第55話 真珠楼①

 俺は大急ぎで残りの仕事を片付けていったが、簡単には終わらなかった。積み荷を作って取引先に引き渡すといった体を使う仕事が多かったので、気力だけで動いていた。この二日間はほとんど寝られず、地獄のようだった。夕方、大行主テヘンスが俺を呼び止め、事務所に招いた。


「ジン、すまなかったな。お前の手下に濡れ衣を着せて、本当に申し訳なかった。それから、私が手形がないと騒いでいたことは、旦那様には黙っていてくれないか? 今日はもう帰っていいからこれで、酒でも飲むといい」


 大行主が包みを俺に握らせた。中身を見て驚いた。大行主にしては張り込んでくれていた。明らかに口止め料だ。そうとうやばいことなのだろう。


「大行主様、ご安心ください。黙っていますから」


 俺は持っている演技力をフルに使って悪い顔で笑ってやった。


 俺は安心感と達成感で、機嫌よく街を歩いていた。すると、懐かしい二人にばったり出会った。チョンスとソンミンだ。こいつらは俺がゴロツキだったころの弟分だ。


「おい、チョンスとソンミンじゃないか! 懐かしいなあ!」

「これは、ジン兄貴!」


 二人とも嬉しそうに俺に声をかけてくれた。俺がゴロツキから足を洗ってそれぞれの道を歩み始めて以来の対面だ。ちょうどいいところに出会えたもんだ。こいつらのつながっている闇のルートの情報をつかみたい。


「お前ら、今から飲みに行くぞ! 今日は俺がおごってやる」


 俺は二人を真珠楼に連れて行った。


 いつもはヨンジャの店で飲むことが多いが、今日は臨時収入のおかげで贅沢ができる。女に酌をしてもらって飲むなんて、ゴロツキをやっていては一生叶わない。こいつらを喜ばせなくては。それに見合う情報を持っている奴らだ。


「いやあ、ジン兄貴、羽振りがいいんですね。俺たちの中で一番成功したんだな。さすが兄貴!」


 姐さんたちは実に巧みにお酌をしてくれる。二人も大喜びで、俺に酌をしてくれたので、酒が進んだ。俺は酒に強いから、簡単には酔わない。しかし、これまで、寝ずに仕事をしていて疲れているせいか、俺はすっかり酔っ払って眠くなってしまった。


「ちょっと外の風にあたってくる」


 俺は立ち上がり、外に出ようとしたが、足がふらついた。


「兄貴、大丈夫ですか?」


 ソンミンがついて来ようとしたが、俺は断った。


「大丈夫だ。お前たちは楽しんでいろ」


 飲みすぎた。厠へ行った後、渡り廊下までふらふらと歩いて行った。ここなら外の風にあたることができるし、他の部屋から出てきた者に会うこともない。少し酔いを覚まして帰ろうと手すりに座って空を見ると、月がまん丸だった。その時、どこからか歌が聞こえてきた。


 澄んだ高い声は心を洗うようだった。しかし俺は耳を疑った。聞こえてきた歌は、この時代のものではなかったのだ。このリズムと節回しは、俺がいた時代の歌だ。いったい誰が歌っているのだろう?


 声の主が知りたくて、声が聞こえてくる方に吸い寄せられるように歩いて行った。しかし、護衛の者が固く守っていて、部屋の近くまで行くことすらできなかった。


 俺たち以外にもこっちへ来た女が妓生として生きているのだろうか。


 俺は仕方なく元の場所まで引き返し、ほんのりと聞こえてくる歌を聴いていた。


 優しい旋律、美しい声。愛する人を思う歌。歌詞に込められた歌い手の心が伝わってくる。なぜかガラにもなく涙が出てきた。心が洗われるというのはこういうことなのかと思った。もっと聞きたかったのに、たった2曲で終わってしまった。まだ宴は続くだろうから、当分出てこないだろう。 


 まだ頭がくらくらしていた俺は、外を見ながらいろんなことを考えていた。


 もう少しでホミンを大変なことに巻き込むところだった。解決できて本当に良かった。あいつ、子犬みたいだよな……。嬉しそうに駆け寄ってくるホミンを思い出し、思わず笑いながら振り返ったその時だった。


 ドン!


 ひとりの妓生キーセンが俺の胸にぶつかった拍子にドサッと床に座り込んでしまった。


「あっ……」


 一瞬目があったが彼女はすぐに下を向いてしまった。長いまつ毛で綺麗な目が印象的だった。痛むのか立ち上がれないようだった。


「……大丈夫か?」


 その妓生は下を向いたまま動かない。


「ほら」


 俺は起こしてやろうと、両手を差し出した。そいつは恥ずかしそうにしていたが、おそるおそる右手だけを俺の手に乗せた。俺は反対の手もぐいっとつかんで引っ張り起こしてやった。しかし、そいつはまだ下を向いたまま、助けた俺の顔も見ずに手を振りほどこうとしていた。






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