糸佳と真奈海 〜すれ違い〜

 糸佳と真奈海は小高い丘を降りてきて、お寺の境内の入口付近にあった小さな小屋へ入った。ずらりと華やかな商品が並ぶ、お土産売り場だ。糸佳の両親はまだ境内を散策中らしく、先に散策を終えた二人は、ここで両親と落ち合うことになっていたんだ。


「真奈海ちゃん。これ、見てください。綺麗ですよ!」


 糸佳が手にしたのは、花柄の栞だった。クラスメイトの間でもちょっとした著名な読書家になりつつある糸佳は、実は栞を数え切れないほど持っている。ただ、それら全てを使いこなせているかと言うとそういうわけでもなく、糸佳が購入したおよその本はすぐに読み終わってしまうため、栞の出番はほんの僅かな時間しかないのだ。つまり栞に関して言うと、ただのコレクターとなっていた。

 なお、やはり手に余ってしまう栞は、隣の家に住むクラスメイトの男子にあげていたりする。そのため、その男子の部屋にも同じように栞が多数転がっていた。さらに残念なことに、その男子は文句を何一つ言わず糸佳から栞を受け取ってしまうため、糸佳からは『栞マニア』だと勘違いされているようだった。


「ほんとだ。……あ、糸佳ちゃん。こっちのも可愛いよ〜」

「ですです! 素敵な栞が沢山ありますね!!」


 真奈海もその女優という職業柄、比較的本は読む方だ。台本に書かれた台詞をすぐに覚えられるのは、元はと言うと読書好きの性格から得た技術かもしれない。だから栞に関しても、それなりのコレクションを持っていた。もっとも、糸佳ほどではないが。


「……あ、そうです。これ、誕生日プレゼントにいいかもしれません!」

「誕生日プレゼント???」

「はいです! 今月末に誕生日を迎える、クラスメイトがいるんですよ」


 すると何を思ったか、糸佳は隣の家に住むクラスメイトの誕生日プレゼント用に、栞を選ぼうとしていた。もし本人がこの場にいたら、確実に『いや、もういいから』などとそれっぽく拒否していたかもしれないが、糸佳にしてみたらそんなクラスメイトの気持ちなどお構いなしだ。


「へぇ〜。糸佳ちゃん、そのクラスメイトと仲がいいんだね?」

「ん〜……どうなんでしょう? ただ隣の家に住んでるだけですけど」

「隣の家?」

「はいです。チロルハイムの隣の家に、イトカのクラスメイトが住んでるんですよ。今度、真奈海ちゃんにも会わせてあげますね!」


 糸佳はにっこりとした笑顔を真奈海に返していた。同時に、友人の少ない真奈海は、糸佳に強い憧れを抱いた。隣の家に同じ年のクラスメイトが住んでいると聞けば、尚更その憧れは強かったことだろう。


「……うん。わたしもその人に、会ってみたいな」


 だが真奈海は持ち前の笑顔で、憧れの顔を完全に覆い隠した。高校生の糸佳であればその真奈海の表情の変化にもすぐに気づいたかもしれないが、小学六年生だった糸佳がそれを紐解くには、あまりにも幼すぎたんだ。


「もちろんです! 鈍感で、しょうもない人ですけど、真奈海ちゃんにも今度会わせてあげます!」

「鈍感なんだ……」

「鈍感です。超鈍感です!! ほんと、だらしないんですよ」

「へぇ〜、面白そう……」


 糸佳は笑いながら異様なほどの反応を見せるので、真奈海はただ笑ってそれをごまかすしかなかった。もっとも正確な理由は、糸佳とそのクラスメイトの関係性が少し気になったからに他ならないが。

 恐らくこの時間、そのクラスメイトの男子は、大きく嚔をしていただろう。


「面白いことなんてないですよ。つまらない人です!」

「糸佳ちゃんの口ぶりからは、とてもそうには思えないんだけどな」

「そうですか……? う〜ん……そんなことないはずなのですけど」


 糸佳は不思議そうな顔を、真奈海に返していた。なぜ真奈海からそんなことを言われたのか、本気でわかっていないようだ。それとは逆に真奈海の方は、一つ合点したことがあったわけだけど。


「ねぇ糸佳ちゃん。そのクラスメイトって、男の子でしょ?」

「……え、なんでわかったんですか!??」


 真奈海は糸佳の素っ頓狂な反応っぷりに、ただただ笑うしかなかった。

 こうなってしまうと、完全に話のペースは真奈海のものだ。


「だって糸佳ちゃんはそんな面白くない人に、誕生日プレゼントをあげようとしてるんだよね?」

「ですです。隣の家に住む、クラスメイトですから」

「つまらない人って言いながら、栞をあげちゃったりするんだ〜」

「はいです。つまらない人ですよ? だからイトカが、その人を変えてあげようとしてるんです!」

「鈍感な人のくせに……?」

「はい。超鈍感です。だからイトカ、超大変なんですよ?」


 こんなやり取りしている間も、真奈海の笑みは徐々に大きなものへと変わっていった。糸佳にはその理由がわからなくて、『なんで笑っているんだろう?』と、疑問で溢れた顔を真奈海に返しているのだが、それが真奈海にとって逆効果であることは、もはや言うまでもない。


「やっぱり、男の子なんだ……」

「はいです! ……あれあれ? それでなんで男の子だってわかるんですか?」


 そんなに本を読んでいるなら、なんで気づいてないのだろうと。

 ただ純粋無垢である小学六年生の糸佳には、それがどうしてもわからなかったんだ。なぜならその生活が、あまりにも自然で、あまりにも身近すぎたから。


「糸佳ちゃんは、その男の子のことが、本当に大好きなんだね!!」


 ――そう。だからこそ、真奈海はそれに気づいたのかもしれない。

 真奈海には圧倒的に欠けていたものが、そこにあると気づいてしまったから。


 真奈海が手を伸ばせば伸ばすほど、遠くへ行ってしまうもの

 追いかければ追いかけるほど、手の届かない場所へ行ってしまうもの――


 それを糸佳は持っていた。しっかりとその手に掴んでいた。

 それは真奈海にとって、本当の意味で、憧れだったかもしれない。

 でも、それだけの意味では、到底なくなっていた。


 そこにあるのは間違えなく、嫉妬だったんだ。


 真奈海はまだ笑っている。

 ただそこへ、ほんの僅かばかりの溜息が混ざってしまっていた。

 その溜息は、海のように深くて、冷たくて――


 だけど、そんな溜息を真奈海は隠し切ることができず、その微妙な顔の変化を糸佳に見抜かれてしまったんだ。糸佳が笑われている理由はまだわからないけど、そこに少しだけ変化が生まれ始めてしまう。


 純粋無垢で真っ白だったはずの糸佳。

 それがほんの少しずつ、色が濁り始めたのは、この時からだったんだ――

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