第69話 俳優、ユ・テハに戻る
蒸し暑い。さっきまで凍るほど寒かったのに、蒸し蒸しするし、俺が着ているのはシャツ一枚だ。俺はなぜ道路に寝ている?
あたりを見回すと、ここは、過去の世界に行く直前までいた場所だ。それに、このシャツもあの日と同じ。
そうだ。あの日、酒を飲んで酔った俺は、店を出た後、人にぶつかって転んだんだった。向こうの世界には3年半もいたのに、こっちでは俺が転んだときに戻っているのか? こっちに携帯を向けて、写真を撮っているヤツがいる。あっちのやつは動画を映しているんだろうか?
きっと、ネットに投稿されるのだろう。俳優というのはこういう時つらい。しかし、そんなことはどうでもよかった。
「やったーーーー!!」
ネットで動画を見た人は気がふれたと思うだろう。しかし、我慢しきれなかったのだ。
俺はポケットから携帯を出した。日付と時間を見ると、俺が向こうへ行った時から、ほとんど時間が経っていないことが分かった。あの日の続きをやればいいのだ。時間が経っていないのなら誰にも心配をかけていないはずだ。よかった。俺はゆっくり体を起こした。
「あれ?」
身体が重かった。思うように動かない。向こうでの最後の半年は鍛え上げていたので、体が締まっていて、動きにキレがあったと思う。しかし、こっちの俺は、毎日不摂生をして、メタボ体型になりつつあった。自分の腹をつまんでがっかりした。やわらかい肉ががっつりあったからだ。ゼロからの出発だ。ホミンに会える体型になるには、少なくとも半年はかかるだろう。
翌日から俺の3年半前の生活の続きがはじまった。あの頃はマネージャーや、事務所のスタッフに不満ばかりをぶつけていたが、久しぶりに会えて抱きつきたいくらいうれしかった。
俺はジムに通い、同時に事務所の練習室を借りて、向こうで習った武術を復習した。俺はちゃんと覚えている。あれは夢なんかじゃない。だから、ホミンの存在も決して夢ではないはずだと思えて、本気で取り組むことができた。
日本人のホミンを探すため、そしてホミンと日本語で会話をするために、日本語も習い始めた。日本進出するKポップアイドルたちと一緒に学んだのだが、俺が一番早く覚えた。真剣さは誰にも負けない自信がある。以前は努力もせず、仕事に対してあきらめ気味だった俺の急激な変化に、事務所のスタッフは驚き、戸惑っていた。
俺はどんな仕事も断らずに引き受けて、一生懸命取り組んだ。脇役だろうがバラエティーだろうが、作る側の求めるものを素直に精いっぱい表現する努力をした。
半年ほどして体が引き締まってきたころ、刑事もののドラマで、主人公とバディを組む刑事の役をもらった。俺は持てる力のすべてを注いで取り組んだ。このドラマは結構アクションが多くて、出番も多い。習った武術を生かして、今までにないアクションシーンが撮れた。日本ではいつ見られるのか、そもそも公開されるのかすらわからないが、ホミンに見て欲しい作品になった。
ある日、俺はいつものようにインスタとツイッターに、今日のロケ地で撮った写真をアップしていた。ファンからのメッセージはハングルがほとんどだが、ツイッターのメッセージに日本語があるのに気が付いた。
「ユンシクです。30年前はありがとうございました」
ユンシクだと? 本物だろうか。でも、内容は俺たちにしかわからないことだ。普通に考えたら、30年前の俺はまだ赤ん坊なのだから。俺は思い切ってダイレクトメールを送った。
「ユンシクはいつかえりましたか?」
返事はすぐに帰ってきた。
「ジンの旦那が帰った3か月後、1984年1月15日へ帰りました。ほとんど時間が経っていませんでした。いっしょにホミンを探しましょうか」
間違いない。ユンシクだと確信した。
「ちかいうちに、にほんにいきたい」
俺は会話はずいぶん上達していたが、文章は苦手だった。翻訳機能は大体の意味は分かるがでたらめも多い。とにかく、会って話した方が早いと思ったのだ。
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