最終話


 そこに居るのはアルトだった。

 総研の長い歴史を示すように古代文字で総研統括投資部と金糸で刺繍され、たくさんの蔦の葉を剣が刺してまとめる紋章が腕に入った黒色の長い上衣。部長官以上の人しか羽織らないものを着ている、アルトだった。


 大きな部屋の真ん中に鎮座する立派な革張りの椅子に促され、私は腰をそこに沈める。


「ねえアルト、具合はどう?」

「……え?」

「とっても具合が悪くて、商談もうまくいっていないかもしれないと噂で聞いた」

「ああ……心配いらないよ。でも噂って……」

「オルロフさんから。あちらの支店長が、アルトはもう病気かもしれないからほかの人がいいかも、って言ってるらしいよ」

「……」

「だから様子を見に来たの。……まさかこんな上層に通されるとは思ってなかったけど」


 アルトは眉間に深い皺を寄せて目を瞑り、……観念したようにドサッと向かいの椅子に沈む。


「病気じゃないのね?」


 アルトは無言で、でも目を閉じたまま一度だけ頷いて、椅子に全身もたれた。病気ではないことがわかり、それまで息を詰めていた私の体からはこわばりが緩んだ。


「はああぁあ……、よかったー……アルトが私のせいで病気になるなんて、だめよ」


「なんでビアンカのせいだって思うんだよ。関係ない」


「…………」


 『関係ない』って、こんなに傷つくんだね。


「ごめん……私、関係あるのかと……思っちゃってた……わわ、恥ずかしい」


「…………」


「……」


「……何も、言わないんだな」


「……あ、副所長……のこと? すごいね。私、ずっとアルトは投資部の主任だと思ってた。いつの間に総研の上から二番目になっていたんだね。えっと、おめでとう。よく商談の時にばれないね?」


「いや、俺のことじゃなくて……ああ、普段は投資部の主任で通してるし、名刺にも敢えて書いていないから。……最近は……その、一人で籠りたいから……ここにいる」


「……そうなんだ。……えっと、アルト。あの……あのね。私のつまんない貞操観念の話、この前初めて言ったと思ってたのだけど……もしかして前にも言っていた?」


「……やっぱりビアンカは、あの日の話を憶えているんだね。酔っていなかったのか。…………もう……何百回と聞いてるよそんなの」


「なっ、なっ……、な……!!!???!」


 ななななんびゃっかいだと!!??!?



 アルトは項垂れたまま。


「ふん……毎度忘れる人間は楽でいいよな。毎回毎回俺に初めて話すように、『結婚相手のためにお互いが操を立てる』って、まあベラベラと。こんなに何年も長い年月をかけて多様性の価値観を洗脳してやったのに、仕事と他人にはものの見事に寛容になってさ……出世して行動範囲も広げて。なのにこの一点だけは何回聞いてもばかみたいに答えが一緒」


「洗脳って……そんな言い方はないよ。アルトはたくさん私に仕事と世界の話をしてくれたじゃない……」


「俺は洗脳のつもりだったんだよ」


「だとしても。私はアルトに感謝しかないよ。……何百回はちょっと……誇張? があるだろうけど……あの、忘れてしまって本当にごめんなさい」


「誇張だと? そんなわけないだろう。ビアンカが深酒で寝るのと記憶が吹っ飛ぶのを俺が知ったあの日から、一度だって俺のいない場所で君が深酒をしたことがある? ……ないんだよ。ないの。あってたまるか。俺が一番知ってんだ、ヴィーのことは」


「? ……アルトの言うあの日って?」


「はぁ……ほらな、もはや俺のほうがビアンカの記憶を持ってるんじゃないか? 総研の研修初日だよ。研修後に俺は飲みに誘ってる」


「え、やだ、それくらい私憶えてるよ!」


「忘れてんだよ。ヴィーが憶えているのは大体いつも、もって五杯までの会話。あれで俺の心は折れたんだ。それはもうばっきばきに折れて、折れた破片もどこかに行っちまった。だからこんなに年月が過ぎても、昔は自信しかなかった俺の心はあの頃のようには戻らないし、状況だって一歩も進められない」


「……」


「…………なのに、今もこうして俺はヴィーから離れられない」


「……」


「俺と初めて会ったのは研修初日だとさ。別に……もう何度も聞いたし、今更古傷えぐられたくないし、もういい」


「ねえ、私もしかして研修前にアルトと会ってるの?」


「会ってるよ。王宮騎士の内定祝賀祭で」


「ええええええ!!!!」


 はっ……、初耳すぎる!!!!!


「君は環境研の内定祝賀会のためにお祖父さんと首都に来ていただろう。内定発表は王宮も同日で、街は世界中から来る王宮内定者のために祝賀祭をするから人がごったがえす。知ってるよな。俺を連れて毎年祝賀祭でうまい酒楽しんでるんだから」


「……」


「俺はあの日……王宮内定式後の懇親会を抜け出して街を散策していたら、所在なさげな迷子を見つけたんだ。保護しようと話しかけたら……振り向いた人は迷子なんかじゃない、大人の女性で。……屋台の酒を両手に持って、飲んでいた」


 うっ、憶えています。屋台の飲み物がとってもまろやかでおいしくて、何杯も飲み、ふと目が覚めたら宿屋の寝台でした。しかも環境研で受け取ったばかりの内定通知を無くしました。

 私は成年を超えていたけど、実はこれが人生で初めてお酒を飲んだ日だ。果汁だと思ったらお酒だったので、ある意味事故である。


 内定式後にはすぐ宿屋に戻り隣の部屋で先に休んでいたお祖父ちゃんは、次の日の朝、二日酔いで全く起き上がれない私に『立派な研究員になろうとしている者が街で痴態を晒し情けない。恥を知りなさい』と本気で怒り、以来私はあの果実酒だけは飲まない。だって……お祖父ちゃんの怖い顔が浮かぶ……恐ろしい。



「俺はその子を宿屋に送ると言って、まあ……それは口実で。くるくると緩やかに揺れる黒い髪がとても綺麗で、薄紫の大きな瞳に吸い込まれるかと思った。永遠に見ていたくなって、宿屋近くの公園でとにかく長話をした。話したらもっと可愛くて、軟派な会話をしようと思ったのに騎士の仕事について熱心に訊いてくる。酔っているくせに、研究の話までできる。頭がいいんだ。ふわふわして、でも凛々しくて、なのに可愛くて腕の中に囲っておきたい……今まで生きてきた中で一度もあんなに激しい想いをしたことはない、すべてが好みの……女性」



 ……私、こんな大切なことを憶えていないだなんて……。



 ふとアルトは服の内袋に手を入れ、一枚の古そうな紙を取り出した。俯きながら、その紙を広げて……、え、その紙って!!?!?


「環境研の内定通知!!」


「これは俺の宝物だけど、そうとも言う。君は俺に自慢げにこれを見せ、環境研がいかに素晴らしいかを語り尽くし、……俺の膝で寝た」


「膝で寝た……?!! ごっ、ごめんなさいアルト」


「ふん。……連絡先も何も聞けずに君は寝てしまったから、この内定通知をこっそり貰って、俺はすぐ騎士の内定を断りに行った。で、環境研の入所に切り替えることにしたんだが、あいにく環境研は辞退者がおらず、近場の親会社である総研は部長官の適合者がいなくて人不足だと言うから、仕方なく総研にした。系列の研究所はすべて同じ研修だと聞いたから、またあの人に会えると思ったんだ。そのうち環境研に転属すればいいし。でも入ってみたら長官職は新人研修がないと聞き、急いで位を落としてもらった。……兼務することを条件にな。それと、後続を育てるまでの転属禁止付きで」


「……アルト……才能の無駄遣いって言うんだよ、そういうの……」


「それがなに。俺の才能なんて、君の『記憶飛ばしの酒魔法』にくらべたら糞以下だろうよ」


「! そ、それは謝ります……」


「研修初日の受付で君を待ち伏せして、ようやく会えた俺がどれだけ嬉しかったかわかるか。俺は内定式ぶりであることと、再度自己紹介をしたのに、あの時の君ときたら、人違いでは、と言ったんだ! しかも少し怯えてるし! 俺はたちまち全部の内臓が縮んでしまった。君の内定通知書なんて見せた日には君はきっと俺を変態か付きまといの隠れ痴漢のように思うのだろう、と。更に、寝た君を宿の部屋まで送り寝台に寝かせたのは俺だなどともし言ったら、君は貞操を喪失している可能性を感じるはずだ。間違っても俺はそんなことしない。でも君に伝えるべきではないとすぐにわかった」


「……!」


 開いた口が塞がらない。無論、自分に対してだ。


「……泣く思いで初めまして、と装い、でもなんとか初日から仲良くなれて、……思い切って研修後の料理屋で酒を酌み交わし、思いの丈をぶつけたんだ。あんなに緊張したことはなかった。今までの何よりも緊張して、断られたらきっと俺は死んでしまうかもしれないと本気で感じた。……君はとても上機嫌で、ふわふわしていて、もう……本当に綺麗で、……むにゃむにゃと言い、寝た」


「あぁぁああ私のあほばか、アルト本当にごめんなさい…………!!」


「しかも次の日は何も憶えていないときた。俺は、失ったら自分が生きられないかもしれない人に何度も自分の想いを自由にぶつけられるような鋼の心臓は持っていなかった。あの日から俺は、……ひどく臆病で、姑息な男になったよ。君を失いたくないから、普段は教養のある人間を演じて君の平日と休日を合理的に囲って……、ヴィーが深酒をしたときにはここぞとばかりに普段言えない想いをぶつけるんだ。だってどうせ憶えてない。……いつか、ヴィーを宿に送ったときに……悔しくて、このまま剥いて抱いてしまおうとしたことがあった。でもヴィーは酔ってるくせに、どうせ憶えてないくせに! 俺に『結婚する人としかしない』『お互いはじめての人がいい』と言うんだ。それはつまり、ヴィーの無意識が俺ではないと言ってるんだ! ……唇すら奪えなかった。いつも、いつも目の前にあるのに!」


「……」


 アルトは、床に向かって深く項垂れている。


「ビアンカ……、俺はこういう人間だ。気持ち悪いだろう……自分でもわかってる。染み抜きなんて俺の魔力ですぐ消せたのにヴィーと密着したいからずっと布巾でぽんぽんしてるし……だから……俺が人生史上最悪のどん底にいる今のうちに、オルロフでも誰でも好きなところに行ってしまえ。心配してここまで来てくれたって、もういいよ……結局ヴィーはあれだけ頑なに譲らなかった貞操観念を撤回してまで俺を突き放すじゃないか。だから……もう何をしたってだめだということだ。ヴィーのために生きていけるのに、ヴィーは俺をいらないんだから、諦めないとだめ。君を脅かす存在にはなりたくない」


 アルトはしばらく、だめ、だめ、だめ、と私に聞こえるか聞こえないかほどのささやかな声で自分に言い聞かせていた。


「……後続なんてもう腐るほど育ってるさ。ジル達は全員部長官くらいできる。なのにまだ俺にやらせようとするし、さらに所長官からは副所長官まで兼務にさせられて……もういいじゃんか、俺はもっと早く環境研に行きたかった……そうしたらもっと近くで見張れたのに。ヴィーから気色悪がられたくないから俺は友人の雰囲気を出すことに長けてしまって、誰も俺たちを見ても勘違いしてくれないほど完璧な友人で……、どうにかしなくちゃと考えていたのにあんな、場外だった男がいきなり……、俺のヴィーを、俺のヴィーを……、こんなはずじゃなかった……童貞になりたい……どうせ俺なんか」


「アルト」


 アルトは……うじうじの、もじもじくんだった。


 ……そうさせたのは私。


「…………」


「…………」



 ヴィー。間違いなく私のことだね。


 ビアンカとは中世によくあった名前であり、大変古めかしく二世代前くらいでほぼ消滅したといわれる。同じ名前の人に私は会ったことがない。

 ビアンカが進化した現代風の名前はヴィカと言い、そしてこの星の名前には、家族や恋人だけが呼べる愛称がつく。ビアンカの愛称はビア。

 そしてヴィカの愛称は、ヴィーだ。


「ヴィー、ね……。アルト、わかりにくいよ」


「…………」


「ずっと……気づかなくて、忘れて、ごめんね……臆病なのは私も同じ。貞操観念のことも、アルトをこんなに長い年月悩ませてしまっていたなんて。……私、最低だね……ごめんなさい。申し訳ないです」


「……君には決して自分のことを最低とか、そんな風に思ってほしくない。俺の問題だから……」


 アルトがふ、と顔を上げてくれた。

 それだけで嬉しくて……私は心がいっぱいになって……微笑んだ。


 彼の銀色の瞳が、少しずつ開かれる。


「ああ、ヴィー……、いや、ビアンカ。ビアンカ……、まだ俺に笑ってくれるの? ああ……、君が大好きだよ」



 ぽぽぽ、と顔が赤くなったのが自分でもわかる。


「……嬉しい!」


「! そうか、……はは、……ありがとう……少しは……これで、諦めもつくかもしれないな……ああ……多分……、爺さんになったころにはきっと……」



 アルトは震えた声でそう言いながら顔を片方の大きな手のひらで覆い、笑いながら、ぽろ、と頬にすべる雫を床に落として……また俯いた。



「え、あれ? あ、えっとアルト、……私も、アルトが好きよ。あの、まだ間に合うようでしたら私と、お付き合いいただけませんか?」





「……は?」





 その後アルトはしばらく私を見つめて、ぼーーーー……としている。

 涙を拭うのも忘れて。




「え、俺と?」


「あ、はい……アルトと……いや、アルトがもし良ければ……だけど……」


 あれ、違った? いや、私いま酔っぱらってないから多分話の筋は間違ってないはず。


「俺と付き合ってくれるのか? なぜ?」


「え、『なぜ』!!? えっと。アルトが好きだからよ?」


「……」


「……」


「あいつは……?」


「あいつ?」


「俺は童貞じゃないぞ。あとでやっぱり童貞相手がいいなんて言っても、絶対俺は君を離さないけどいいのか? それにあいつだよ、オルロフはどうした……いや、いい。気にしなくていい、忘れてくれ。今君は俺に告白したんだ、この際オルロフなんてどうでもいい! 俺のほうがずっと先なんだ、あいつとの婚前交際なんてつぶしてやる」


「は? 婚前? えっ、わっ」


 彼は急に立ち上がり、座る私の目の前で両膝を折り、私の両手を取る。私が少し彼を上から見る格好だ。


「ビアンカ……、俺と付き合ってくれるんだね?」


「あ、はい」


「ああっ……信じられない、夢みたいだ! ヴィー、ビアンカ、好きだよ! ああ、格好悪くてごめんよ、手が震える……!」


 ぎゅ、と大きな手で両手を包まれる。アルトはさらなる真剣な眼差しで私に視線を向けた。



「ビアンカ・ジャベリ、ずっと君だけを想ってきたよ! ずっと、ずっと誰よりも大事にする。だから結婚してほしい、俺と」






























「ビアンカ、それは重いわあ」

「無いわー」

「それあんまり人に言わないほうがいいよ」


「……」


 寄ってたかって、なによみんなしてさ。


 ここはいつもの食堂。その中央の大きな食卓に座り女友達と晩ごはんを食べているところだ。

 今しがた全員に私の近況を吐かされ、……全部なんて言えないけどさ、でも、彼女たちの感想がどこかで聞いたような同じ台詞であった。

 思わず自分の胸まで伸びたくるんくるんの黒髪を両手で掴み頬に寄せた。



「付き合うを飛び越していきなり婚約。アルトくんがそんなに余裕のない重い奴だったとは。それこそ短小だったらどうしてくれんのよね。ってそんなわけないか」

「いやあまさか密かにとんでもない追走劇をしていたなんて。王宮騎士の内定辞退って過去の事例は六十年前って聞いたことあるよ。二百年ずっと人気職業第一位だというのに、そんな高倍率の仕事を蹴った理由が……」

「これかー!」


 なんでみんな私を指して残念そうに乾杯してんのさ! 失礼な!


「しかも結婚するまでは結局古代人の貞操保護は続くという。なんたる苦行」

「しかしおめでたい。式まであと半年か。まあこの婚約期間も楽しいんだろうねえ」

「アルトくん、もう毎日デロンデロンじゃん。以前の清々しい、できる男の凛々しい姿はどこへいった。粘着質というか粘着物だよねもはや。あ、そろそろ迎えにすっとんで来る時間かな」

「でもさあーなんでか私たち、あんたとアルトくんには何にも嫉妬とか感じないのよねえーふしぎ」

「まあまあ。それはさ、純粋に友達が一人の迷える粘着物のやばい愛情を救ってあげたわけだから。嫉妬とかじゃあないよね。おめでとう……と言っていいのかもちょっと迷うよねえ! はっはっは」

「それだ! ははははは」

「めっちゃそれ。あはははは」


 ほんと、なんて人たちだ。……だから、私はこの女友達が大好きだ。




「ビア……! 迎えに来たよ。こんばんは皆さん」


「あらーお疲れさまアルトくん!」

「アルトくんのビアは今日も飲んでいませんよーご安心下さい」

「ウケるモリナ、訊かれる前に答えてるははははは」

「モリナさんありがとう。全員分俺が払っておく」

「やったー!!」

「じゃあねビアンカ、また今度!」


「うん、おやすみ!」





 食堂から出たらアルトに手を差し出されたので、そこに自分のを重ねた。


「寒くなってきたねえ」

「ああ。……ビア、今日は俺のところに泊まるよな?」

「うん、いいよ。でも何もしないよ」

「わかってる。でも俺はする。ビアはなにもしなくていいよ」

「うー……。またあれか……」


 アルトは出張のあの夜、私の貞操を散らしてはいなかった。結婚するための、あの場しのぎで思いついた嘘だったのだ。

 私が、己の考えが誤っていることに気づけたのは今となっては彼の嘘のおかげだったのだから、終わりよければすべてよし。


 でも、だったら私は結婚まで操を立てるというせめてもの想いを遂げたってバチは当たらないのでは?


 ということで、アルトとは結婚まで何もしないことを決めたのだ。

 しないったらしない。唇を合わせることもない。どんなに懇願されても半べそで愛を訴えられても、筋肉だらけで息苦しいほど抱きしめられても、なんかへんなものがお尻にあたっても、しないと言ったらしないのだ。

 アルトは、自分がついた大きな嘘にとても罪悪感を感じているというのもあるのだろう、なんだかんだべそべそしても、絶対約束は守ってくれる。



「ビア、おいで……」


 人通りの少ない路地へ曲がったところで彼は私に振り返り、両手を広げて抱きしめてきた。


「……体の芯がやけに温まる……」

「体熱だと時間かかるから熱魔術使った。俺のビアが風邪なんかひいてしまったら大変」

「高度な魔術をこんな道端で無駄遣い……体力のある魔法使いがそばにいると便利ね……」

「抱きしめないと使えないから、俺のビア限定だ」


 ヴィーというのは、私にばれないように私のことを周囲に話したいがための愛称とのことだった。アルトが総研の方たちに何を話してしまっていたのかなんて、聞きたくないのでそのまま忘れることにしている。ひいい、私の最悪なお酒の失敗などを話されているかもしれないと思い、最近は総研に行くたび目立たないように端っこを歩くようになった。


 そして私が彼とお付き合いすることになり、というか一気に婚約に至ったこともあり、アルトは堂々と正式に呼べるビアンカの愛称を呼ぶようになったのだ。もうね、正直なんでもいい。



 好きな人が幸せになるのなら、それでいいや。



「あのさアルト。揃って連休だしさ、ちょっとお酒買って帰」

「却下」


 すごい、間髪をいれずに返答された!

 だってあれをするんでしょう? 恥ずかしくてたまらない。私、記憶を飛ばしておきたい!

 私はアルトとお付き合いを始めてから、彼のいないところでは一杯すらお酒を飲まないようにしている。でも彼がいるなら、ちょっとくらい飲んでもいいじゃない。……だめ?


「……お祖父ちゃんもお酒好きなんだけどなあ。明後日お祖父ちゃん来たら、絶対質問されるからね。『サーガソンくん、ときに君は過去、女性と交際をしたことはあるのかね? ほほう、してその昔の女性と君の貞操はいかに』」

「わかった、わかった! 負けたよ。でも今夜は飲まないでくれ。……俺はきちんと起きているビアに愛してると言いたい」


「…………」




 お酒はとっても美味しくて大好きだけど、それよりもっと甘くて深ーいものを知ってしまった……かもしれない。






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