横浜の海と美歌に託された歌

主のいない喫茶店『チロル』にて

 五月二日、夜。いよいよ明日からGWが始まろうとしていた。

 テレビやインターネットなどでは、『明日からGW後半が始まります!』などと騒いでいるが、カレンダー通りに暦が進む高校生の身分としては『前半なんてそもそもどこにあったのだろう』などと考えてしまう。前半のない後半とは、いややはり日本語として間違っている!

 とはいえ、僕などはまだマシな方かもしれない。ここチロルハイムには恐らく日本一忙しい女子高生かもしれない、春日瑠美が住んでるわけで、平日は学校とレッスン、休日もほぼ仕事という相変わらずの多忙さだ。ましてや先月からアイドルなんて始めてしまった日には、休日は連日イベントの予定が入っていたりして。おかげで最近の食事当番はほぼ僕か糸佳の二択という有様だ。

 ……え、美歌? そもそも天然系一人称『私』の方の美歌は包丁の使い方一つ知らないらしく、先日当番を任せた際は、気がつくと手が絆創膏だらけになっていた。後でガサツ系一人称『あたし』の方と話をしたところ、『本気で死ぬかと思った』などと半泣きになっていたくらいだ。一人称『あたし』の方はそこそこ料理もできるらしいのだが、そもそも『あたし』の方は神出鬼没なため、当番制の中にカウントできない状態が続いている。それにしても常日頃『あたし』の嘆きっぷりを聞いていると、つくづく可哀想なやつに思えてきた。


「あ、真奈海ちゃん。明後日のチケット二枚分、抑えてくれた?」

「うん。二枚分、ちゃんと抑えといたよ〜」


 喫茶店『チロル』。夕食を食べ終わると、『今晩はスタジオを使わせてください!』と糸佳が頼んできたため、今ここに残っているのは美歌と真奈海と僕の三人だけ。糸佳は新曲を仕上げたいからと早々にスタジオに籠もってしまった。いつもこの時間は美歌か真奈海のどちらかがスタジオにいるケースが多いため、今日は行き場を失った二人が『チロル』に残っている。僕は食後の紅茶を三人分淹れ、ゆっくりとその味を堪能していた。『チロル』の主である糸佳がここにはおらず、それ以外の三人だけが『チロル』にいるシチュエーションは、正直珍しい。


「やった〜! ありがとう!! じゃあ明後日、観に行くね?」

「うん。ところで二枚って、誰と行くの〜?」


 明後日は県内の海沿いの遊園地で、『BLUE WINGS』のライブがあると文香が言っていた。糸佳は音響スタッフとしてそのライブに同行するらしいが、今回はライブ配信がないため僕は特に仕事なし。せっかくのオフなので、その日は糸佳に頼まれていた新曲の動画でも作ってようかと考えているところだ。

 ところで『オフ』とは、一体どういう意味なのだろうか?


「え、管理人さんと一緒に行くつもりだよ?」

「はい……?」


 が、真奈海と美歌の会話に、唐突、且つ当たり前のように巻き込まれる僕。

 申し訳ないがこの後の話の展開に、嫌な予感しかしないのだが。


「だって管理人さんだけは、どうせ暇でしょ?」

「その悪意のある『だけは』とか『どうせ』という表現、止めてもらえないかな?」

「糸佳ちゃんはサポートって言ってたし、他にいないし仕方ないじゃん!」

「だったら友人を誘えばいいだろ!!」

「あたしは管理人さんと行きたいの。あんたも真奈海ちゃん見に行きたいでしょ?」

「あのなぁ〜……」

「それにこんな可愛い子とデートできるというのに、あんたはそれを断る気?」

「気安くデートとか言うな〜!!」


 その瞬間はっと雷のような悪寒が落ちてきて、僕はふと美歌から視線を逸らす。

 何やら氷のように冷たいもう一つの視線を横から感じたからだ。


「そっか〜。ユーイチ、人が仕事してる時に『デート』なんだね〜?」

「えっと〜……『デート』じゃなくて、動画作りのための勉強……かな?」

「でもクラスメイトの女子と二人で行くんだよね? それ、デートって言わない?」

「相手によるんじゃないかな〜。僕はある意味、美歌の保護者みたいなもんだし」

「物は言いようよね。ユーイチ君っ!」


 真奈海のその不気味なにっとした笑顔。……こわっ!!

 てか仮にそれがデートだったとしても、なんでそこまで言わなきゃならんのだ?


 でも僕が美歌の保護者という言いようは、あながち間違っていないんじゃないだろうか。特に一人称『私』の美歌に限って、その言葉は絶大な効果を発揮すると思う。ふらふらどこへ行ってしまうのか予想だにできない一人称『私』の美歌は、誰かが見張っていないと何が起きるかわからない不安定さを持っている。

 うん、完璧な言い訳だ。……いや、言い訳言ってるつもりはないんだけど。


「へぇ〜。管理人さんがあたしの保護者ねぇ〜」

「……なんか、不服そうだな?」


 今度は一人称『あたし』の方がそれに対して物申したいようだ。


「あたしの保護者とか、いい御身分よね? 管理人さん!」

「いやだから言いようだって……」

「デートは建前で、あたしを管理したいのか〜」

「管理っていうか、だからそれはだな……」

「……このスケベ!!」

「待て待て待て待て。それ、急にあさっての方向へ話が飛んでないか!?」


 管理人が保護者となれば、デートは管理になってしまう……?

 ……いや別にそっちの方向へ話を向かわせたつもりは一ミリもないのだけど。


「へぇ〜。わたしのライブ会場にまで来て、そんないかがわしいことを……」

「待て待て。真奈海まで何を言っているんだ?」

「そういえばその日のMCの脚本、たっぷりアドリブあったな〜」

「どういう意味だそれは!?」

「でも、デートであたしを管理するって……やっぱそういう意味だよね?」

「だからどういう意味だっつ〜の!!」


 この後もこんな押し問答がかれこれ一時間ばかし続いたのは、ここだけの秘密としておく。美歌と真奈海に振り回され、僕は……。


 女子寮の管理人って、やっぱし恐怖です。まる。

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