第26話 私は見守っているだけでいい

 東郷君と上条さんが付き合った。私はその事実に震えていることしかできなかった。


 私、二宮 舞はお世辞にも可愛いとは言えない。ううん、ハッキリ言ってブスな女の子だ。男の子と付き合うなんて夢のまた夢の話で、その夢がつい最近まで叶っていた。


 けれど、私の幸せは脆くも崩れ去ってしまった。東郷君が受けた交通事故。そのせいで彼の記憶はなくなり、人格までも変わってしまったらしい。


 私のことを好きと言ってくれていた東郷君はもういない。一時の夢を見れただけでも幸せだった……そう思いたい。思いたいけど、私はこの幸せを諦めきれない。


 いつまでも東郷君を想い続けていたい。ブスな私をこの世で唯一好きだと言ってくれた男子なのだから。


「奏ちゃん。一緒に帰ろう」


「うん。ちょっと待ってて真人君。友達に借りた本返しにいきたいから」


 今日も東郷君と上条さんは一緒に帰るようだ。そりゃそうだ。二人共部活をやってないし、帰る方向も一緒ならそうなるだろう。付き合っているんだから。


 でも、私は今でもあの日々を思い出す。東吾君の隣にいたのは私のはずなのに。なんで……


 最近、家族の視線が痛い。まだ東郷君と別れたことを家族には言っていない。私の両親は私が東郷君と付き合っているものだと思っている。今度はいつ東郷君がウチに来るのか? 最近、東郷君とはうまく行っているのかと訊いてくる。


 私はその度に適当に誤魔化している。けれど、いつまでも誤魔化しきれるものじゃない。いつかは真実を言わなければならない。こんな辛い思いをするくらいなら、いっそのこと東郷君を親に紹介しなければ良かった。


 上条さんが友達に本を返して、自分の席に戻った。鞄を手に取り東郷君と一緒に歩き始める。そのまま二人は下校するのであろう。二人は無邪気な笑顔で笑い合い、世間話に花を咲かせている。幸せそうな二人を見るのは心が張り裂けそうだ。このままいっそ消えてしまいたい。なんで私は生まれてきたんだろう。苦しい思いをするためなの?


 私は二人の後を尾行した。今の私はハッキリ言えばストーカーだろう。けれど、東郷君の隣にいることが叶わないのなら、せめて一分一秒でも長く彼を視界に入れたい。


 私は消音アプリを入れたスマホのカメラで東郷君の横顔を撮影した。東郷君の貴重な笑顔のショットだ。私と付き合っていた時に見せてくれたあの笑顔。東郷君が好きな人の前でする笑顔だ。ふふふ、やっぱり私は昔は東郷君に愛されていたんだ。それを噛み締められただけで十分嬉しい。この写真には。上条さんも見切れて入っている。後で編集で消しておこう。


 たった一枚の写真。けれど私にとっては貴重な思い出だ。今日は横顔しか取れなかった。けれど、いつかは正面からの写真に挑戦したい。正面からの写真だと難易度が上がるけど、がんばって撮ろう。


「なあ。奏ちゃん。なにか視線を感じないか?」


 まずい。私のことが東郷君にバレた? もし、ストーカーしていることがバレたら東郷君に嫌われちゃうかもしれない。


「そう? 私はなにも感じないけど?」


「そっか。奏ちゃんは美人だからみんなの視線を集めることに慣れてるのか。だとすると、この視線も奏ちゃんに向けられたものなのか」


「あはは。そうかもね」


 ふう……危ないところだった。このまま後ろを振り返られていたら、私が後ろにいることがバレていたかもしれない。私も帰り道が同じなのだから、別に二人の後ろを歩いていることは不自然ではない。だけれど、もしそれが何度も何度も同じような状況になったら流石に不審に思われるだろう。だから、極力バレてはいけない。


「ねえ。真人君。今度二人で遊園地行きたいね」


 遊園地……確か、東郷君と梅原君と上条さんと私で行った所だ。あの時、観覧車の中で喧嘩したっけ。その時、東郷君は……浮気しないって言ったのに、私と別れないって言ってくれたのに。


 わかっている。あの言葉を言った東郷君と今の東郷君は違う人だって。東郷君はそう言った記憶もなくなっているんだって。東郷君は責められない。なのに、なんでこんなに感情が溢れて来るの。怒りなのか悲しみなのか切なさなのかよく分からない感情が私のお腹の中をぐるぐるしているような感覚だ。


「遊園地かー。いいね。奏ちゃんと初めて行く遊園地楽しそうだ」


「初めてじゃないんだけどね……」


 上条さんはぼそりと呟いた。東郷君はみんなで遊園地に行ったことすら覚えていない。そうだよね……上条さんも辛いよね。自分が持っている思い出を東郷君と共有できないなんて。


「あ、そうか。ごめん。俺地雷踏んじゃった?」


「ううん。真人君が悪いわけじゃないの。大丈夫。昔の思い出が消えちゃっても、ままた新しい思い出を作ればいいから」


「ありがとう奏ちゃん」


 二人が交差点の前で立ち止まる。


「それじゃあ、真人君。私、こっちだから。また明日ね」


「ああ。また明日」


 二人はそれぞれ別々の道に進んでいった。私は東郷君を追いかけて、更に先へと進んだ。


 順調に歩いている東郷君だったけれど、歩みを止めた。何か嫌な予感がした私はすぐに物陰に隠れた。東郷君は予想通り、いきなり振り返ってきた。


 東郷君は怪訝そうな顔をして、また歩き出した。今は東郷君に警戒されているっぽい。なら、これ以上の追跡はやめておこう。


 東郷君は明日も学校に来る。それでいい。その時になったら、またじっくりと東郷君の姿を目に焼き付け、東郷君の声を耳にこびり付け、東郷君の匂いを堪能するだけだ。


 そうだ。今日から東郷君観察日記をつけよう。東郷君の今日の一挙手一投足を記録するんだ。東郷君と別れて、彼と一緒に減る時間が減った。減った分の時間はより濃密なものにして取り戻せばいいだけの話だ。そのための観察日記。私は今日の帰り道に書店に走り、日記帳を購入した。

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