対クリスタリア専門員・イージス ④

 献咲家の総本山から車を走らせて一時間。地平線に夕焼けが消えゆく時間帯、中央区の端地に建てられた一軒家に辿り着く。

 車庫にジープを停めると鍵を突っ込み玄関の扉を開ける。その先には二人で住むには少しばかり広い、されど見慣れた空間が待っていた。


「お風呂入れてくる!」

「お、それじゃよろしくな」

「任されましたっ」


 蓮二は机の上に置いたジュラルミンケースを開ける。中には七発込めのマガジンが数本、隣の小箱には計七〇発分の徹晶弾がしっかりと封入されていた。

 確認後はそのままロッカーへと突っ込みロックをかける。突如背後から迫る気配を察知した蓮二、振り返れば飛び込んで来る物体を咄嗟に抱き留めた。

 しかしその勢いが完全に止まることは無かった。結果硬いものが鳩尾を直撃し顔を青く染める。震えながら視線を下げれば、満面の笑みを浮かべ頭を擦り付ける一海の姿が認められた。


「か、一海、退いてくれるとありがたいんだが……」

「やーだ! 最近の蓮二は色々危なっかしい! だからしばらくこのまま!」


 更に押し付けられる頭蓋。本人はスキンシップのつもりなのだろうが、正直言ってかなりキツい。ただ自分のせいでこうなったという負い目もあるため突き放すことも出来ず、最終的には甘んじて受け入れるべきと判断する。

 小さな体をその手で抱き締める。ほんのりと感じる暖かみは、間違いなく人間の少女のものだった。


「あっ!」


 一海は突如として手を振り払って立ち上がる。何事かと思えば、自身の匂いを確かめて顔を赤く染めていた。


「……ねぇ蓮二、汗の臭いとかしなかった?」

「いや、別に気にならなかったぞ」

「そ、そっか。それならよかった」


 少しだけ離れて座った一海、その様子は先程よりもだいぶ控えめだ。幼くても女子、そういうところはしっかり気にするらしい。

 春とはいえ今日は晴天、降り注ぐ日光によって夏日としても違和感はなかった。その下で任務と戦闘をこなしたのだ、汗をかいているのが自然だろう。

 ――もしかしたら、俺も不快な思いをさせてしまったのではないか。蓮二の胸中に不安が燻ぶる。


「い、一応聞いておくが、俺の方はどうだった?」

「んー? 蓮二の匂いなら大好きだから大丈夫!」

「全く参考にならないんだが⁉」


 笑顔で言い放たれた一言。こういった事で世辞を言うような関係でもないため純粋にそう思っているのだろうが、今求めている答えでは無かった。

 腕に鼻を近づけ嗅いでみるが特に違和感は無い。だが臭いなどは得てして他人にとっては不快に感じたりもするものだ。

 払しょくできない不安に苛まれているとピロリン♪ と軽快な音が響く。風呂場の湯が張られた合図だった。


「じゃ、先に入って来るね! ……一緒に入る?」

「アホか! さっさと行ってこい!」

「ふふっ、はぁーい!」


 着替えを手に風呂場へ向かう一海。その様子は随分と機嫌の良いものだった。

 子供らしいといえばそれまでのなのだが、ああいった冗談を平気で口にしたり、はたまた突然からかってきたりと心臓に悪い。いつも決定的なことをやらかしてしまわないかとヒヤヒヤしている。

 そして何よりも、公共の場でもそういう発言をしてしまう事が一番マズい。一番酷いもので言えば毎晩一緒に寝ているのを誇張表現していたことだろう。

 おかげさまで近所の住人からの評判は最悪、『幼女をたらし込む変態野郎』として認知されてしまった。とんだ風評被害である。


「ほんと、どうしてこうなった……」


 思い溜め息を吐き出すと机に突っ伏す。件の少女はシャワーを流しながら呑気に鼻歌を奏でていた。

 蓮二は左手薬指に嵌められた指輪を見る。座に配置された石は光を乱反射し虹彩を描いていた。


 思い返せば短くも長い時間を一緒に過ごしたものだ。

 誰から非難されようとも共に歩み、導くと誓った。だがこれは違うだろうと、声を大にして言いたい気持ちもある。

 ――でも、それでいいのかもしれない。


 初めて会った頃の一海は笑うことも、泣くことも、怒ることも無かった。

 言われたことだけをこなす機械。魂の抜け落ちた人形。そう表現した方が正しいほど、自己というものが希薄だった。

 それと比べて、今では感情を表に出すようになった。人間らしさを獲得し、すっかり元気な様子を見せている。そう思えば少しくらいのやんちゃは可愛いものだ。


「さて! 夕飯作るか」


 切り替えた蓮二は立ち上がり、台所に立つ。

 一海が成長期なのは言わずもがな、自分もまだまだ食べ盛りだ。やはり食べ応えのあるものにしたい。

 米の量はまだ問題ない。みそ汁は今朝作った分がまだ残っている。となると、おかずをどうするか。

 冷蔵庫にあるものは卵、人参、ネギ。そして冷凍室には小分けした豚肉の細切れがまだ残っていたはず。


「……うし、今日は炒めるか」


 作るものさえ決まればそこからは早い。慣れた手つきで次々と調理を進めて、フライパンを揺らしながら具材を炒めていく。

 ――コンロに灯る火が、世界崩壊の日を幻視させた。


「ッ! あ、あっぶねぇ……」


 縦に大きく震えた体と連動してフライパンが意識外の挙動をする。ギリギリで持ち直したが、ただでさえ貴重な食材を危うく無駄にするところだった。

 そこからはフライパンから完全に手を離し、菜箸で和えることに。塩胡椒だけのシンプルな味付けを終えると二つの皿に盛りつける。

 ご飯、もやしのみそ汁、豚肉の炒め物を食卓に並べる。コップに麦茶を注ぎ、全ての準備が整ったタイミングで一海が長風呂から上がってきた。


「わ、いい匂い! 美味しそう!」


 はしゃぐ一海。心なしか虹色の瞳はキラキラと輝いているように見える。その姿はなんとも年相応で微笑ましい。


「なぁ一海。俺たちが出会ってから、もうすぐ一年だよな」

「正確には今日で三五九日だけどね。それがどうかしたの?」

「そんな今だから言うべき……いや違うな。言わなきゃいけないことあるんだ」

「そ、それって……ンンッ! 遂に私のアプローチに応えてくれる気になったんだね! いいよ、蓮二が思ってること、そのままの言葉で伝えて!」


 一海はほんのりと顔を紅潮させ、受け入れるように両手を広げた。

 ――では、遠慮なく。

 蓮二は肺に空気を取り込み、一気に放出する。


「風呂から上がったら、ちゃんと服を着ろーーッ!」


◆◇◆◇


「ごちそうさまでした」

「ごちそうさまでしたっ!」


 箸を置いてお辞儀する蓮二と一海。食器をまとめて流しに運ぶと直ぐに洗い始める。


「蓮二の作る料理っていつも美味しいから好きー。……そうだ、私が大人になったら専属の料理人として雇われない? お金ならいっぱい出すから!」

「断る。絶対料理だけじゃ済まないだろ」

「えへ、バレた?」


 タンクトップにショートパンツと身軽な格好に着替えた一海。ちろっと舌を出して笑うのは最初から見抜かれていると確信していたからだろう。

 だが、褒められて悪い気はしなかった。この料理技術は、何時かの母を思って習得したモノだから。


「よし、終わりっと。それじゃ風呂入ってくるわ」

「はーい!」


 蓮二は棚から着替えを手に取る。脱衣所で脱ぎ捨てた服を洗濯機に突っ込むと風呂場に続く扉を開けた。

 全身をくまなく洗った後に湯船に浸かる。シャワーだけで済ませることが多いが、より疲れが取れるのはやはりこちらだろう。

 すり減った心身に染み渡る温かさ。少し年寄りクサいかもしれないが、やはり風呂は最大級の癒しだと実感する。

 程よく温まったところで切り上げ、体に付着する水分を丁寧に拭き取る。寝間着を身に纏い居間に戻れば、一海がテレビを食い入るように見つめていた。


「またアニメ見てんのか」

「あ、おかえり! ね、今いいところだから一緒に見よ!」

「いや、俺そういうのあんまり興味ないんだが……」

「そんなこと言わずに! ほら、早くこっちに来て!」

「……はいはい、了解しましたよ」


 空返事をしながら言われた通りに一海の隣に腰を下ろす。

 画面で繰り広げられているのは年端もいかぬ少女二人がマシンチックな杖を武器に魔法で戦う光景だった。ファンシーな服装をしている割に随分と流血しており、見るからに殺伐とした雰囲気が伝わってくる。


「……俺の感性が間違ってたら悪いんだけどさ。最近のアニメってこんなに物騒なのか?」

「これがこういう作風なだけだよ。……あ、内容も知りたい? しょうがないなぁ」


 別に頼んでもいないのに意気揚々と捲し立てる一海。止める手立ても存在しない、蓮二は諦めて耳を傾けることにした。

 一海が語った内容を整理すると、ある日魔法少女になって世界破滅を謳う悪と戦うことになった浄妙寺じょうみょうじ唖錘あすいとルリカ・アルジェントが、共に八つ上の男子高校生に恋をしてしまう長編物語らしい。

 ただ、蓮二としてはどうしても突っ込みたいところがあった。画面上では魔法少女同士で戦っているのだ。


「いや、倒すべき悪はどこいったんだよ。どう見ても正義の味方同士で戦ってるじゃねぇか」

「仲間とはいえ二人は恋敵。譲れないモノがあるんだよ」

「駄目だ、俺にはさっぱり分からん……」


 頭を抱える蓮二。こんなところでジェネレーションギャップを感じるとは露ほども思わなかった。

 精神も落ち着き、ふと一海を見やる。そこには画面の変化を楽しむ一人の少女の姿があった。


「ん、そんなに見つめてどうしたの? ……あ、もしかして! 私が魅力的だから目を奪われちゃったとか?」

「安心しろ。それは無い」

「なにをー⁉」


 少しマセているところがあるがそれも愛嬌だろう、多分。

 そうこうしている内にアニメもエンディング。最後まで堪能した一海は満足げな表情を浮かべる。


「今回も良かったー。よし、そろそろ寝よう!」

「おう、そうだな」


 電気を全て消すと寝室に入り、カーテンを閉め切る。ベッドに寝転び掛け布団を被れば、一海が続けて潜り込んで抱き着いてくる。

 初めこそ別々に寝ていたが、ある日を切っ掛けに一緒に寝るようになった。今ではもはや慣れたものである。


「ふふ、れーんじ」

「……どうした急に」

「将来を誓い合った男女がベッドで二人。これはもう、このまま夜を添い遂げるしかないね?」


 一海が浮かべる笑顔は挑発的で、どこか蠱惑さを感じさせる。その小さな体を押し付けるように迫ってきて、首から下げられたドックタグが月明かりによって鈍色に照らされていた。

 イージスとしての仕事に休日は無い、食欲が満たされたからか睡眠欲がやたらと自己主張しているのだ。願わくばさっさと寝かせて欲しい。

 そうして暫くすると一海は不機嫌な様子に。どうやら反応が薄いことにご立腹らしい。


「……博士の嘘つき。こうすれば蓮二は狼になるって言ってたのに」

「またあの人の入れ知恵かよ……。というか、そもそも襲うわけないだろ」

「え……蓮二は私に興奮してくれないの……?」

「するかアホ。もっと成長してから出直してこい」


 少なくとも幼女に興奮するような性的嗜好は持ち合わせていない。

 端的に言い放つと、わなわなと一海が震えはじめた。


「ぐっ……結局胸か、胸なのか。蓮二のバカ! 唐変木とーへんぼく! おっぱい魔人!」

「ちょっと待て、なんだ最後のは! 俺の名誉を傷つけるような詐称はやめてもらおうか!」

「ふんッ、知ってるもん。蓮二、端末で胸が大きい女の人の写真集見てるよね!」


 その指摘に蓮二が凍りつく。

 確かについ先日も贔屓にしているグラビア雑誌の電子版を購入したが、それは個人端末でバレないようにやっていたこと。一海が知りえるはずのないことが、明るみになってしまっていた。


「な――なぜそれを⁉」

「私に隠し事なんて出来ると思わないでよね。一緒に過ごしてれば蓮二の思考パターンは予測できる。あとはそこから逆算してパスワードを求めればいいだけだもん」


 蓮二は絶句する。そんな手法で端末のロックを突破されるとは思いもよらなかったからだ。

 瓦解する理性。堰き止めていた物が崩壊すれば、溢れ出すのは自明の理だった。


「じゃあ俺からも言わせて貰うけどな! よくもそんなぺちゃんこな胸で男を誘惑しようと思ったな! おととい来やがれ!」

「な――ほ、本性表したね。やっぱりおっぱい大好きなだけじゃん!」

「そうだが悪いですかぁ? 男は大きいのが好きなんだよ!」

「あんな凹凸を作るだけの脂肪の塊のどこがいいの? 真に美しいのはこの滑らかな曲線美なのにッ!」


 普段ならくだらないと唾棄される言い合いは数分も続く。息も絶え絶えになったところで視線が合えば、二人は自然と笑みを零した。

 これが献咲蓮二と神藤一海の日常。イージスとしての任務に従事し、不毛でくだらない言い争いをする。ありふれて、それでいてかけがえのない、大切なモノだった。


「そろそろ寝るか。おやすみ」

「うんっ。おやすみなさい」


 挨拶と共に静まる部屋。少しすれば小さな寝息が一海から聞こえだした。

 『男女七歳にして席を同じうせず』という言葉がある。本来なら拒むべきなのだろうが、つい甘やかしてしまいズルズルと今の状態に落ち着いてしまっていた。


 というか、年頃の女子は自ら避けるものではないのか。蓮二はそう思っていたが、一海の場合寧ろ望んでベッドに入り込んでくる。一体どうすればいいというのか。

 蓮二は寝具が一つ分要らないという名分を言い聞かせ、毎晩を共に過ごしていた。


「……蓮、二」


 返事をしかけたが、寸でのところで寝言だと気付き言葉を飲み込む。しかし次に吐き出された言葉は蓮二を動かすに十分だった。


「…………寒、い。独り……嫌。助け……ッ」

「…………大丈夫。俺は、ここにいる」


 一海の小さな体を抱きしめる。優しく包み込むようにして体温を伝えながら、赤子をあやすように頭を撫でる。

 次第に苦しげだった一海の表情も和らぎ、震えも治まった。寝間着を掴む手は絶対に逃がしてなるものかと万力の如き力を宿している。


「……おやすみ、一海。また明日」


 蓮二は一海を抱いたまま、その瞳を閉じる。

 肌を通して伝わる温かさ故か。意識を闇に沈めるまで、そう時間は要らなかった。

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