美歌が仕組んだ実験

「つまり私は、『欲望』というものが発生しない仕組みなんです」

「ちょっと待てよ。なんらかの入力に対してその答え、出力を発生させる。それがAIの仕組みじゃないってことか?」

「いいえ、その部分はそれで合ってますよ」

「え……?」


 つまり今美歌が話している内容は、AIの『仕組み』についての話ではない……?


「AIが入力を受け付けると、出力を発生させる。その箇所については管理人さんの仰るとおりです。でもその発生させるものはあくまで『人間が求めた答え』であって、『私が求めた欲望』ではないってことです」

「待て待て。わかるようでよくわからない。結局何なんだそれは?」


 今にも僕の頭はパンクしそうだった。やはりAIの脳というのは人間の理解を遥か上回ってるんじゃないかって、そう思えるような話の展開だ。これは単に、僕の勉強不足というやつなのだろうか??

 すると美歌は顎の部分に手をやり、困り果てたような顔をしてみせる。そういう部分だけはちゃんと人間ぽい行動をするってそれもどうなんだという気もしなくもないけど、とりあえずそこは突っ込まないでおくことにする。


「管理人さんにもわかりやすいように説明したつもりだったのですが、管理人さんの頭がこれほどまでとは思っていなかったので、少しショックを受けています……」

「いやいやそれを当たり前のように言われる方がよほどショックなんだけどな!」


 突然こんな話を聞かされて、一体どれだけの人が完全に理解できるというのだろう。もちろん僕にだって半分くらいは理解できてるつもりではあるけど……。


「そんな痛々しい管理人さんを励ますため、少し実験をしてみましょう」

「励ましてくれるんだったら、それって励まし方が違うんじゃないかな!?」


 美歌はにっと笑みを溢し、僕にそう提案してきた。一体何を企んでいるのだろう。その不気味な笑いは、完全に僕を試しているかのようなそんな態度だ。

 ……てか僕って、そんなに痛々しい人間なのだろうか……?


「それでは管理人さん。実験開始に当たって、まずは目を瞑ってみてください」

「え……?」

「いいから早く瞑ってください。そしたら自分の心の中で思い描くのです」

「思い描く……?」

「自分が今いるこの状況で、本当にしてみたいと思えることを……」

「そんなのって……」

「いいから早く!!」

「……あ、ああ」


 半ば強引にAIの美歌から脅迫されてしまった僕は他に為す術もなく、美歌の言うとおりに目を閉じた。そして僕が『本当にしてみたいこと』というやつを思い描いてみる。ほんの数秒。目を閉じたまま……。

 ……が、結局それというのは何であるのか、自分にもよくわからなかった。


「ひょっとして管理人さん、自分の希望というものをイメージできないのでしょうか?」

「え……?」


 希望……? それこそなんのことだろう?


「そしたら、そんなさらに痛々しい管理人さんにはヒントを差し上げましょう」


 美歌のくすっと笑う声が僕の耳に届いてきた。……てかさっきからこのAI、一言余計な気もするんだけどな……。


「もう間もなく、学園祭の特設ステージでは後夜祭のイベントが始まります」

「ああ……それが……?」


 学園祭の特設ステージとは、今日チロルバンドが演奏した巨大体育館ではなく、いわゆる講堂のこと。当然収容人数も体育館の非ではなくて、糸佳も『本当なら講堂が使えればよかったのですが……』とぼやいていた。あいにく同じ時間に講堂では先約のイベントがあったため、チロルバンドは体育館で行うことになったんだ。

 その後夜祭では、もうすぐ『White Magicians』のライブも始まるはず……。


「管理人さんはその後夜祭のジンクスの噂を、ご存知ですか?」


 どこにでもありそうな後夜祭のジンクス。そういえば昨日茜もその話をしてたよな――


「ああ。でもうちの学校のはさすがにちょっとハードルが高すぎるっていうか……」


 後夜祭のジンクスなんてどこにでもありそうな話であるがゆえ、あまり話題になることも多くはない。しかもうちの高校のそれは、高校生には少しハードルが高い行為に思えて、どこか実感が湧きにくいものだったんだ。


「管理人さんがそう仰るなら……それでは、試してみましょうか?」

「え、なにを…………?」


 美歌の声が耳に届くのと同時に、どこからか急に体温が近くなった気がした。

 体温……? 誰のだろう?? 少なくともこれは、僕のではない。

 僕は少しだけ躊躇した。

 だが迷う時間など全くなく、次に誰かの小さな吐息が僕の耳の鼓膜に伝わってくる。

 手には汗。……これは恐らく、僕の手汗だ。


 しまった――


 ようやくそれを認識した頃には既に時は遅く、僕は声も出せない状況に置かれていた。

 唇には柔らかい体温がすっぽりと覆いかぶさっていて、そのせいで身体が硬直していく。


 僕はゆっくりと目を開いた。


 案の定、美歌の顔が目の前にある。するとどういうわけか次第に硬直が解けていった。

 そして身体の自由が開放されていくのと同時に、ゆったりとした時間だけが流れていく。


 ――そう。何もかもが遅すぎたんだ。

 それはもう完全に、手遅れで……。


 だからもう一度だけ、目を瞑ることにしたんだ。

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