第9話 鬼斬り丸⑥

一刻ほど山を登ると目的の洞窟が見えてきた。


 「あそこだな」


 段蔵は虎千代をおぶって急峻な山を登ってきたにも拘らず息一つ乱れていない。


虎千代は段蔵の背の温もりを感じながら浅い眠りに落ちていた。


 半分風化した今にも倒れそうな鳥居をくぐり、洞窟の中に段蔵が足を踏み入れた途端、重苦しい空気が段蔵を襲った。


気配を察知したのか今の今まで寝息を立てていた虎千代が目を覚ました。


 「段蔵さん。着いたの?」


 「ああ」


 暗澹とした空気の対流に気圧され、前進できない。


段蔵は体を前傾させて重い足を出して、祠の奥へ足を進めた。


先ほどまで寝息を立てていた虎千代が段蔵の耳元で


 「降ろして」


 と、それまでの雰囲気を一変させて言った。


「大丈夫か?」


段蔵は憂慮しながら虎千代を背から降ろした。


虎千代はすくと立ち、段蔵の前を歩き始めた。


前を歩く虎千代の後方を歩いていると、祠の奥から吹き付ける重い空気が不思議と軽くなった。


虎千代は光の射さない祠の中をまるで見知った道を歩くように歩を進めていった。


祠の奥で赤く光る四点の岩が遠めに確認できた。


岩に近づくにつれ暗澹とした空気は色濃くなり、段蔵は立っているのもやっとだった。


岩の前で虎千代が立ち止まった。段蔵の背丈を優に超す大岩が四点そびえ立ち、二間ほどの間隔で正方形の陣を組んで赤光していた。


大岩の中央に青い焔に包まれた一鞘の剣が突き立っていた。


大綱が剣を囲むようにして岩と岩とを繋いでいる。虎千代は剣を鋭い眼光で睨みつけた。


段蔵は立っていられなくなり祠の岩壁にもたれ、背を引きずるようにして地べたに腰を下ろした。


「ほほう。人間か。これは、珍しい」


突然、剣が虎千代の脳内に話しかけた。


「お前の望みは何だ」


「あなたを僕の家臣にしたい」


虎千代が凛と答ると


「ひぃぃひっひぃぃ!」


剣は甲高い卑屈な笑いを放ち、


「俺様を家臣にだと?寝言は寝て言え。このわしを、この鬼斬り丸を家臣にできる人間なぞいる訳がない。能書きはいい、早く俺様をこの結界から放て、お前の望みは何だ、殺したい奴がいるんだろ、憎いやつが」


「そんな人はいない」


「ははははは」


鬼斬り丸は高笑い、


「そんな人間はいない。憎悪と私利私欲に塗れて醜悪に生き恥を晒しながら生きながらえる存在が人だ。」


威圧的な声に変調させて言った。


「僕は、誰も殺したくない。憎みたくもない!」


虎千代が目くじらを立てて鬼斬り丸に言い返すと


「血を望み、命を吸いつくすのだ。欲望と憎悪を食らえ!」


鬼斬り丸が虎千代を恫喝した。


「僕はあなたの操り人形にはならない!」


虎千代が顔を上げて鬼斬り丸に返すと


「ならば、貴様の闇と対峙してみるがいい!」


鬼斬り丸が叫声を上げた。


鬼斬り丸を包んでいる青い焔が大きく燃え盛り火柱が祠の天を衝いた。 


「貴様が閉ざした闇の扉を解放してやる、心の深淵を彷徨うがいい。ひぁはははは」


鬼斬り丸の狂気じみた声が遠ざかっていくと同時に虎千代の意識が朦朧とし、途絶えた。


虎千代が目を開くと前に幼い頃の自分が立っていた。


幼い自分は面前に居並ぶ僧や老若男女の門徒達にゆっくりと歩み寄り、次々と殺戮し始めた。


赤子を抱き震える母親の首が飛び、赤子の脳漿が破裂した。


薄ら笑いを浮かべて人々を惨殺していく幼い自分を虎千代が止めようとしても体が言うことを聞かない。


「止めて、止めるの。止めて!!!」


虎千代が叫ぼうとしても声が出ない。


目を閉じようとしても目が閉じず、嬉々して人々に襲いかかる幼い自分を注視するほか手立てがなかった。


虎千代の目から止めどなく涙が流れ落ちた。


「止めてーーーーーーー!」


喉に鑢

やすり

を掛けるようにして声を押し出した瞬間、場面が急に変わり懐かしい春日山城内が現れた。


またもや、幼い自分が面前にいた。


虎千代の記憶に微かに残っていた顔が幼い虎千代と対峙していた。


女は為景の側室の一人だった。幼い頃、お手玉や草笛を虎千代に教えてくれた女だった。


「止めなさい。殺しちゃ駄目。駄目―――」


虎千代は心中で叫んだ。


バシと肉が砕ける鈍い音が弾け、女の乳房が吹き飛んだ。女は泣き叫び、襖を乱暴に破ってその場に倒れると、心の臓が破裂し部屋が血で染まった。


幼い虎千代は顔色一つ変えず、返り血を浴びていた。


「貴様、人ではないのか」


鬼斬り丸が驚いたような声を漏らした。


「これがお前だ。血を求めて殺戮を繰り返し、悦を得ている。殺したくないだと、笑わせるな!」


またもや幻の世界が虎千代を包む。


場面が変わり、先ほどの虚無僧達との戦闘シーンが映し出される。


「ここに来る途中も人を殺めているではないか。ははははは」


鬼斬り丸の嘲り笑う声が虎千代の脳内に木霊した。


 鬼斬り丸が最後の仕上げとばかりに、怒涛のような幻惑の嵐を虎千代に吹きかけた。


為景の後ろ姿が見えた。


為景は胡坐をかいて無心に何かをしていた。


「とと様」


虎千代が呟くと為景が振り向いた。


為景の顔は朱に染まり口には臓物が咥えられていた。為景の前を見やると、側室の一人が腹を割られて死に絶えていた。


為景は側室に向きを戻して、臓腑を一心不乱に喰らった。


「とと様」


虎千代は眉を顰め、嘆きの声が漏れた。


「為景様がご乱心され始めたのは城内で変死が繰り返され始めた頃からだ」


「虎御前様が殺して回っているとのうわさだぞ」


「家中に鬼がいるのやもしれぬ。呪われた家なのだ」


「長尾家はもう長くないかもしれぬな」


家中の者たちの揶揄が走馬灯のように虎千代の前を流れていった。


場面が切り替わり、静けさが辺りを包み、揶揄の喧騒から解放された。


目の前に泣き崩れる虎御前が現れた。


「どうして虎千代が……私は鬼子を産んだというの?恐ろしい、あんな子、生まれてこなければよかったのに」


 虎御前は手にした朱塗りの盃をぽとりと落とした。


「違う。違うの。ただ私は母様に笑っていてもらいたかった。それだけ。母様に抱いてほしかった。それだけなの……いゃーーーーーー!!!!!」


虎千代は苦悶の表情を浮かべて頭を抱え、擡げた頭を急に振り上げて傍らの岩に勢いよく打ち付け始めた。


虎千代の額が割れ、眉間から血がしたたり落ちた。


「憎い」絞り出すような声で虎千代が零した。


「そうだ!憎め。貴様の力が有れば、人々はお前に膝間付くだろう。俺を手にしろ。俺がお前を魔王にしてやる」


段蔵は金縛りにあったように岩壁から動けないでいた。


鬼斬り丸の前で突然倒れ、死んだように横たわっていた虎千代が目を閉じたまますくと立ち上がった。

「虎千代!」段蔵の伸ばした手が空を掴む。


我を忘れた虎千代は、段蔵の声に振り向きもしない。


立ち上がった虎千代が開眼すると鬼斬り丸の焔に照らされ、眼球が青く光った。


うつろな瞳で虎千代は鬼斬り丸の柄に手を掛けた。鬼斬り丸が鞘から抜かれていく。白光を放ちながら鬼斬り丸の刃が現れた。


鬼斬り丸を手にした虎千代が踵を返して段蔵に振り向くと、虎千代の白目は赤く染まっていた。


虎千代は五間ほど離れた段蔵の前まで瞬間移動し鬼斬り丸を振り上げた。


「手始めにこいつから血祭りに上げろ!血だ。血で俺を洗え!魔道の鐘を鳴らせ!」


虎千代が鬼斬り丸を振り下ろした。


「虎千代!」


段蔵は振り下ろされる刃に目を閉じること無く、声の限り虎千代の名を叫んだ。鬼斬り丸の刃が段蔵の肩先でピタリと止まった。


薄く切れた段蔵の肩から血が滲み小袖と合羽を赤黒く染めた。


「虎千代」


段蔵が心配そうな細い声を漏らした。


「うあーーーーーーー」


虎千代は獣のような咆哮を唸らせ、鬼斬り丸を振り上げて大岩に打ち付けた。


キーーーーーン


澄んだ高い音が祠に響き渡る。


「どうした虎千代?憎いのだろ。殺せ、殺せ、殺せ、殺せ、殺せ!」


鬼斬り丸は虎千代の心胆を追いこむように連呼した。


 「あーーーー。ぐあーーーー」


 生々しい幼き頃の記憶の断片が、虎千代の脳内を破壊する。虎千代は、嗚咽混じりの奇声を上げて、鬼斬り丸を持つ手を振りまわした。


 「嫌―――――」


 虎千代は鬼斬り丸を両手で握りしめ刃先を己が首に宛がった。


 「虎千代――――――」


 朦朧とした意識の中で段蔵は声の限り叫んだ。


突然、虎千代の首に掛けられていた光育の玉

ぎょく

から白光の筋が四方八方に放たれた。


 臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前


 放たれた光の先に九

しん

ごん

が投影され、玉

ぎょく

の白光が虎千代を包んだ。

光り輝く虎千代が宙に浮く。


腕を広げ体躯を十字にさせて、虎千代は鬼斬り丸を手放した。


鬼斬り丸は独りでに鞘に収まり、煩く纏わりつく口を閉ざした。


 「僕は、人を憎まない。無益な殺生はしない。義、有する時にのみ刃を振おう。民の安寧の為。家臣の幸福の為。国の繁栄と存亡の為」


 虎千代が滔々と語る。


 「戯言を抜かすな、戦は戦だ。人を殺め、略奪を繰り返す戦に何の理が有ろうものか」


押し黙っていた鬼斬り丸が吐き捨てるように言った。


「黙れ!鬼斬り丸!義無き殺生はただの殺戮に他ならない。義を持って義に従えば戦も聖戦となろう。小ことに拘り大義を見失っては民の笑顔は得られぬ。貴様は私の家臣となり大義の礎を担うのだ」


虎千代が鬼斬り丸を一括した。


「笑止!森羅万象、何をどう理屈付けても、刀は人を殺める為の道具。その最たる俺に人を殺める以外に何をせよと言うのだ」


鬼斬り丸は薄く笑って虎千代の恫喝に返答した。


「血の契約を結ぼう。貴様に私の神通力の全てを託す。貴様が義と理を結びつけよ。貴様が認めた時にのみ、その鞘から顔をだし、民の安寧の為、義の為に刃を振え。血と憎悪はその刃に収め貴様は力を得るがいい。私に理が無く義もない場合は固く口を閉ざし、静観しておればよい」


虎千代がそこまで話したところで、白光が強まり虎千代の額に臨の文字が浮かんでいた。


「まさか……。毘沙門天の……」


鬼斬り丸は恐怖したかのように声を上ずらせた。


虎千代の目が座り、虎千代の意志とは別に口が勝手に動きはじめた。


 「鬼斬り丸よ。お前は虎千代の邪悪な神通力の一切を封じ込め、己が力と致せ。家臣となりて、我が宝塔に住まう一の阿羅漢として私に助言し善道を照らすがよい!」


 虎千代は、重厚で臓腑に響くような声で話した。


 鬼斬り丸を纏っていた黒い邪気が薄れ、漆黒の鞘の表面がボロボロと剥がれ落ち、中から黄金の輝きを放って白鞘が現れた。白鞘には黄金の龍が模

かたど

られていた。


 「貴公が外道を歩むならば我、憑物となりて、そなたの闇の力と共に地獄道に帰し、死を持って償って頂く」


鞘の金龍が目と口を動かして虎千代に告げた。


 「御意!」虎千代は広げた左掌に右拳を打ちつけて、鬼斬り丸に呼応した。


 「ならば!」鬼斬り丸は一層輝きを強め「我、貴公の羅漢となりて善道を照らさん!以後口を閉ざし、義を以て鞘から出でようぞ!!」そう叫んで虎千代の掌まで飛翔した。


虎千代は鬼斬り丸をしかと握りしめ「義に、この命捧げ賜おう!」鬼斬り丸を頭上に掲げて歓喜の声を上げた。


つづく

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