真奈海と噂と優一
「それで、結局美歌はユーイチとは同じ班にならなかったんだ〜」
「ああ……」
夜。十月も中旬を迎えてるせいか、十九時前でもだいぶ夜風が冷たく感じるようになってきた。もう後一ヶ月もすれば晩秋を迎え、冬と変わらないような寒さを感じる季節となるのだろう。少し前まで夏のような暑さを感じていたが、一度涼しくなると冬まであっという間という気がする。
場所は喫茶店『チロル』。今日の夕食当番は真奈海だ。食卓には例によって大量の焼きそばが並んでいる。もはや夏とか冬とか関係ないレベルで、ぶっちゃけこれだけの量を誰が食べるのだろうと思わないこともない。
「美歌、遅いね」
「ああ。美希のところ行ってくるって言ってたから、後一時間は帰らないんじゃないか?」
「そっか」
真奈海はにっと笑みを返してきた。その顔はまるで僕を試しているかのよう。
ちなみに糸佳と茜は文香さんに呼ばれたとかで、放課後から都内に出かけている。帰りは夜遅くになるかもとのこと。『イトカたちの分の晩御飯は要りません』と帰り際に言い残し、せっせと駅の方へと向かっていった。恐らく『White Magicians』のライブの打ち合わせだろう。今頃文香さんお得意の高級料亭で食事でもしているのかもしれない。
「……な、なんだよ?」
真奈海は自分用の小皿に取った焼きそばをするすると口に運ぶと、まるで僕の顔に何かついてるんじゃないかと思わせる程度にじっと見つめてきた。僕は思わず視線を逸らすが、真奈海はめげずに追いかけてくるんだ。
今日の喫茶店『チロル』の晩御飯は美歌も糸佳も茜もいないため、真奈海と二人きり。
「ううん。別に?」
「……さっきから妙な真奈海の視線を感じるんだが??」
「気にしなくていいよ。ユーイチがいつもどおりならそれで」
「それ、どういう意味だ???」
やはり真奈海は僕に何かを試している……?
「ユーイチ君は美歌と一緒の班じゃないことに、ショックを受けてないのかな〜って」
「ば………」
僕は一瞬何かを言いかけて、だけどそれを言うのを止めてしまった。なぜそうしたのか……正確な答えはない気もするけど、ただここで何か否定するのも真奈海のペースにハマるだけと感じたからだろうか。
「あれ、ユーイチ。否定しないんだ〜?」
「昼間から変な噂を聞かされて、無駄に否定するのも疲れるだけって感じかな……」
「ああ〜、例の噂話のこと?」
「って、真奈海もその噂を知ってるのか!?」
真奈海のクラスと僕のクラスはかなり距離的に離れてると思うんだが。美歌との例の噂を真奈海が知ってるって、どれだけ広がっているのだろう。恐ろしい限りだ。
「だって〜……あの後夜祭のキスのこと、他にも見てた人がいたらしくてね〜」
「ちょっと待って。『他』って何? 『他』じゃない人って誰のこと???」
真奈海はぷいと僕から視線を逸してしらばっくれている。薄々予感はしてたけど、やはりあの時真奈海は……。
「で、美歌と同じ『BLUE WINGS』のメンバーだからって、わざわざわたしに確認しに来てくれた女の子がいたの。親切な子だと思わない〜?」
「親切っていうか……」
命知らずだなその女子は!? まぁ僕と真奈海の関係なんて知るはずもないのだから、無理もないのかもしれないけど。……僕だってこんな微妙な距離関係、よくわからないくらいだし。
「だからわたしね、ちょっと面白そうだったからせっかくだしその話の中に『プロポーズ』ってキーワードも上書きしておいてあげたの」
「なにをどこにどう上書きしたって!??」
「そしたらいつの間にかユーイチが美歌にプロポーズしたことになってたりしてね〜」
「てか犯人は真奈海、お前だったのか!!?」
楽しそうに話す真奈海。こんな話のどこが面白いというのか。
というよりその話は真奈海にとっても決して面白い話ではないんじゃないかって、そう思えて仕方なかった。だとすると真奈海はどういう意図でこんなことを……?
「……だけどさ。ユーイチはそんな噂話にも動じないでいてくれる」
そんな僕の不安をかき消すように、真奈海は静かな声を胸の内側から発生させる。僕のことを完全に見透かしていて……何もかもわかっていて、何もかもを信じ切っているような、そんな落ち着きのある声だった。
「そんなの、真奈海だって噂とかいつも物怖じしてないじゃないか」
「わたしはわたし。ユーイチはユーイチだよ?」
「……それ、どういう意味だよ?」
真奈海はテーブルに頬杖をついたまま、もう一度僕に微笑みかけてきた。
女優として魅せた春日瑠海の笑顔ではなく、あるいはステージの上で輝くアイドルとしての春日瑠海の笑顔でもなく、あくまでそれは一人の女子高生である春日真奈海の笑顔であって……
――僕だけにくれる、僕にとってご褒美のような、そんな笑顔にも思えた。
「だって、噂は噂だもん。それにユーイチは、わたしにとっての……」
「真奈海……?」
真奈海の甘い囁き声。今にも時が止まってしまうのではないかって、そんな魔力が僕をブラックホールの中へと誘ってくる。
「こうしていると、なんだか夫婦みたいだよね!」
真奈海は最後にそう言って、僕をからかってくるんだ。
からんと喫茶店『チロル』のドアが開く音が鳴ったのは、その時だった。その音に僕は一瞬びくっとなり、おろおろとした態度をしてしまったかもしれないが、多分誰にも気づかれなかったと思う。
帰ってきたのは美歌ではなく、ぷくっと口を膨らませた糸佳と、例によってそれを面白そうに黙ったまま観察している茜だった。さらに後ろには文香さんの姿もある。
「ちっ」
「……お、おい。真奈海?」
その小さな真奈海の舌打ちが正直余分だと思うのは、僕の気のせいだろうか。
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