桂川に映る糸佳と真奈海と優一の声

 桂川の上に映る半月が随分と低い位置に見えて、今にも沈みかけている。

 僕と真奈海は夜の渡月橋を渡り、そこから川沿いを山の方へ向かい歩いていた。しばらく歩くとベンチが見えてきて、もうこの辺りでいいかなと真奈海がぺたんとそこに座った。僕もそれに合わせて、真奈海のすぐ真横に座る。夜風を冷たく感じないよう距離を縮め、すぐ真後ろにある桂川の流れを耳にしながら。

 辺りにはもちろん誰もいない。今の真奈海は変装も緩んでいるせいか、誰かに見つかったら少しだけ大騒ぎになるかもしれない。


 だけどなぜだろう。今はもうそれでもいいやって、そんな風にも思えてくるんだ。


「ひょっとしてユーイチ、糸佳ちゃんに何か言われたんでしょ〜?」


 開口一番、真奈海は唐突に僕にそう聞いてきたんだ。


「……って、なんでそういう話になるんだ?」


 僕は慌ててしらばっくれてみるが、恐らく今の真奈海には通用しないだろう。白根や糸佳、そして真奈海まで、今日は朝からずっとこんな情けない自分が続いてしまい、随分と困った具合である。


「あ〜、やっぱりそうだったんだ〜」

「……おい。僕の質問に答えてないよなそれ」

「ユーイチくん、こういう時って本当にわかりやすくて楽しいよね〜」

「楽しんでないで、頼むから人の言うことも少しは聞いてくれ」


 真奈海は小さくくすくす笑いだし、何がそんなにおかしいのか僕には理解できないほどだった。一本の街路灯に照らされた真奈海の笑みは、声とともに暗闇の中にすっと溶け込んでしまいそうで、そこから溢れ出すほんの僅かな温もりが僕を包み込んでしまいそうな気がしたけど。


「だってさっきホテルで糸佳ちゃんとすれ違った時、わたしからぴゅ〜んって逃げるように去っていったから……かな?」

「それがどうして僕が絡んでいることになるんだ!?」


 僕はそう聞き返すが、真奈海は何も答えようとしない。もっとも僕もどちらかといえばその意図を真奈海に口に出してほしくなかった。きっと真奈海だってそんな僕の本音に気づいているのだろう。


「美歌とちゃんと向き合えって、そう糸佳に言われたんだよ」


 だから僕は半分諦めて一息ついた後、真奈海にそう答えることにしたんだ。

 別に間違った回答はしていない。糸佳に言われたことだって何一つ間違っていないだろうし、端的に糸佳の話をまとめると、間違えなくこうなるはずだ。


 ――もちろん、肝心な部分については省略してあるのも事実だ。

 糸佳に言われたことがその程度であれば、僕もこんなに悩まないだろうし、真奈海がここまで突っかかってくることもなかったはず。


『優一くんは美歌ちゃんを選んでしまっているんです』


 これが糸佳から言われた言葉。それ以上でもそれ以下でもない。

 もちろんそれに続く糸佳の言葉さえも全部受けとめて……もしも美歌を向き合えないのなら糸佳を選べとか……そんな一連の言葉が僕の中で、ずっとぐるぐると回り続けていた。


 この迷いというのが糸佳の言うところの、美歌と向き合えということなのだろうか。僕はそれすらも判断できないでいる。そもそもこんな話に向き合ったところで何が生まれるのだというのだろう。それは何かが合っていて、何かが違うような気がするんだ。


 ――と、ここまでの話は、さすがに真奈海にはできそうもない。僕が話せるのはあくまで『美歌としっかり向き合え』って、その程度のこと。

 もっとも真奈海であれば、その話以上の内容を僕の顔から推察してくるのかもしれないが。


「ふ〜ん……なるほどね〜。相変わらず糸佳ちゃんらしいね!」

「……その感想こそ真奈海らしいと言うか、一体僕はどう受け止めればいいんだ!?」


 真奈海はずっと表情を変えずに、ただ笑っているだけだった。真奈海の言うところの『糸佳ちゃんらしい』ってどういう意味だ!? 何やら真奈海は僕が感じている以上のものをそれだけの言葉で汲み取っているようだ。

 だけど……。ひょっとすると真奈海は自分の感情を僕に悟られないように、敢えてただ笑っているだけなのかもしれない。そんな風にも思えてきて。

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