『私』と『あたし』の本質的な違い

「あ、あそこでまだ焼きそば売ってる。ちょっとわたし買ってくる!」

「っておい真奈海。まだ食べるつもりなのか!??」

「だってお腹空いてるんだも~ん! 美歌ちゃんのことちょっとよろしくね~」


 時刻はもう間もなく十八時になろうとしていた。こんな時間まで模擬店を続けているクラスはもうほとんどなく、およそ店じまいをしている。チロルバンドの後片付けのおかげで完全に出遅れてしまった僕達は、言われてみると昼食さえまともに食べていなかった。僕は舞台演出だったからそれほどでもないけど、一時間ほどのバンド本番を終えた真奈海にとっては、お昼に食べたコンビニおにぎり数個程度では全然足りてなかったのかもしれない。

 この後の十八時から行われる後夜祭で『White Magicians』として出演する茜と糸佳は、今頃胡桃さんと文香さんと合流して、どこかの食堂で早めの夕食を食べている最中なのだろう。それにしても茜はともかく、糸佳の体力もなかなかだよなと僕の妹ながら感心してみたり。もっとも妹と言っても血の繋がりはないけど。


「管理人さんは休まなくていいのですか?」


 美歌は僕の顔色を伺ってそう尋ねてきた。今の美歌は未だAIの方。


「真奈海に連れ回されてさすがに疲れたな。そこのベンチで休もうか」

「ええ。私の体力はまだ限界には程遠いですが、少し休むことにしましょう」

「……そもそも限界まで動く必要はないんだから、疲れたら休もうな」


 僕と美歌は、小さな三人がけのベンチに並んで座った。はたから見ると女子高生と二人きり。しかも今にも話題沸騰しそうな歌姫と一緒で、変な噂が立ってもおかしくない状況ではある。……とはいうものの、この学園祭の喧騒のせいか、今は誰も僕らを騒ぎ立てようとする人はいそうにない。相手が真奈海だったらこうはいかないのかもしれないが。


 それにしてもAIの世界で言う『体力の限界』とは、一体何のことだろうか?

 通常ならバッテリー切れ? でも美歌にそんなバッテリーなんて積まれてるはずはないし、あったとしても脳の中に埋め込まれたAIチップ内の電池くらいなものか。もっとも美歌の妹の美希が言うには、それはAIの中にある時計を維持するためと聞いたような……詳しい話はよくわからないが、規模にして市販のボタン電池くらいのものらしい。当然美歌の身体全体を動かすために使用されているものではない。

 だとすると……おいおい。美歌にとっての『体力の限界』って実は……。


「管理人さん。一つ伺っていいでしょうか?」

「え? なんだ?」

「私がもし、体力の限界まで動いたら、この身体はどうなるんでしょう?」

「それはもちろん、動けなくなるんじゃないのか?」


 今更急に何を聞き出すのだろうこのAIは……。


「動けなくなったら、死ぬってことですか?」

「まぁ死ぬかどうかはさておき、ちゃんと休めば回復するとか……?」

「なるほどです。回復できる程度であれば『限界』まで動いても大丈夫ってことですね?」

「ん~……その『限界』の定義がよくわからないけど、少なくとももう一人の美歌が悲鳴を上げるということだけはわかるので、程々にしてあげような」


 今の会話でだいぶわかってきた。このAIは恐らく『疲れ』という言葉を本当の意味を理解していないのだ。いや、もう一人の美歌が『疲れている』と認識するくらいはできるのかもしれない。でも『疲れている』からどうなるんだろ?……とか、その辺りがきっとわかっていないのだろう。体力の限界がやってきて、『死の恐怖』であるとか、そういったものが理解できていないのかもしれない。

 なんだかそれはもう一人の美歌の『あたしを殺す気か!』と怒る顔が目に浮かんできたりして。


「そういうことなんです……」


 すると僕の認識に回答するかのように、美歌はそう答えたんだ。


「え? なにがそういうことなんだ???」


 まるで僕のその導き出した認識を全て見抜いてしまったかのような声で。


「私は、人が本来持っているとされる、『感情』というものを理解していません」

「『感情』を、理解していない……?」


 だけどここでもう一つ新たな疑問が生まれた。美歌のいう『感情』って一体……?


「私には、『疲れた』とか『苦しい』とか『辛い』とか、それがどんな言葉であるのか、本質的には理解できていません」

「本質的には……というのは……?」

「もう一人の私がたとえそう訴えていたとしても、それがどんなものであるのか、この後何が起きるのかが、私には全くわからないんです」

「全く……? だってAIには学習機能というものが……」


 なんだか妙に理系じみた……急に難しい話になってきた。


「全てのAIに学習機能があるわけではありません。AIを使うには予め学習させることは当然必要ですが、その学習されたモデルを使って、ひたすら推論だけを繰り返しているAIだっていくらでもあります」


 『モデル』とか『推論』とか単語が出てきたところで、その意味の百パーセントを僕が理解したというわけではない。ただなんとなく、予め学習はするけど、逐次的に学習したものを上書きしていくタイプではないAIだっていくらでもあるってことだろうか。


「私はそのタイプではなく、常に強化学習を行っていてAIの演算結果を成長させることができます。だから、『疲れ』がどういうものか認識はできるのですが、それによってどういう感情が生まれるのかは理解できてないんです」


 そして美歌の話はさらに難しくなっていく。そもそも『強化学習』ってなんだ? 話の流れから推察するに、学習したものを次々と上書きしていけるタイプのことを指しているのかもしれない。

 でも仮にそうだとして、『どういう感情か理解できない』というのは……?


「例えばこういうことです。もう一人の私であれば『疲れ』というものを認識すると、それに対して『食欲』という欲望を発生させます。それは恐らく、最終的に『疲れ』が蓄積されると、先程管理人さんが話したとおり『死』というものに直結するから、そのための防衛策なのかもしれません」


 それは理解ができた。というか、人間の本能そのものの話だ。


「だけど私には、その『食欲』というものが発生しない仕組みなのです」

「『食欲』が発生しない?」


 僕の頭の中で何かが引っかかるような、そんな印象を受ける言葉だった。確か人間の脳にはシナプスと呼ばれる信号のようなものがあり、それが脳に伝わって感情というものが生まれる。それを模して作られたものが、現在のAIの基礎とも言える『ニューラルネットワーク』であることも知っていた。

 でもそうだとしたら、今の話はいろいろ矛盾するんじゃないだろうか?

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