第80話 美少年ユンシク

 陽明君ヤンミョングン様に連れられて訪れたのは、真珠楼しんじゅろうという名前の妓楼だった。夕暮れの空を背景に建つその建物は、細い木の格子の窓から温かい行燈の灯が漏れ、懐かしいような妖しいような雰囲気につつまれていた。


 私たちは一番奥の部屋に通された。座っていてもなんだか落ち着かなくて、部屋の中を見回していると、落ち着いた色の上等な衣装を着て、髪を後ろにまとめた気品のある女性と、髪を大きく結い上げ、目の覚めるような衣装を着た妓生キーセンが入ってきた。笑顔で声をかける陽明君ヤンミョングン様の様子を見ると、どうやら顔見知りのようだ。


英月ヨンウォル、今日はそなたのコムンゴを聞きたい」

「承知いたしました」


 どうやら、この人は、妓楼の女主人のようだ。卓の上には食べきれないほどの料理が並べられた。


「陽明君様、今日はとてもいい男を連れていらしたのね」

桂香ケヒャン、この者は……ユンシクと申すものだ」


 その瞬間、自分の名前がユンシクになったことを知った。先に聞いておけばよかったと思ったが、そんなことより陽明君様がつけてくださったと思うと嬉しかった。


「まあ、ユンシクさん、初めまして。桂香と申します。よろしくお願いしますね。かわいいわあ。私好み」

「よ、よろしくお願いします」


 桂香に押され気味だったが、男と思ってくれたようだ。

 英月は人をいい気分にさせる天才で、自然にほめ、話をよく聞き、私達を立ててくれた。酒がなくなるころ合いに酌をし、気配りは痒い所に手が届くという表現がぴったりだ。桂香も英月の教育を受けているのだろう。負けず劣らずだが、こちらは賑やかで盛り上げるのがうまい。


「それではコムンゴをご披露いたしましょう」


 英月がコムンゴ、桂香がチャンゴを担当し、陽明君様のリクエストに応えてくれた。私が練習している、あの曲だ。


 初めて聞く本物の演奏は、妓楼の雰囲気に溶け込むような、妖艶で心にしみる響きだった。


「やってみるか?」


 英月と桂香の演奏が終わったかと思うと、陽明君様が私の手を取り、立ち上がった。


 息ができない。触れられることに慣れていない。なぜそんなに気軽に女性の手を握ることができるのだろう。


「さあ、やってみよう」


 言われるままコムンゴの前に座って構えると、陽明君様も太鼓の前に座ってバチを持った。私たちは、曲の入りを合わせるため、お互いの顔を見た。


 綺麗な顔。真剣な眼差し。


 鼓動が早くなって、死んでしまうのではないかと思うほどだった。私たちは息をあわせ、演奏を始めた。


 演奏に集中しなければならない。熱い顔や、暴れる心臓を御すのに必死だった。しかし、曲が進み、合わないポイントが近づいてくると、そちらに意識が集中してきた。


 さっきお手本を聞いて、リズムが自分の予想と少し違うため合わせにくいのだとわかった。雰囲気がつかめたので、今度は見事に合わせることができた。


 英月と桂香が盛大に拍手をしてくれた。最高にすっきりした気分だ。音楽はやっぱりいい。


「そなた、本当に耳がいいな。一度聞いただけでここまで合わせられるとは」

「ユンシク様、まだ始めたばかりだそうですね。短期間でここまでできるなんて、すごいですわ」


 それから酌をされるまま酒を飲み、話に花が咲き、大いに笑った。私はこんなに明るいキャラではなかったはずだが、陽明君様に魔法をかけられたようだ。


「そろそろ時間だね」


 ポンスンにごまかしてもらうのも限界がある。帰ろうと立ち上がった時だ。私はまっすぐに歩けなかった。


「あれ? まっすぐ歩けない」


 私はお酒に強いことに関してはかなり自信がある。大っぴらには言えないが、大学に入学した時から、コンパでは飲んでいたし、どんなに飲んでも、あまり酔えず、逆にシラケていた。しかし、今日はとても陽気だし、なぜか思うように歩けない。


「そなた、飲みすぎだ。しょうがないな。ほら、乗りなさい」


 陽明君様が私を背中に乗せようとした。


「だ、大丈夫です! おっと……」

「大丈夫ではないではないか。素直に乗りなさい」

「はい」


 王族にこんなことをさせるなんて、今思えば私の首がよくとばなかったものだ。


 陽明君様の背中は広くてあたたかかった。夜空には満月が出て、ものすごい量の星が、大きな星から小さな星まではっきりと見えていた。私はくらくらする頭を、コツンと陽明君様の肩に乗せて、「星空のディスタンス」を歌いだしてしまった。


「なんだ、その変わった歌は」

「ベストテンに入った歌です~」

「何?」

「あ~何でもないです~」


 私は陽明君様の耳元で散々歌ったのは覚えているが、いつの間にか眠ってしまったようで、気付いたら自分の部屋で朝を迎えていた。とても頭が重くて、気分が悪いうえに、昨夜の失態を思い出し、しばらく起き上がれなかった。私のバカ。私なんか大嫌い。






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