第29話 二宮さんと一緒の帰り道

 奏ちゃんと一緒に勉強したことで俺の自信も大分ついてきた。この調子なら再試も大丈夫だろう。


「奏ちゃんありがとう。助かったよ」


「どういたしまして」


 もうすっかり日も沈んでいる。あまり長居するのも迷惑だろうし、そろそろ帰ろうか。


「それじゃあ俺はそろそろ帰るかな」


「うん。また明日」


 俺は奏ちゃん宅を後にして、外に出た。外は既に暗くなって、街灯の明かりが照らす道を俺は歩いている。


 そこでふと俺に向けられている視線に気づいた。背後から気配を感じる。なんだこの感じ。前もこんな視線を受けたような気がする。俺は不意に後ろを振り返った。すると後ろにいたのは二宮さんだった。


 俺と目があった二宮さんは少し慌てた様子だ。そして、そのまま交差点を直角に曲がって逃げて行った。


「待って!」


 俺は急いで追いかけた。相手は女子だ。本気で追いかければ追いつけるはずだ。俺は全速力で走った。


 結果的に言えばすぐに追いつけた。二宮さんはそんなに足が速い方ではなかった。俺に捕まった二宮さんは観念したような表情を見せた。


「どうしたの? 二宮さん」


「あ、いえ……東郷君……その」


 息も絶え絶えの二宮さん。かなり気まずそうにしている。無理もないか。


「そうだよね。二宮さん。俺と別れた後だから俺と会うのは気まずいよね。でも、偶然ばったり出くわしただけなのに逃げなくてもいいんじゃないか?」


 奏ちゃんの家は二宮さんの家の反対方向だ。恐らくなにか用があってここまで来たのだろう。


「あ、うん……そうなの……偶然。本当に偶然だね。それじゃあ私は帰るから」


 二宮さんが足早に立ち去ろうとする。しかし、俺は彼女を放っておくことはできなかった。


「待って、二宮さん。もう暗いし、女子が一人で帰るには危なすぎる。俺が家まで送っていくよ」


「え?」


 二宮さんは俺の言葉に戸惑っている。俺、なにかおかしいことを言っただろうか。女子の夜の一人歩きは危ない。男子ならついていくのが普通というものだ。


「あの……悪いし、その。私大丈夫だから。私を襲う人なんていないと思う」


「そんなことない! 変質者は誰を襲うかなんてわからないんだ! 俺だって、最近妙な視線を感じるし、この辺は結構危ないと思うんだ」


 俺は意地でも二宮さんと一緒に帰ろうとした。女子を危険な目に合わせたくない。その思いを必死に伝えた。


「なんで……なんで別れた私にそんなに優しくするの! もう東郷君には関係ないじゃない!」


「関係なくない! 俺は男として当然の義務を果たすだけだ!」


「でも、上条さんに悪いよ。東郷君はもう人の彼氏なんだよ」


「奏ちゃんはそういうのは気にしない!」


 二宮さんは溜息をついた。そしてゆっくりと口を開く。


「わかった。それじゃあ、お願いします」


 二宮さんは俺の説得に折れたのだろう。俺の言うことを素直に聞いてくれた。


 俺は二宮さんと一緒に彼女の家に向かって歩きだした。しかし、なにを話していいのかわからない。確かに別れた彼女と一緒に歩くのは気まずい。あんまり話をしないまま、着実に二宮さんの家に近づいていく。


「あの……上条さんとは最近どう?」


 沈黙を破ったのは二宮さんだった。彼女は大人しい性格かと思っていたのだけれど、自分から話題を振ることはできたようだ。


「ああ、奏ちゃんとは上手くやっているよ。今日も奏ちゃんの家で勉強を教えてもらった」


「そっか……上条さんは頭いいもんね。成績も良くて美人で本当に完璧だね。非の打ち所がない……最初から私が勝てる相手じゃなかったんだ」


 俺の発言で二宮さんを落ち込ませてしまった。俺としてはそういう意図はなかった。この場合どう答えるのが正解だったんだろう。いや、正解なんてないのかもしれない。俺がなにを言っても二宮さんを傷つけるだけだろう。


「ねえ。東郷君はどうして私に告白してくれたの?」


 俺は二宮さんの言葉を聞いて歩みを止めた。どうして、俺が二宮さんに告白したのか。その理由はわかっている。記憶を失くす前の俺は罰ゲームで彼女に告白し、付き合った。これが俺の友人から聞いた話だ。しかし、それをそのまま彼女に言っていいものだろうか。


「ごめん、覚えていないんだ」


 俺は嘘をつくことにした。記憶喪失なことを逃げ道にして、俺は二宮さんを傷つけない道を選んだ。


「そうか。そうだよね。ごめん、東郷君は記憶喪失だったんだよね。ごめん変なこと訊いて……」


 その後も気まずい空気のまま進む。そして、二宮さんの家に着いた。


「じゃあ、今日は送ってくれてありがとうね東郷君。おやすみなさい」


「ああ。じゃあね。おやすみ」


 二宮さんを送り届けた俺は帰路についた。いつもと違う帰り道。学校から家までの帰路では通らないルートを歩く俺。


 俺の前方より車がやってきた。車は俺に気づいたのか減速して、俺が通り抜けるのを待っている。


 俺が車とすれ違った瞬間、なにかが俺の脳内でフラッシュバックした。俺はここで立ち止まる。胸が張り裂けそうな恐怖心を覚える。な、なんだ。この感覚は……


 この細い道路。見える車の光景。減速しないで俺に突っ込んでくる車。ああ、そうか。思い出した。俺はこの場所で事故に遭ったんだ。


 あの時は確か、二宮さんのお祖父さんのお通夜の帰り道で……俺は二宮さんの家族に会って……


 あれ? なんだ? 今までなにも記憶を思い出せなかったのに、急に記憶が戻ってきたぞ。


 今なら記憶の整理ができる気がする。思い出せ。思い出すんだ。俺の過去に一体なにがあったのかを……俺は知りたかった。本当の真実を。俺自身の記憶を……


 しかし、急に頭が割れるような痛みが俺を襲った。一度に多くの情報量が俺の頭に流れ込んできたことで脳が処理しきれなくなったのだろう。現状ではこれ以上、記憶を手繰り寄せるのは危険だと俺は判断した。とにかく、記憶を取り戻すきっかけはわかった。


 追体験をすればいいんだ。事故に遭った時と同じ場所で車とすれ違う。そのことが切っ掛けで、俺はここで事故に遭ったことを思い出した。なら、俺のやるべきことは決まった。


 奏ちゃんと一緒に遊園地に行く。奏ちゃんの話では俺は遊園地デートをしたことがある。なら、その時と同じことをすればまた記憶が蘇るかもしれない。


 まあ、今はデートなんかしている場合じゃないな。とりあえず再試をがんばらなきゃ。話はそれからだ。

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