第38話 世子様?!

「ホミンよ、そなたの力が必要だ。協力してもらえるか?」

「もちろんです! 兄貴のためなら何でもします!」


 ホミンはソン・ジシュクの言葉に力強く返事をしながら、ちらりとジンの顔を見た。


『ホミン、お前、女だろう』


 ジンは昨日そう言ったのだ。あの後、本当はどうしようと思ったのか。ホミンは思わず視線をそらしてしまった。


「ホミン、もっとこっちへ来い」


 ジンがひそひそ声でホミンを呼んだ。その小さな声が聞こえる距離は、格子越しとはいえ、かなり近よらねばならない。


「俺と行った川だ。あの時、俺が用を足しに行った場所はわかるか?」

「はい。あまり見ないようにしていましたが」

「用は足していない。そこに帳簿を埋めたんだ。大きな木の横にある低い木に、黄色いしるしを結んである。帳簿を入れた袋の端切れだ。地面を掘ったら、同じ色の袋が出てくるから、すぐわかるはずだ」

「わかりました。任せてください」

「頼んだぞ。気を付けて行ってくれ」


 そう言って、ジンは格子の間から手を出し、ホミンの手を握った。その時だ。捕盗庁ポドチョンの兵が走ってきて、声をひそめて言った。


世子セジャ様、もう限界です。交代の兵が来ます。奴らは向こうの息のかかった連中ですから、見つかったら大変です!」

「世、世子様?!」


 ホミンは周りをキョロキョロ見回したが、そこにはソン・ジシュクしかいなかった。


「わかった。ジン、すまないが、少しの間耐えてくれ!」


 ソン・ジシュクはそう言うと、ホミンの手首をつかんで走り、なんとか交代が来る前に外に出て、捕盗庁から離れることができた。ずいぶん走ってきたので歩を緩めた時、ソン・ジシュクはハッとして手を離した。少し後ろを、護衛のチェ・ユンソンもついて来ている。


「すまない。痛くないか?」

「大丈夫です。それより、世子様って……」

「気にするな」

「気にします! まさか、ソン様は世子様?」

「あ……まあそうだが」

「全然無能じゃないじゃないですか!」

「それは世間の噂だ。確かに私は世子だし、記憶もない。だが、日常生活に支障はない。無能の振りをしているだけだ。なぜならその方が都合がいいからだ。すまないが、私が世子であることは、ユンシクには内緒にしてくれないか?」

「また師匠に内緒ですか?」

「彼女は真面目だから、きっと世子だと知ると、距離を置いてしまうと思ったのだ」

「彼女って……世子様、師匠が女だって知ってたんですか?」

「ソンと呼べ」

「申し訳ありません!」


 そう言いながらもホミンは笑っている。初めて会った日に、彼はホミンにユンシクの絵を描かせ、大事に持って帰った。思いを寄せていることはわかっていたが、どうやら男色ではなかったようだ。


世子は身の置き所がないと言った様子で答えた。


「そなた、物怖じしないやつだな……そう、知っているよ。最初からね」

「良かった~。報われない愛かと思って胸を痛めておりました」

「どういう意味だ」


 世子の口がへの字になっている。


「師匠のことが好きなんでしょう? バレバレです。男である師匠を好きなソン様は、師匠が女だと知ったらがっかりするのではないかと、気の毒に思っていました」

「そなた、なんてことを……」


 世子は、額に手を当て、不器用に恥ずかしそうな顔をして黙ってしまった。


「師匠、後で世子様だって知ったらショックを受けると思いますけど」

「今更だ。もう、隠したまま随分時間が経ってしまったよ」

「僕が応援していますから。でも、世子様のご身分では、簡単ではないですね」

「いいんだよ。月に一回顔を見られれば」


(なんていじらしいんだろう。でも、師匠は世子様の兄上の陽明君ヤンミョンクン様に心を奪われている。やっぱり報われない)


 何を言っていいかわからず、しばらく沈黙してしまった。


「今日は月が見えないね。暗い夜だ。屋敷で今後のことを話そう」


 世子が話を変えてくれた。






  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る