第82話 魔法を解きたい

 翌日陽明君ヤンミョングン様が部屋に来た。


「昨日私に我慢させたのだから、今日は二日分聞かせてくれ」

「はい。今日は特別ですよ。氷姫がサルに習って木登りをしていたところでしたね。

 ……姫は木に登ったのですが降りることができなくなりました。助けてほしくて、枝に座って誰か人が通らないか待っていたのです……いくら待っても小さな動物ばかりで、人は誰も通りません。

 太陽が西の空に沈みかけたころ、ついに馬に乗って誰かがやってくるのが見えました。それはこの国の王子さまでした。

……ここまでが昨日お話しする予定だったところです」

「ますます面白くなってきたな」

「でも、次が最終話です」

「もう最終話か? 中途半端ではないか?」


 陽明君様の目の力が強すぎて、めまいがしそうだった。中途半端でも強引でも、ここで終わらせると決めていた。陽明君様とお会いするのは今日で最後にしなければいけないと思ったからだ。


「申し訳ありません。今日が最後です。

 王子は姫があまりに美しいので一目ぼれしてしまいました。姫を助けなければと馬を木に近づけ、手を伸ばしたのです。姫は王子に支えられ、馬の上に降りることができました……。

 ……王子は行く当てのない姫をそのまま馬に乗せてお城に連れて帰りました。しかし、感情のない姫が何を考えているのか、どうしてあげればいいのか王子にはさっぱりわかりません。それでも、王子は姫に喜んでもらいたくて一生懸命尽くしていました。

 ある日、二人はお城の塔の上にいました。そこからは、都が一望でき、民の息遣いが聞こえるようでした。そしてその向こうには海が広がっていました。水平線には今まさに夕日が沈もうとしているところです。

 こんなに美しい夕陽を見せても、姫の表情は全く変わりません。

『どうしても姫に見せたかったんだ』

 王子がそう言ってニッコリ笑いかけた瞬間、姫の目から一筋の涙がこぼれ落ちました。王子は姫の涙があまりに美しかったので、そっと口づけをしました。その瞬間、姫は金色の光に包まれたかと思うと、なんと、笑っていたのです。その微笑みはまぶしくて、とても優しく美しいものでした。王子の心からの愛情が、姫にかけられていた魔法を解いたのです。それから二人は結婚し、仲良く暮らしました。おしまい」


 最後は雑になってしまったことは否定できないが、どうしても終わらせたかった。


「ねえ、姫、私も姫の魔法を解いていいかな?」

「もちろん」


 何を意味しているのか、深く考えずに答えてしまった。次の瞬間、陽明君様の唇が私の唇と重なっていた。私は驚いて、思わず後ろに下がってしまった。陽明君様はそんな私の様子を見て微笑んでいた。


「いつも冷静な姫のそんな顔を見られたということは、魔法は解けたかな?」


 遊びなら勘弁してほしい。初めてなのに!


「姫がかわいくてしょうがないのだ。会えないとつらいし、一緒にいる時間は楽しくてしょうがない。そして、いつだってここから帰りたくないと思う。こんな気持ちは初めてだ」


 私は自分の唇を指で触れた。


「すまない。いやだったか?」


 うれしかった。でも……。


「そなたのことを考えると胸が苦しくなって、どうしても気持ちを伝えたくなってしまったのだ」


 私も陽明君様のことを考えると胸が苦しくなる。でも……。


「奥様がいらっしゃるではありませんか」

「私は妻とは政略結婚だったから、このような気持ちにはならなかった。姫は私に恋を教えてくれた特別な人だ」

「でも、奥様に申し訳ないです」

「妻には思いきり優しくして尽くしているから、大丈夫だ」


 それもどうかと思う。そんな言葉のせいで、罪悪感と欲望が私の中で戦っていた。


「なぜそのように冷静でいられる? 姫はどうなのだ? 私のことをどう思っている?」


 私は冷静じゃない。本当は弱くて醜い人間だ。人から愛されたくて、好かれたくて、それをさとられたくなくて、冷静を装っている。


「私は……」


 陽明君様がふわりと私を抱きしめた。どうしよう。逃げるべきか、受け入れるべきか。


「逃げないのだな」


 耳元でのささやきが熱い。私は陽明君様の背中に手をまわし、受け入れた。次の瞬間、唇が重なり、リアルな感触に、こっちが本当のファーストキスかなと、妙に冷静に考えていた。


 もう会わないと決めていたのに、コムンゴもやめ、物語も終わっているのに、陽明君様は毎日私の部屋に遊びに来た。


 外に出るなという世子様の言いつけなど、意図的に忘れ去られていた。陽明君様は、氷姫の物語のように私を馬に乗せたり、景色の良い高台へ夕日を見に連れて行ってくれたりした。何をしてもどこへ行っても、その一瞬一瞬が美しくて甘くてとろけるような日々だった。しかし、夢のような幸せは、このままでいいのだろうかという不安と、いつも隣り合わせだった。






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