第7話 鬼斬り丸④

陽が翳り始め段蔵が足を止めた。


「今日はこの辺りで野宿だな。明日には祠に着けるだろう」


そう言って、山道を外れ川縁に降りて行った。段蔵は川べりにあった巨石を見つけると下に潜った。


巨石は他の石の上に乗っていて丁度洞穴の様になっていた。


「寝れそうだ」


段蔵はそう言って岩から顔を出した。


虎千代が岩下に顔だけ潜らせると、人二人は優に寝れるほどの空間があった。


虎千代は巨石から顔を出して「それにしても」と言いながら段蔵の顔を見た。


「何だ」


と、段蔵が訝しい表情を浮かべると、虎千代はその場でへたり込んだ。


段蔵は咄嗟に腕を差し伸べて虎千代を抱きかかえた。


虎千代はぼそりと力無く「お腹空いた」と呟いた。


段蔵は抱えた腕をすぐさま抜いて、虎千代を石が敷き詰められた川縁に落とした。


「痛いなぁ。何も落とすことないじゃん。本当にお腹空いて動けないんだよ」


駄々をこねる虎千代に段蔵は、行李から干し芋を取り出して虎千代に手渡した。


 「またこれぇ。もう飽きた。違うの食べたい」


 寺を出発して初めの二日は旅籠に泊まったが、その後は山深く宿場町が無かった為、野宿が続いていた。


二人は丸二日干し芋しか口にしていなかった。


 段蔵はしょうがないなぁと言わんばかりの呆れ顔を浮かべ、小袖を上半身だけ脱いで川の中に入っていった。


段蔵は膝ぐらいの深さの場所で立つと水面を凝視し静止した。


 「銛

もり

も無いのにどうするのさぁ」


虎千代が巨石を背にだらしなく腰を下ろしたまま段蔵を罵倒している。


段蔵は虎千代を睨みつけ人差し指を口元に立てた。


虎千代はため息を漏らして茫然と段蔵を眺めた。


水面を見詰めたまま凝固していた段蔵が少し動いたような気がした。


虎千代は岩が昼間に吸い込んだ日の温もりを背で感じながら、腹の虫の合唱を聞いていた。


「投げるぞ」


段蔵の声が聞こえたかと思った瞬間顔に何か冷たいものが当たった。


虎千代が体を起こすと、一尺はある岩魚が地面で乱舞していた。


「空から岩魚が降ってきた!でかい!凄い!」


 虎千代はキラキラと目を輝かせた。


 「段蔵さん、何したの。どうやったの?」


 段蔵はふんと鼻を鳴らして、再び水面に目を向けた。


虎千代は固唾を呑んで段蔵の所作に目を凝らした。


段蔵の二の腕がピクリと動いたかと虎千代が思った次の瞬間、段蔵の手には既に岩魚が握られていた。


 「段蔵さんの手、見えなかった」


虎千代が感嘆の声を上げる間もなく、二匹目の岩魚が空から降ってきた。


「また降ってきた!凄い、凄いよ段蔵さん!僕にもやらせて」


「お前にはできないよ」


段蔵がジト目で虎千代を見た。


ボッと虎千代の負けじ魂に火がついた。


段蔵の見よう見まねで、水面に何度も手を突っこんで岩魚を追った。しかし、岩魚は虎千代をあざ笑うかのように、ひらりとすり抜けていった。


「この、この、この」


やけくそ気味に水面を叩く虎千代。




 陽が消えうせ満天の星が頭上に花咲く。


焚火を囲んで段蔵が捕った岩魚を虎千代は満足げにかぶりついた。結局自分では一匹も捕まえることができなかった。


パチパチと焚火がはぜる。七歳で寺に入門したこと、それまでの記憶がないことを焚火の炎で頬を赤く染めながら、虎千代が段蔵に話した。


「だから僕は控え選手なんだよ。ことが起こらなければそれでよし。兄上に何かあればその時はってね。しかたなしに……」


虎千代はぽつりと零し、手にした小枝で薪をいじって煙を吐き出させる。


 「仕方なしに?」


 黙って虎千代の話を訊いていた段蔵が訊き返した。


 「うん。父上は僕が出家してから一度も会ってくれないし、家中の者も腫物に触るようにしか僕に接してくれない。……母上だって」


 「虎御前様がどうかしたのか?」


 「……僕と会うとき、どこか、怖がっているような気がするんだ」


 煙越しに、虎千代の悲しげな顔が揺れる。


 「怖がる?自分の娘に会うのにか?」


 段蔵が首を傾げた。


 「僕は男だ」


 虎千代が頬を膨らませた。


段蔵はあいまいに頷き、謝るように軽く片手を振った。


虎千代はふんとそっぽを向いて、天を仰ぎ今にも落ちてきそうな星たちを凝視する。


 「……僕は誰からも愛されてないんだ」


 流れ星が天空を走ると同時に虎千代の頬にほうき星が伝った。


 段蔵は身を焦がされて頃合いになった岩魚を焚火から取り出し「もっと喰うか?」と虎千代に差し出した。


「うん」


虎千代は涙を拭って力強く頷いた。


 「光育様は凄い人で尊敬してるんだ。他の小坊主と同じように僕に接してくれるし、優しいんだ」


 手を打って光育の話をする虎千代の顔から、先程見せた陰影は消え失せていた。


 「僕、光育様の秘密知っているんだ?」


 「何だ?」


 虎千代は興味なさげに訊く段蔵の顔を覗き込んだ。


「聞いてる?」


「聞いてるよ」


顔の近い虎千代に段蔵は少し照れながら体を反らして答えた。


「光育様のね~」


勿体ぶる虎千代の話し方に痺れを切らせて、段蔵が立ち上る。


「何だよ、答え訊きたくないの?」


「喰ったんだろ。もう寝るぞ」


段蔵はぶっきらぼうに応えて、虎千代に背を向けた。


「段蔵さんの父上や母上はどうしてるの?」


虎千代が焚火に薪をくべながら訊いた。


「いくさで死んだ」


段蔵は背中越しに一言だけ零した。


虎千代は立ち上がり、ふと頭の片隅をよぎった、自分でも驚くような言葉が口をつく。


 「戦の無い世の中になったら、段蔵さん嬉しい!?」


 風でざわめく木々たちに紛れない声が、夜の闇に広がる。


段蔵は歩みを止めて振り返り、どうとも取れるような笑みを零して静かに首を縦に振った。


その面差しは穏やかで優しく、でもどこか淋しそうにも見えた。


柔らかな月明かりに照らされた段蔵の姿に虎千代は見惚れていた。


立ち騒ぐ胸の内を虎千代は必死に抑えていた。

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