第36話 2人きりの保健室
放課後、俺たちは体育祭の練習のために残っていた。もちろん、練習しているのは、俺と奏ちゃんと二宮さんが参加してる三人四脚だ。放課後、グラウンドの隅に3人集まった。放課後は部活動に
ジャージ姿に着替えた俺たちは足をそれぞれ紐で結び、一歩ずつ歩いていく。先程と比べたら幾分かマシになっている。二宮さんもコツを掴んだようだ。
なんとか目標の距離を歩くことができた。
「やったよ。二宮さん。凄い上達だね」
俺は二宮さんを褒めた。俺に褒められて二宮さんは頬を赤らめて目を逸らしてしまった。照れているのだろうか。でも、俺は基本的に人は褒めて伸ばすタイプだ。褒められて悪い気がする人はいないし、俺も人を褒めてて気持ちいい。良いことしかないな。
「ちょっと。真人君。私は褒めてくれないの?」
隣から奏ちゃんが不機嫌な声色でそう問いかけてきた。俺はその言葉に「しまった」と思い、慌てて奏ちゃんの方を向く。
「あ、もちろん奏ちゃんも凄いよ。みんなの息がぴったり合ったからこそだ」
俺はなんとか奏ちゃんの機嫌を取ろうとする。彼氏とは悲しい生き物で彼女の機嫌を取ることに尽力しなければならないのだ。惚れた弱みはかくも大きいものである。
「あはは。冗談だよ真人君。そんなに慌てちゃって可愛いんだから」
奏ちゃんがお腹を押さえて笑っている。彼氏を
楽しそうな奏ちゃんの一方で、もう反対の方向からは、どす黒いオーラが漏れているような気がした。また例によって、二宮さんが俺たちの様子を恨めしそうな目で見ている。
やっぱり、二宮さんはまだ俺を恨んでいるのだろうか。相手をフるというのは、フラれた方からしてみたらいつだって理不尽なものだ。俺は二宮さんに恨まれる覚悟でフったというのに、いざこうして負の感情を
「ねえ。真人君。二宮さん。歩けるようになったんだから次は走れる練習した方がいいんじゃない?」
奏ちゃんの提案には俺は賛成だった。しかし、二宮さんは少し自信なさげな顔をしている。
「あの……私、まだ自信なくて」
「自信がなくてもいつかはやらなきゃいけないことじゃないの? 体育祭でも歩くつもり?」
奏ちゃんが強めの圧を二宮さんにかける。二宮さんはそれに対して少し委縮してしまっているようだ。間に挟まれる俺もなんか居心地が悪い。
「大丈夫だよ二宮さん。きっとうまく行く」
根拠はない。けれど、このままずっと歩く練習をしたところで上達はしないだろう。体育祭の三人四脚は走らなければならないのだから。
「うん。わかった。やってみる」
二宮さんが決意してくれた。彼女の決意を無駄にしないためにも、この走りは絶対に成功させる。そう俺は意気込んだ。
「行くぞ! 1! 2! 1! 2!」
順調なスタートだった。しかし、走っている途中で二宮さんがバランスを崩してしまい、二宮さんが転倒してしまった。それに釣られる形で俺と奏ちゃんも仲良く地面に激突するのであった。
俺はなんとか手を前に突き出して受け身を取ることに成功した。二宮さんと奏ちゃんはどうだろうか。
「いたた……」
「うぅ……痛い」
2人とも膝を擦りむいてしまったようだ。痛々しく血が出ている。
「大変だ。保健室に行かないと。歩ける?」
「うん。私は大丈夫だよ真人君」
「私も大丈夫……」
俺は急いで、紐を解いて2人を保健室へと連れて行った。保健室の扉を開けると保健の先生は中にはいなかった。
「職員室にいるのかな。ちょっと俺先生呼んでくるから、2人は保健室で待ってて」
俺は急いで保健室を後にして職員室へと向かった。
◇
左膝が痛い。結構擦りむいてしまったようだ。二宮さんが転んだせいで……いや、人のせいにするのはやめよう。二宮さんも悪気があって転んだわけじゃない。ただ、ちょっと体育が苦手なだけなんだ。
二宮さんは私に申し訳なさそうな視線を送っている。彼女の顔を見れば反省していることは伺える。これ以上責める必要もないだろう。
「上条さん……そのごめんなさい。私のせいで」
「ううん。気にしなくていいの。これくらい大したことないって」
「でも……」
二宮さんは今にも消え入りそうな声だった。
「大丈夫だって。それより謝らなければならないのは私の方かも」
「え?」
二宮さんが困惑した表情を見せる。
「私、貴女から真人君を取った。泥棒猫と罵られても仕方ないことだと思う。それくらい酷いことをしたと思っている」
私は真人君の記憶がなくなったのをいいことに、彼の弱みにつけこんで恋人関係になっただけだ。今の真人君は本当の真人君じゃない。それをわかっていて、私は二宮さんから彼を奪った。そのことは彼女に詫びなければならない。
「なんで上条さんが謝るの? 私の元を離れたのも、上条さんのところに行ったのも全部東郷君の意思だよ。上条さんが悪いわけじゃ」
「違うの! 真人君は記憶を失くしているだけ。だから、二宮さんのことがどうして好きだったのかを忘れているだけ。なんで真人君が私を嫌っていたのかも忘れている状態。そんな状態で私は真人君を二宮さんから奪ったんだ。今の真人君は本当の真人君じゃないの」
私の言葉を聞くと二宮さんはクスリと笑った。
「おかしなこと言うんだね。今の東郷君は東郷君だよ? 東郷君は昔と変わっていない。優しいし、私のことを気遣ってくれている。別れた女子にも優しくするなんてきっと根はいい人なんだよ。東郷君は」
「違う! 真人君は変わってしまった。記憶を失ったせいで、趣味嗜好まで変わっちゃったの。だから、そんな状態で真人君から好かれても私は嬉しくないと言うか……」
「それって勝者の余裕?」
二宮さんの声色がとても冷たく感じた。普段の穏やかでほんわかとした雰囲気の二宮さんとは違う。闇が深くて黒いそんなイメージの表情を私に見せた。
「違う……私は勝者じゃない。彼に本当の意味で愛されていないの。私は真人君の記憶を取り戻したい」
「その上で真人君に愛されたい。それが本当に真人君に愛されることだから」そう言おうとしたが、言葉にできなかった。今、それを言ったら二宮さんの神経を逆なでするような気がして言えなかった。
「だから、協力して二宮さん。二宮さんが協力してくれたら、真人君はきっと記憶を取り戻すと思うの」
私はすがるように二宮さんにそう言った。二宮さんの表情は先ほどまでと違って穏やかなものになっていた。
「うん。わかった。東郷君の記憶がないままだと私も悲しい。出来る限りのことは協力するよ」
「ありがとう二宮さん」
二宮さんの協力が得られるなら、真人君の記憶も元に戻るはずだ。だって、記憶を失う前の真人君は二宮さんとの思い出があるんだから。でも、その思い出がもし蘇ったら……その時もまだ、真人君は私を好きでいてくれるだろうか。二宮さんのことが好きにならないだろうか。
そんな不安がないわけではなかった。けれど、私の本心は真人君の記憶を取り戻してあげたい。その上で、真人君が私を選んで欲しい。そういう思いでいっぱいだった。
私がこの恋愛に真に勝つには真人君の記憶が元に戻るのは不可欠。そう。これでいいんだ。これでいい。中途半端な勝ちは私は望んでいない。完全な勝利が手に入らないのなら、それは敗北と同じだから。
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