対クリスタリア戦闘員・イージス ③

 これから先のことを考えていた蓮二は視線を感じる。

 意識を向ければ御影がこちらをじっと見ていることに気が付いた。しかしそれもすぐに逸らされる。


「一海ちゃん、少しだけ隣の部屋にいてくれるかい? 少し蓮二クンと二人だけで話したいことがあるんだ」

「ええー! 一緒に居たい!」

「無論キミが蓮二クンのことを大好きなのは知っているとも。でも、そこを正妻の余裕で、どうか頼めないかな?」

「せ、正妻……えへへ」


 色めき立つ一海。その頬は赤く染まりいやんいやんと頭を振っている。

 だが蓮二は確かに捉えた。御影は明らかに『正妻』という単語を強調していた。しかも今は口端を吊り上げている。まるで計画通りとでも言いたげだ。


「了解しましたっ! あ、でもあんまり長くは嫌だよ!」

「ああ、それほど時間は取らないよ。終わった直ぐに呼ぶさ」

「はーい! ……蓮二!」

「ん、なんだ」

「おっぱいに騙されて寝取られないように!」

「ねとッ……うるせぇさっさと行け!」

「キャー! 行ってきまーす♪」


 一海は黄色い声をあげ、笑顔で隣の部屋へと移っていった。


「はぁ、はぁ。ったく、どこであんな言葉覚えたんだ……」 

「ああ、それなら私だ」


 驚愕。犯人は身近に居た。


「アンタのせいかよ! 止めろよ教育に悪い!」

「いいじゃないか減るもんでもない。逆にキミはあれだけ好かれておいて一体何が不満なんだ? 純真無垢で、可憐で、成長する過程で誰もが失ってしまった輝きに満ち溢れている。大人よりもよっぽど魅力的だと思うのだが」

「俺は! ロリコンじゃ! ないんだよ! ったく、話があるんじゃなかったのか」

「はいはいわかった。まったく、少しは余裕を持ちたまえよ」


 その余裕を奪っているのが誰なのか懇切丁寧に説明してやりたいところだが、それでは話が一向に進まない。蓮二はなんとか感情を飲み干し、用意されたパイプ椅子に座る。


「最近の調子はどうだい」

「どうって……まぁぼちぼち。実質休暇貰ったようなもんだし。特に不調とかはないぞ」

「それは良かった。では一海ちゃんとはどうかね。ペアを組んでからもうすぐ一年になるだろう」

「それなりにはいい関係……だと思う」

「ふむ、やけに言い淀むな。何かあったのか?」


 探るように見つめてくる深淵の瞳。

 わざわざ二人きりの状況を作ってくれたのだ。幸いこの部屋は防音もしっかりしている、正直に話すことにした。


「なぁ博士、一海に戦ってほしくないってのは我が儘だと思うか?」

「我が儘だな。世界を知らん小僧の戯言と切り捨てられても致し方あるまい」

「そ、そこまで言うのか……」

「当然だろう。そもそも彼女たちブリンガーは存在そのものが厄介の種だ。十年前にクリスタリアが世界を襲い始めてからほぼ同じく、まるで呼応するように結晶細胞を飼い慣らす子供たちが各地で誕生した。初めは神の祝福を受けた存在としてもてはやされたが――結局それは裏切られた」


 御影は透明な液体が入ったビーカーを撫でる。


「生物がクリスタリアの結晶細胞に侵食されるには血液を介すことが必須だ。空気に食物、はたまた性行為などの粘膜接触においても感染しないことが数多くの研究者によって証明されている。

 ――しかし例外はあった。エアロゾルとなって空気中に漂う結晶細胞が妊婦に取り込まれた場合、感染こそしないものの胎児にその成分が徐々に蓄積されていく。

 そうして生まれてくるのがブリンガー。姿形こそ通常の人間と変わらないことが多いが、結晶細胞に適合して生まれた子供たちはクリスタリアの侵食能力に対して大きな耐性を獲得した――人間を逸脱した身体機能と、クリスタリア特有の結晶を操るという超能力を引っさげてな」


 ミシリ、という音が蓮二の拳から鳴る。


「そもそもブリンガーという名称はイージスと、その関連機関に所属する子供たちに与えられるものだ。『けがれた子供たち』、『色の無い血族カラーレスブラッド』、『悪魔を宿す者デビルホルダー』……世間一般での通称はこんなところか。キミが以前いた鉄血帝国で言うなら『魔女ヴァルプルギス』と――いや、この話はそう」


 ふと肩にかかる重み。気付けば御影が直ぐ目の前に立っていた。


「キミの言い分はもっともだろう。だが、今の世界にはそれを通せるだけの余裕なんて無いんだよ。……納得できなくとも理解はしろ。それが人間として、文明的な生物として今を生きていくということだ」

「……うす、すんません」


 蓮二が軽く頭を下げると、御影はフッと笑った


「謝る必要は無い。先人として悩める子供に意見を言ったまでさ」

「子供って……俺もう成人してるんだが」

「たかだか十八年とそこらを生きてきただけだろう。私からすればまだまだ子供さ」

「……博士、意外と年寄りクサいことも言うんだな」


 ビキリ、と。空気が一瞬で凍りつく。


「……………………なるほどなるほど。レディーに年齢の話をするとは、どうやら死にたいらしいな?」

「え、なんだ図星――はいスンマセン! 俺が悪かったです! だからその手に持ったドリル離してくれ!」

「チッ、なんだつまらん。全身バラバラにして機械パーツをくっ付けてやろうと思ったのに」


 机に解体用ドリルを置いた御影。安心からか、背には冷や汗がどっと流れ出す。

 冗談のように聞こえるかもしれないが、言ったのなら実行する。雪ノ下御影という人間を近くで見てきた蓮二はそのことが良く分かっていた。


「さて、聞きたいことも聞けた。そろそろ一海ちゃんを呼ぶとしよう」

「え、もういいのか?」

「今回のは言ってしまえば聞き取り調査のようなものさ。一応キミたちは私の管轄下にある。部下のことを気にかけるのは上司として当然じゃないか」


 なぜだろうか。普通に良いこと言っているはずなのに、博士が言うと一気に胡散臭さが増して聞こえてしまう。

 そんな時、蓮二がふと気付く。


「博士、一海とも話さなくていいのか?」

「あの子が真に心を開いているのはキミだけだ。私相手に思っていることを素直に話すことはない。するのならばキミの方が適任だろう」


 淡白に言い切った御影は立ち上がり、ドアノブを捻って開け放つ。直後一海が一直線に飛び込んできた。


「蓮二、ちゃんと耐えれた? 私のコトちゃんと大好きなままだよね⁉」

「あのくだり本当に思ってたのか⁉」


 詰め寄る一海を受け止めた蓮二はギョッと目を剥く。続けて視線を動かせば御影が口元を抑えながら静かに笑っていた。

 あの上司をどうしてくれようかとも考えたが、反論したところで勝てないのは自明の理。むしろ反撃される可能性もある、蓮二は溜息を一つ吐くと立ち上がった。


「んじゃ博士、今日はもう帰る」

「ああ、お疲れ様。……おっと、忘れてた」


 研究室を出る直前。御影は部屋の端に置いてあるジュラルミンケースをと手に取るとおもむろに差し出してきた。


「徹晶弾だ。きっかりマガジン十本分、多いかもしれないが念のためにな」

「ありがとうございます。……あと博士、ちゃんと寝ろよ。メイクで隠してるつもりだろうけど隈酷いぞ」

「ハハハッ、それは無理な相談だな。最近日本で起こっているクリスタリア活性化の原因を突き止める急務がある。それに折角新種が運び込まれてきたんだ、これから夜通し解剖さ。……ああ、そうだ。今回の報酬はいつも通り口座に振り込んでおくからな」

「分かりました。それじゃあまた」

「ばいばい博士!」

「ああ、さようなら」


 そうして蓮二たちは、御影の城たる研究所を後にした。



◆◇◆◇



「ねぇ蓮二、ホントに行くの……?」


 運転していたジープを停めると助手席に座る一海が問いかける。その声は揺れており酷く不安げだ、普段の快活さは欠片も見えない。


「呼び出されたのは俺だけだ。このまま車で待っててもいいんだぞ」

「……ううん、一緒に行く」

「……そうか。無理はするなよ」


 車を降り、目の前に建つ豪奢な屋敷のインターフォンを押す。十数秒としない内に内側から門が開けられた。

 そうして現れたのは着物に身を包んだ一人の老女。名は桔梗原ききょうばら邦枝くにえ。献咲一族を構成する一家『桔梗原』であり、女給たちの総締めをしている人だ。


「よくぞ帰られました蓮二さん。一海ちゃん、元気でしたか?」

「……はい」


 恐る恐るといった様子で発せられる返事は、普段の一海をして珍しい。

 それでも、邦枝は柔らかい笑顔を浮かべる。


「そうですか、それなら良かった。……麟五郎様は居間でお待ちです」

「分かりました。わざわざ出迎えありがとうございます」

「いいえ、礼には及びません。これが私の仕事ですので」


 一礼してから別れると玄関で靴を脱ぐ。木造の廊下を鳴らしながら暫く歩けば目的の部屋の前に辿り着いた。


「献咲蓮二、並びに神藤一海。ただいま参りました」

「……一海もか。入れ」


 「失礼します」の一声と共にふすまを横に開く。ぴんと筋の通った背に袴姿、よわい八十に至りながらも壮健である麟五郎が待ち構えていた。

 畳の上に足を折り畳み、姿勢を正して真正面から向き合う。


「献咲閣下、本日は――」

「そうかしこまるな。今日は孫としてのお主に用があるのだ」

「……分かったよ爺さん。それでどうしたんだ? わざわざ時間を割いてまで」

「ああ、それはな――お主に言わねばならぬことがあるからだ」


 瞬間空気が焼き付くようなものへと変貌する。鋭い眼光が我が身を射抜いた。


六華りっかより聞いたぞ。任務の際、同隊の者をその身も顧みずに助けたと」


 麟五郎が口にするのは昨日にあった任務のこと。

 クリスタリアの討伐を目的として旧埼玉県に赴いた折、事前の斥候では確認されていなかった大量のクリスタリアが何の兆候も無く現れた。

 度重なる戦いに疲弊してか、同じチームを組んでいたイージスが窮地に陥ったのだ。無理をして助けた結果、自らの破晶武装を失うという形ではあるが両ペア共に生還を果たした。

 どうやら麟五郎は、その一件で言いたいことがあるらしい。


「……それがなんだよ。死ななかったんだから別にいいだろ」

たわけが! 他者を助けるために自らを犠牲にするとは何事か!」


 何気なく発した一言。しかしそれを皮切りに、麟五郎の纏う圧が一層高まる。


「確かに儂はお主に技を教え、知識を与え、知恵を育ませた。だがな、それら全てはこの波乱の世を生き抜かせるために授けたもの! 決してお主を死なすためではない!」


 その言葉を受け、蓮二の発する圧もまた強まる。


「……じゃあなんだジジイ。テメェは、目の前に助けられる人が居ても見捨てるってのかよッ!」

「否! 救える者には救いの手を伸ばすべきだとも。だが蓮二、お主は目先のことしか見えておらん! 此度もそうだ、同隊二人を助けた代償で武器を失い戦線から退いたな。その穴は一体誰が埋める? お主は既に国防の要、身勝手な行動は大勢の他者を巻き込むと知れッ!」


 視線を逸らした蓮二。

 その行動が何よりの答えだった。


「語る善、行う偽善、大いに結構。だがな、人には分相応というものがある。断言しよう。自らをかえりみぬお主のソレは、いつしか偽善ですらないモノへと成り果てる。……大局を見渡せるようになれ蓮二。このままではいつか必ず、取り返しのつかぬことになるぞ」

「……ッ」


 分かっている。自分の行動がおかしいことくらい。

 だが、救える人が目の前にいたら、どうしても体が勝手に動いてしまう。意識する間も無い時間、正しく本能というレベルで染み付いているのだ。

 だからこそ、麟五郎の言葉がより胸に突き刺さった。


「他者を護らんとするお主の心は儂ですら一目置いておる。酷く荒れたこの世で、そこまで自身以外を想える人間が果たして何人いようか。

 だからこそ今一度、自らの命の使い方をよく考えろ。そして、手が届く範囲を見極めることだ。……儂から言えるのは、それだけよ」


 麟五郎は直ぐ傍に置いていた刀を手に取る、そのまま静かに立ち上がると部屋から出て行った。未だ動くことすら出来ない蓮二の手に、一海の小さな手が重ねられる。

 その時、再び襖が開けられる。先程玄関で出迎えてくれた女給が入れ替わりで入ってきた。


「連日の務めでお疲れでしょう。これをどうぞ」


 そう言って差し出された皿の上にあるのは羊羹ようかん。このご時世ではすっかり貴重になった小豆を利用した和菓子だった。


「はい、一海ちゃんの分も。少ないけどごめんなさいね」

「いいえ、貰えるだけで嬉しいです。……ん~、美味しいっ」


 一海に続き、フォークで小さく切った羊羹を一つ口にする。随分と久しぶりに食べた甘味はゆっくりと心を落ち着かせてくれた。


「差し出がましいかもしれませんが、どうか許してあげてくれませんか。麟五郎様は蓮二さんに生きてほしいだけなのです。お嬢様が先立たれた今、直系で血の繋がった子は貴方だけなのですから」

「……分かってます。でも、俺はイージスとして、人々を護る義務がある」

「承知していますとも。だからこそ、お身体は大事にしてくださいませ」

「……ありがとうございます」


 頭を下げ感謝を述べる。昔から邦枝さんには敵わない。


「単なる老婆のお節介ですよ。とても感謝されるようなことでは」

「そんなことありません。あなたはいつも父さんと母さんが忙しい時に面倒を見てくれました。感謝してもし足りません」

「ふふ。では、素直に受け取っておくことにしましょう」


 まるで時間が戻ったような錯覚に自然と笑みが零れる。

 ここに、父さんと母さんがいたなら――蓮二は首を振る。死者は生き返らない、淡い夢を見ようとしていた自分を打ち払う。

 羊羹を一気に頬張り飲み込めば二本の足で立ち上がる。そのまま玄関で靴を履くと見送りにきた邦枝が口を開いた。


「この後はどうなさるのですか?」

「今日はもう他に予定がないので拠点に帰ります」

「そうですか。では、お気をつけて」

「さようなら邦枝くにえおばちゃん!」

「ふふ。はい、さようなら。元気でね」


 ジープに乗り込み、シートベルトを装着する。

 心機一転、鋭く息を吐くとゆっくりアクセルペダルを踏み込んだ。

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