地下スタジオにいた先客

 女子高生一人分の荷物だけあって、それほど量も多くなかったのか、お昼前には全ての荷物が二〇三号室に運び終わった。糸佳ちゃん曰く、『イトカの荷物だったらこんなに早く終わりませんよ~』とか言ってたけど、きっとそれは糸佳ちゃん自慢の音響機材と比較しているからであって、恐らく比較対象として間違っているのだろう。

 午後になるとあたしが二〇三号室にお邪魔して、茜さんの荷物整理を手伝うことになった。管理人さんが女子部屋の片付けとかさすがに論外として、糸佳ちゃんは自分のお仕事である作曲作業に追われ、真奈海さんはというと暇そうにはしていたけど朝にあんなことがあったせいか、自分の部屋から出てこようとしない。そんな理由であたしが一人手伝うことになったんだ。

 まぁもっとも、午後になるとAIの方のあたしが出てきてしまったため、茜さんの部屋は片付くどころか逆に荷物が部屋中に散乱してしまったんだけどね。何も知らない茜さんは『美歌さんって時々面白い人ですね』とか苦笑いを浮かべていたけど、もはや返す言葉も何もない。本当にごめんよ……。


 夕食はチロルハイム名物、糸佳ちゃん特製カレーだ。

 茜さんは文香さんから『糸佳のカレーにだけは気をつけなさい』という謎の伝言を受けていたらしいけど、一口食べてようやくその意味が伝わったらしい。が、当たり前のように食べる他のチロルハイムの住民たち、特に春日真奈海を前に闘争心が湧いてきたらしい茜さんは、顔色こそ青く染めながら、ポーカーフェイスで黙々とカレーを食べていた。とはいうものの、茜さんだけ他の住民より倍の時間をかけてカレーを食べ終わったわけで……。

 それにしてもこの糸佳ちゃんのカレー、そんなに言うほど辛いかな~?


 夕食後、あたしは一旦部屋に戻ると、ふと思い出したようにチロルハイムの地下にあるスタジオへと向かった。その理由は何となく、一人で歌を歌ってみたくなったから。

 今日は朝からいろいろありすぎて、このもやもやを晴らしたいと思ったんだ。


 ……ところが、地下スタジオには先客がいたんだ。


 彼女は、Tシャツ一枚で汗をだらだら流しながら、音楽に合わせてひたすらダンスの練習をしている。あたしがドアを開けたのに気づくと、スマホから流していた音楽を止め、あたしの顔をちらりと確認したんだ。


「あれ、美歌さん……?」

「ど、どうも……」


 邪魔しては悪かっただろうか。あたしがスタジオに来たのは大した理由ではなかったから、そのままドアを閉めて立ち去ろうとする。だけど真奈海さんは……


「あ、ちょっと待って。せっかくだから、一緒に歌わない?」

「え? あたしと……?」


 あたしを呼び止め、突然そう提案してきたんだ。


「……あ、道理で夕食の時から態度が変わったと思ったんだ」

「え、なんのこと?」

「いつのまにか『あたし』の方の美歌さんになってたんだね?」

「あ~……夕食前まではもう一人のあたしが引っ越し作業を頑張ってたんだけどね」

「ひょっとして、糸佳ちゃんの激辛カレーのせい?」

「そうみたい。一口食べたら入れ替わってた」

「ふふっ。相変わらずだね」


 AIであるあたしは、糸佳ちゃんのカレーが大の苦手であるようだ。妹の美希曰く『AIのお姉ちゃんは強い刺激物を食べると脳の回路がオーバーヒートを起こす』とか解説してたけど、それは今でも変わりないようだ。


「ねぇ美歌さん。何歌おっか?」

「いやでも……あたし、練習のお邪魔しちゃったかな……?」


 あたしが申し訳なさそうに返すと、真奈海さんは小さく笑みを零した。


「大丈夫。わたし、夏休みの間はほとんど本番ないから……」


 そして、弱々しい声ではっきりと、そんなことを言ってくるんだ。


「でもだったら、尚更……」

「違うよ美歌さん。それはきっと……たぶん、違うんだよ……」


 真奈海さんは首を横に振りながら、あたしの言葉を否定しようとする。


「だって、茜の言うこと、何一つ間違ってないもん」


 真奈海さんは『茜の言うこと』とは言うけど、それがどの話の内容のことを指しているのか、わからなかった。茜さんは真奈海さんに対する憧れを目一杯詰め込んで、真奈海さんは茜さんの期待を目一杯背負いこんで……。そんなやり取りだけが繰り広げられてたということくらいしか、あたしにはわからなかったから。


「わたしはね。アイドル、失格なんだよ……」


 すると真奈海さんは、大きなポケットの中から一つだけを取り出して、そう言ったんだ。


「そんなこと……ないんじゃないかな?」

「ううん。そんなこと、あるんだよ。きっとそれは、みんなに見抜かれてたんだよね……」

「見抜かれてた……?」


 何を……? そんな疑問が頭に浮かんできたけど、なぜか言葉にできなかった。だけどその疑問を見透かされたのか、真奈海さんはその話の続きを、そのまま続けたんだ。


 ほんの少しだけ上を向いて、真奈海さんは――


「わたしは、一人の男の子に振り向いてほしくて、アイドルになった……」


 その瞬間、あたしの胸は少しだけドキッと揺れたんだ。

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