにいた美歌の口元が一瞬緩み、誰にも聞こえない声で何かを言った気がしたんだ。僕にもそれは聞こえなかったけど、でも口の動きから、確かにこう言ったように思えたんだ。
『みんな、ありがとう』って。
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