第27話 ジンの優しさ

 杏奈は大学からの帰りの電車に乗っていた。窓を背にしたシートにもたれかかり、いつものように携帯を持ち、ツイッターをチェックしていた。


 ユリ『昨日の「漢陽ハニャンの華」良かったね』

 みかん『大妃テビ様(先王の妃)が、陽明君ヤンミョングンは死んだって言ってたね。ユリさんの推しが!』

 オウル『彼のモデルとなった世子セジャの兄は30歳で亡くなったんだよ。息子3人、娘が2人いたが、子供たちはまだ幼かった』

みかん『なぜ死んだの?』

オウル『歴史書には病と書かれているだけだ』


 そこでホミンは目が覚めた。いつもそうだが、どっちが夢でどっちが現実なのかわからなくなる。きょろきょろ見回して、古い家と、男の衣服、ホミンである自分が現実だと認識することができた。

 

 陽明君様は30歳で病で亡くなる、それは歴史上の事実だと歴史オタクのオウルさんがツイッターで教えてくれたから間違いないはずだ。師匠はあんなに幸せそうだったのに陽明君様を失うのだろうか。今の陽明君様は30歳くらいに見える。あまり時間がないかもしれないと思うとやりきれなくなってきた。



 ***



 今日は、ジンの商団の御用聞きの日だ。


(どんな顔で兄貴に会えばいいんだろう?)


 昨日の出来事が鮮やかに蘇った。


(いけない。顔が熱い。こんなんじゃ、顔に出てしまう)


 ホミンは頬を両手でぺチぺチたたきながら商団へ入って行った。


「こんにちは~!」


 気合を入れて入って行ったが、ジンはいなかった。ホミンは鮮やかな景色が色あせていくような、何かがフェイドアウトしていくような気がした。ちょうど部屋から出てきたヘリョンがホミンを見つけて近づいてきた。


「こんにちは。ホミンさん」


 穏やかな笑顔、優しい声。この人に会うたびに勝てる気がしないと自信を無くしていた。


「兄貴はお休みですか?」

「今日は遠出の仕事で明日まで帰らないとおっしゃっていましたよ。」

「そうですか……。」


 どんな顔をして会おうかと思っていたが、会えないと残念で仕方なかった。そして、まるで妻にその夫の所在を聞いているような、今のこの感じがとても嫌だったのでその場を立ち去ろうとすると、ヘリョンが言った。


「先日は素敵な絵をありがとうございました。なんとお礼を申し上げたらいいか……。本当にお代はいいのでしょうか?」


 心から素直な気持ちでお礼を言っているヘリョン。ホミンは、この人は天使のように無垢で、色で例えるなら清らかな白だと思った。嫉妬している自分が恥ずかしかった。


「大丈夫です。お試しで無料ですから」

「おかげさまで、主人が大変喜んでいました」

「ご主人がいらっしゃるんですか?」


 不倫? それとも、兄貴の片思い? さらに複雑な展開になってきた。


「はい。この商団で主に仕入れを担当しているので、いつも遠くに出かけていて、ほとんど家にいないのです。主人とジンさんは親友なんですよ。ジンさんの計らいで、離れていても私のことを忘れないように肖像画を贈ることができました。私たちには子供がいないし、他の女の人を好きになったらどうしようって心配ですし。ホミンさんの絵はとてもきれいに描いてくださっていたので本当にうれしかったんです。」

「そうなんですか、お役にたてて良かったです。今度はご主人の肖像画を描かなくてはいけませんね。」


(やったー!)


 ホミンは心の中でガッツポーズをし、ゆるむ顔を押さえるのに必死だった。


「それは素敵ですね。次はお代を払いますので是非よろしくお願いします」

「ありがとうございます!」


 ヘリョンにペコリとお辞儀をして背を向けた瞬間から、ホミンの顔はゆるみっぱなしだった。


(兄貴に会いたい!)


 ジンはきっと、親友への思いやりから絵を頼んだのだと思う。ジンの優しさにあらためてふれることが出来て、ますます恋しくなった。しかし、せっかくここに来たのにジンはいない。いつもならいる時間なのにジンは今日帰らないのだ。もうここにいる理由はない。仕方なく、商団を後にした。


 染みるような何とも言えない甘い胸の痛み。テレビの中のあこがれの人は、もう憧れだけではなくなっていた。


(会いたい。顔を見るだけでもいいのに)






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