第8話 鬼斬り丸⑤

夜明け前に出立した。


追手を避け、飛騨山脈を稜線に沿って歩いた。


朝日に彩られた桃色の雲海が眼下に広がる。


虎千代は吉祥天にでもなったような気分を味わっていた。霊峰白山が眼前にそびえ立つ。


「もうすぐだ」


息を切らす虎千代に段蔵が手を差し出した。


天蓋を被った虚無僧が5、6人列をなして前方から歩いてくる。


「ちっ」


段蔵は舌を鳴らして


「もう直ぐだと言うのに」


と苦々しい表情を浮かべた。


段蔵は引き回し合羽の内で柄に手をやり、何こともなければよいのだが、と祈るような気持ちで虚無僧たちとすれ違った。


すれ違いざま虚無僧の一人が一見尺八に見える仕込刀を抜いて段蔵に襲いかかった。


「久しぶりだな。段蔵」


虚無僧は刀で鍔を押しつけながら低い声で言った。聞き覚えのある声だった。


「虎千代!狙いは俺だ!お前は先に行け!」


段蔵が虚無僧を睨んだまま叫んだ。


段蔵の指示通り、虎千代は全力で駆けた。


別の虚無僧が虎千代に棒手裏剣を投げつける。


「危ない!」


段蔵はそう叫びながら前宙返り、虎千代の顔面の前に右腕を突き出した。


段蔵の腕に棒手裏剣が肉を潰す鈍い音を立てて三本突き刺さった。


「行け」


段蔵は重い声で虎千代に言うと、腕を振って手裏剣を外し、虚無僧たちに刃先を向けた。


虎千代は段蔵のことが気になりながらも言われた通り走った。


二十間ほど走ったとこで虎千代は後ろ髪をひかれ振り返った。


六人の虚無僧に囲まれた段蔵は必死の攻防を続けていた。


段蔵の様子がおかしかった。


体がふらつき、跳躍力も昨日とは別人のようだった。


「毒だ。さっきの手裏剣に毒が塗られてたんだ」


虎千代はひとりごちて、鈍い動きで虚無僧たちと刃を交わす段蔵を見やった。


段蔵の引き回し合羽が見る見る襤褸切れのように切り裂かれ、手甲の先から血がしたたり落ちた。


虎千代は走って段蔵に駆け寄った。


「どうして、戻ってきた!」


足元の覚束ない段蔵が息を切らせながら虎千代に恫喝した。


 「だって段蔵さん。ふらふらじゃないか。このままじゃ、やられちゃうよ!」


 虎千代は虎御前からもらった鞘にひょっとこの蒔絵が施された懐刀を手にして叫んだ。


 「こいつらは、風魔だ。俺を殺しに来たんだ。お前は関係ない!」


 「だけど」


 「いいから!言うことを聞け!」


段蔵が分からず屋の虎千代に怒号を浴びせていると、虚無僧の一人が投げた棒手裏剣が段蔵の左目に突き刺さった。


 「段蔵さん!」


 虎千代は悲壮な声を上げ、涙を浮かべながら段蔵に縋りついた。


段蔵は何こともなかったように目に刺さった手裏剣を顔面から抜き捨てた。


棒手裏剣の先には段蔵の眼球が突き刺さっていた。


大きく跳躍した虚無僧の一人が硫黄の煙を背に上空から段蔵に襲いかかった。


虎千代の頬を伝う涙が赤く染まった。


 「よくも段蔵さんを」


 虎千代の目がつり上がり、突風が虎千代の小袖と直綴裳を吹き上げた。


赤く濁った眼で空を舞う虚無僧を虎千代が睨みつけると、虚無僧の腹が裂け臓腑が宙に弾けた。

虎千代が他の虚無僧たちに視線を移す。


ギリリ、ギシ、ギシ、バギ、バギ、バギ


虚無僧たちの骨が鳴り、肋骨や鎖骨が皮を突き破って飛び出す。


 「ぎゃーー」


虚無僧たちの絶叫が延々と続く稜線を這った。


 「やめろ!虎千代!駄目だ!」


 段蔵は叫びながら虎千代の頭を抱きかかえた。


昂ぶる気を押さえられない虎千代が、段蔵の腕の中で手をほどこうともがく。


「うあああああ」


虎千代は段蔵の腕をとり、怪力で捻り上げた。


― 完全に我を忘れてやがる。それにしても、この華奢な体のどこにそんな力が


段蔵が奥歯をかみ締める。みしみしと音を立てて、段蔵の骨が悲鳴を上げる。


 「クソ!」


 段蔵は宙返り、腕のひねりを戻して虎千代のみぞおちを思いっきり蹴り上げた。


虎千代はふっと意識を失ってその場に倒れ込んだ。


骨が突出し満身創痍の虚無僧たちは足を引きずるようにして、段蔵と虎千代から離れていった。


 段蔵は虎千代を肩に担いで白山を目指した。


その途中、岩肌を細く伝う小さな滝があった。


滝の裏側に洞窟がポカリと口を開けていた。


段蔵は冷やりとした空気で満たされた洞窟の中に入ると、担いでいた虎千代をそっと地面に降ろした。


敵から逃れ安堵したのか、段蔵はそのままどさりと倒れ意識を失った。


虎千代が目を覚ますと、段蔵が色の無い顔をして傍らで倒れていた。


 「段蔵さん?」


 虎千代は慌てて体を起こし、段蔵の体を揺さぶった。


紫に変色した段蔵の唇が微かに動いたような気がした。


虎千代が段蔵の口元に耳を押し付けると、カチカチと小刻みに奥歯の鳴る音が聞こえた。


よく見ると段蔵は全身を小さく震わせていた。


段蔵は手裏剣の先に塗られたトリカブトの毒が全身に回り、生死を彷徨っていた。


 「段蔵さん!寒いの?」


虎千代は辺りを見渡したが暖が取れるようなものは見当たらない。


「どうしよう」


虎千代は泣き顔で焦りを募らせた。


「段蔵さん、死んじゃうよ」


 虎千代は咄嗟に段蔵の血塗られた着衣を脱がし始めた。


段蔵を全裸にさせると刃物傷が全身に刻まれ、血が滴っている。


虎千代も己の雲水装束を脱ぎ捨て全裸になった。


「温めなきゃ」


虎千代は段蔵を抱きしめ、雲水装束を布団代わりにして二人の身を包んだ。


氷のように冷たくなっていく段蔵を虎千代は祈るように抱きしめ


 「段蔵さん、死んじゃ駄目だ。死なないで」


 必死に念じる虎千代の全身が、碧く仄かに発光し始めた。


光は段蔵と虎千代の体を覆い、薄暗い洞窟を満たしていった。





 冷たい水が喉を通過する。


気持ちいい。そう思った瞬間、段蔵は、覚えの無い感触を唇に受けていることに気づき、目を開いた。

虎千代の顔が面前に現れた。


驚いた段蔵は反射的に虎千代から身を避けた。


 「貴様、何をした」


 凄む段蔵に虎千代は平然とした調子で


 「水を飲ませてたんだよ」


 「どうやって!」


 段蔵は顔を赤らめて虎千代を問い詰めた。


 「どうやってって、口移しでだよ。だって段蔵さん竹筒口に付けても飲まないんだもん」


「だけど、お前……」


「段蔵さん、目を覚ましたんだね。よかった~」


狼狽する段蔵を無視して、はじけるような笑顔を虎千代が浮かべる。


「……初接吻だったのに」


 段蔵が小声でひとりごちていると、虎千代が段蔵の顔を覗き込んだ。


 「段蔵さん。危なかったんだから、感謝してよね。僕が裸で段蔵さんの体暖めなかったら、段蔵さん確実に死んでたね」


 虎千代は腕を組んでコクリコクリと首を縦に振りながら言った。


 「……裸で」


 段蔵の鼻腔から一筋の血が滴り、段蔵は片膝を地面に打ち付けた。


 「どうしたの段蔵さん?大丈夫!」


 虎千代は心配声を上げて近づこうとした。


段蔵は片方の拳を鼻にあてがったまま、もう片方の手を突き出して虎千代を制止させた。


 「大丈夫だ。ちょっと、くらっとしただけだ」


 段蔵は低い声で虎千代に言って、立ち上がった。


 「おかしいなぁ。血は全部止まってたのに」


 虎千代は眉根を寄せて首を捻った。


 「これは、違う血だから大丈夫だ。ずっ」


 鼻血を啜りながら段蔵は虎千代に背を向けた。


 「違う血?」


 虎千代は目玉を上向かせて頭上に?を浮かべた。


― 血が全部止まってた?―


段蔵が小袖の中を見やると、全身に受けたはずの傷が綺麗に癒えていた。


「俺は何日寝ていたんだ?」


段蔵は急ぎ口調で虎千代に尋ねると虎千代は首を傾げて


「そうだな~。二刻ほどかなぁ」


「二刻?」


段蔵は走って洞窟を出ると空を仰ぎ見た。


日はまだ高く、戦闘を終えてから幾時も経っていないことが理解できた。


― では何故?傷が消えているのだ ―


滝壺に目を落として自問自答した。


水面に映る己が顔を見て左目が無いことに気づいた。


段蔵が左目にそっと触れていると後方から虎千代の声が聞こえた。


「目は駄目だったみたい。無くなっちゃったものは元に戻らないみたいだね」


 虎千代は少し暗い顔を浮かべて段蔵に言った。


 「だが他の傷は治っている。何をしたのだ?」


 「分からない」虎千代は首を振った。


「段蔵さんが震えていて、温めなきゃって。そしたら、段蔵さんの傷が癒えてたんだ」


 虎千代が口を尖らせて言うと


「面妖なこともあるものだ」


段蔵が顔をひそめる。


二人は直ぐに目的の祠を目指し洞穴を後にした。


段蔵の体は嘘のように軽かった。


虎千代は生気を吸われたかのように重い足取りで段蔵の後をついて行った。


段蔵は過呼吸気味に付いてくる虎千代を見かね、膝を地に付けた。


 「はぁ、はぁ、はぁ、どうしたの段蔵さん?」


 息を切らした虎千代が段蔵の背に問いかけた。


 「乗れ」


段蔵はそう言って躊躇する虎千代を半ば無理矢理に背に乗せると目的地である黒姫山山頂を目指した。


つづく

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