美歌の顔
「へぇ〜。このお寺で真奈海さんと初めて会話したんだね?」
あたしと糸佳ちゃんはお寺で紫陽花巡りをした後、そのお寺の境内の入口にある喫茶店で、アイスコーヒーを戴いていた。紫陽花が広がる小高い丘の上からは、晴れていれば海まですっきり見えただろうけど、今日は曇っているせいか、あまり良い景色とは言えなかった。ただ糸佳ちゃんに言わせると、前に真奈海さんと来たときは雨が降っていたからもっと見えなかったんですよ〜とのこと。梅雨入りした六月の天気だもんね。ある意味仕方ないものを感じる。
とはいえ、そんな天気だからこそ、紫陽花が映えて見えた。真夏の青々とした青空の下に紫陽花が生えていたとしても、ただ暑苦しいだけのように感じる。こんな曇った天気で風情を感じてしまうのは、紫陽花の特権かもしれないよね。
「はいです。真奈海ちゃんのデビュー作とも言える、あの連ドラの撮影中の頃のことですよ。真奈海ちゃんはまだ小学生で、名古屋から一人で新幹線に乗って、東京まで通ってたんですから!」
「今でも真奈海さんかっこいいけど、その当時から十分かっこいいね……」
日帰りで東京に通って、仕事はというと連ドラの撮影。しかも主役。
……実際、そんじょそこらのビジネスマンより、よっぽどかっこいいんじゃないだろうか。さすがは日本を代表する国民的女優。小学生当時から完全に規格外だよね。あたしは思わず苦笑いを浮かべるしかない。
「……ですよね。イトカには、なかなか真似できそうにないです」
「確かに。……で、真奈海さんとはここで打ち解けることができたんだね?」
「う〜ん……それは結局、どうなんでしょう?」
「え、違うの???」
糸佳ちゃんはそれとなく否定してみせた。まるでこれ以上聞いてくれるなみたいな、そんな表情を見せてくる。……と、そうかと思った刹那、糸佳ちゃんは突然小さく笑ったんだ。
「だってここは、真奈海ちゃんではなく、お兄ちゃんとの思い出の地ですから」
言われて思い出したけど、確かにここ鎌倉は、真奈海ちゃんとの思い出の場所ではなく、管理人さんとの思い出の地だと前から言っていた。でもさっきの会話の中には、糸佳ちゃんと真奈海ちゃんの会話の中に管理人さんが出てくるものの、それ以上の話は何一つ出てこなかった。結局のところ、『管理人さんとの思い出』とはなんだったのか。
う〜ん……わかるようなわからないようなわかりたくないような……?
「あれあれ? 美歌さん、そんな顔するんですね??」
「……へ?」
するとなぜだか糸佳ちゃんは、あたしをからかうような顔で見てきた。
あたし、何かおかしな顔をしたかな??
「そんな顔をするってことは、今はAIじゃない方の美歌さんですね?」
「……え? ……あ、うん。そうだけど……?」
確かに糸佳ちゃんの言う通りだった。境内で紫陽花を眺めていたら、突然もう一人のあたしの足が止まって、気がつくとあたしがあたしに戻っていた。そのおかげで行きたい場所に行けるようになったし、自分の好きな角度から紫陽花を眺めることができた。突然入れ替わった理由はよくわからないけど、この時ばかりは入れ替わってもらえたことに感謝しかなかったんだ。
それはそれ。なんで糸佳ちゃんはあたしだって気がついた……?
「美歌さん、まるで五年前のイトカです……」
「へ? それって、今のあたしのこと???」
はて。思い当たることが全くない。
今のあたしと、五年前の糸佳ちゃんとの共通点……
……それって、なんのことだろう???
「でもだからって、真奈海ちゃんに言われたことを、ここで美歌さんに言うつもりはありませんからね!」
「ほぇ……!??」
糸佳ちゃんは相変わらず、あたしをからかうようにそんなことを言ってくるんだ。
「でもひとつだけ。美歌さんはもっと自分を好きになるべきだと思います!」
「自分を……好きに……?」
「はいです! だって、美歌さんは……」
糸佳ちゃんはそこまで話して、それ以上を話そうとしなかった。
それと代わりに、小さく笑ってごまかしたんだ。
――あたしだって糸佳ちゃんの言いたいこと、全く気づいていないわけじゃない。
でもどうしても、あたしには……
胸の中に刻まれている、もう一人のあたしのことを想いながら、あたしは糸佳ちゃんの言うことをそのままそっくり飲み込もうとしていたんだ。
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