対クリスタリア専門員・イージス ⑤

 献咲蓮二の朝は早い。

 日の出と共に目を開けると絡みつく一海の腕を優しく解いて起床する。洗面所で顔を洗い眠気を吹き飛ばし、部屋の一角にこじんまりと設置された仏壇の前に正座した。


「おはよう。今日も頑張るよ」


 飾られているのは家族写真。クリスタリア大戦によって家があった区画一帯は完全に崩壊、家族の繋がりを証明する物はこの一枚だけとなってしまった。

 笑顔を浮かべる父と母、そして自分たち姉弟。特に小さい頃の差異は一目ではなかなか分かりづらく、近所の子供にはよく兄弟と間違えられていた。

 日課の挨拶を終えると洗濯機のスイッチを入れる。考えるのはこれからの予定だ。

 いつもなら学校に通う一海のために弁当を作るのだが、今日は土曜日で午前放課。手間が省ける分ゆっくりできる。

 イージスから支給される制服を二人分準備していると、一海が目を擦りながら寝室からやってきた。


「おはよー……」

「おはよう。ほら、顔洗ってこい」

「んー……」


 洗面所に歩む一海を見送り、洗濯物を軒先の干し竿にかけていく。最後に洗濯網に入れられた凝ったデザインの女物の下着類だけは角ハンガーに吊るすと室内のフックに引っ掛けた。

 どうにも一海は大人っぽいデザインの下着を好む。「私がこういう下着を着てるところを想像して、ドキドキして欲しいから」とは本人の談だが、こっちは将来を思って気が気でない。最近では電子端末の使い方も達者になってきて、いよいよ情報統制の必要性を検討している。


「これでよし、と」


 一通りの作業を終えると寝間着を脱ぎ、制服に腕を通す。特殊繊維で編まれたそれを身に着ければ、自然と気分も引き締まるような感じがした。

 キッチンに立ち、食パンを二枚トースターに。冷蔵庫からは残っていた卵を使って目玉焼きにする。少量の水を入れて蒸し焼きにしたところで、すっかり眠気を吹き飛ばした一海がやってくる。

 ごそごそと衣が擦れる音がすること数分。その姿はイージスの制服に身を通し、丁寧にかれた髪をツインテールに纏めたものとなっていた。


「ばっちり覚めた! 何か手伝えることない?」

「そうだな……あ、それならゴミ出しやっといてくれ。玄関にまとめてあるから」

「ラジャー!」


 ぱたぱたと駆け足で去る一海。完成した朝食を卓上に並べていると、まるで示し合わせたかのように我が家へ帰還を果たした。


「出してきたよ!」

「ありがとな。ちゃんと手洗ったか?」

「勿論!」

「よし。それじゃあ食べよう」


 朝食を口にしながらリモコンのスイッチを押す。テレビでは男性キャスターが東都各地の天気予報を述べているところだった。

 クリスタリア大戦から暫くは機能していなかった天気予報も今では元通り。こういった小さなことでもかつてあった日常が戻りつつあるのを実感できた。


「今日も一日晴れだって!」

「みたいだな。いい洗濯日和でよかった」

「やっぱり蓮二って主夫みたいだよね。料理は上手だし、洗濯も出来る。やっぱり将来は結婚しよう! いや、するしかない!」

「やかましい。さっさと食え」


 「はーい……」という渋い返事を聞いた後、トーストを一かじり。使い切る意味で作った目玉焼きは見事な半熟で、ここ最近でも会心の出来栄えだった。

 自身の作った朝食に舌鼓を打っていた時、テレビから「ご覧ください!」と興奮した声が発せられる。釣られるように蓮二と一海も画面に視線が向けられた。


 若い女性リポーターが立つのは東都区域の心臓――第一区の聖域だ。見目よく整えられた植え込み、ヒビ一つない舗装路は東都の中心部でも指折りに美しい。

 その時、切り替わった画面に楼閣が映し出され、バルコニーから一人の女性が姿を現す。

 身に纏ったドレスは遍く彩光を折り重ね淡く白付き、頭部には輝石が散りばめられる冠を備えている。その姿はまさに雪降りしきる中で佇む麗人のよう。

 汚れ一つない透き通った肌、真っ白な頭髪は人間離れしていれうようにも思えた。


「天子様、か」


 日本に現存する三つのエデン。その一つである東都区域を統治する国家元首。

 二年前、前任の天子が急死したことよって十七という若さながら国を統べる者として矢面に立ち、絶世の美貌と鋭い政治手腕によって歴代でも屈指の支持を誇る女性。

 そんな彼女の後方に立つのは巌のような男だった。

 ピンと芯が通った姿勢とガタイの良さ、強面の表情は威風を放っている。とてもよわい七五に至った老人とは思えない。


「お爺様、お勤め頑張ってるね」

「……ああ、そうだな」


 献咲麟五郎、天子をサポートする専属補佐官。その役職はクリスタリア大戦後の東都区域において天子に次ぐ政治権力を誇る。献咲を献咲たらしめる存在が彼の老人なのだ。

 ただ、蓮二にとって献咲という家名にあまりいい思い出が無い。寧ろ苦いものばかりが直ぐに想起される。

 学校に行けば「あの献咲」「機嫌を損ねてはいけない」など腫物扱い。同学年と遊んで服が汚れた時は、その子の両親から「大変申し訳ございません!」と頭を下げられる始末。これでどうやって自分の家を好きなれというのか。

 イージスになってまつりごとからは離れたが、やはり自身が生まれた家系。少なからず思うところはある。

 ただ、献咲として生まれなければ出会えなかった人々が居るのも事実。なんともやるせない気持ちが胸の奥に燻ぶっていた。


「ッ、ご馳走様」


 インスタントコーヒーと共に過去の記憶を流し込む。次いで食事を終えた一海が一息つく間、食器を洗い水切り籠の中に立てかけた。

 丁寧に手の水分を拭き取った後にやることは自身の準備。ロッカーから弾薬箱を取り出しマガジン三つに弾を込めると一本は銃に装填、残る二本はジャケットの内ポケットに入れる。

 時刻を確認すればいつも通り余裕がある。落ち着いて水道など諸々の点検を終えると、一海と共に住居から出た。


「よーし、いざ出発!」


 助手席で拳を掲げる一海は随分と楽しそうな様子。白色皮に金の刺繍が入った指定ランドセルを抱く姿はまさしく小学生らしいと言えた。

 天上より降り注ぐ朝陽に照らされた道路をジープで駆ける。開け放たれた窓から舞い込む爽やかな風が心地よい。

 遠方に見えるエデンの防壁は変わらず楽園を守護していた。

 街路樹は新たな葉に覆われ、新緑に反射する陽光が露のように輝く。


 今思えば感慨深いものだ。

 海外諸国では未だ復旧に手こずっている地域もある。そんな中、いち早く日常を取り戻した日本は一つ抜きん出ていた。

 その最たる要因はやはり土地事情だろう。四枚のプレート上にあるこの国は、昔から地震などの自然災害が極めて多い。

 そういった災害経験から積み重ねた知恵と技術は、クリスタリアという未知の災害に対しても決して無駄にはならなかった。


 閑散とした道路にジープを走らせること約三十分、一海が通う『三階草さんがいぐさ学園』の真新しい校舎が見えてきた。

 ジープを路肩に停め、前後左右を確認して車から降りる。


「それじゃあ勉強頑張ってくるね! 本当は死ぬほど行きたくないけど!」


 校門前にて発せられた別れの挨拶は、なんとも言えないものだった。


「どんだけ学校嫌なんだよ。まぁ分からんでもないけどさ」

「やっぱり蓮二もそう思う⁉ 私たちは比翼連理ひよくれんり、一刻たりとも離れず傍にいるのが普通なの! それを引き裂くとは、なんて忌々しいッ……!」

「いや勉強が嫌いとかじゃないのかよ⁉」

「勉強は別に何とも思わないよ。でも、蓮二と離れるのが本ッ当に嫌! 私が見てない間にヘンな虫が寄って来るかもしれないし。私が授業中どれだけ蓮二の事を考えてるのか分かる?」


 「見て!」とランドセルから取り出されたのはノートとして使用される電子端末。開かれたファイルを見れば『蓮二』という二文字が大小様々な形で、余白まで一切の隙間なく手書きで埋め尽くされていた。

 次々とスライドする画面。しかし、どれだけ見ても同じ調子で繰り返されているだけ。寧ろ文字の密度が高まっているまであった。


「こッッッわ⁉ 鳥肌立ったじゃねぇか!」

「いやー、気付いたらいつもこうなっちゃうんだよね。これも私の蓮二に対する愛が為せるワザってところかな!」


 満面の笑みで語る一海だが、それはもはや“ごう”と呼ばれるモノなのではないだろうか。

 そんなことを考えてしまうのも仕方ないことだろう。それだけ目にしたものは色々な意味で重すぎるものだった。


「そんなわけで蓮二、学校に行きたくないです!」

「ここまで来て何言ってんだ。我慢して行ってこい」


 だが、それとこれとは話が別だ。監督責任者としてサボりを許すわけにはいかない。

 肩を掴んで校門方向を向かせればポン、と優しく背を押す。未だ納得していないようで頬を膨らませていた一海だったが、一転して笑顔を浮かべると「行ってきますッ」と元気な挨拶と共に校門に駆け出した。

 その時、向かい側からは濡羽色ぬればいろの髪を後ろで結わう少女が歩いているのが見えた。


東郷とうごうさんおはよー! 今日も早いね!」

「おはよう一海ちゃん。早寝早起きは基本だもの。……それはそうと、昨日はどんな任務に従事していたの? 防人さきもりとしてのお話、昨日は聞けず仕舞いだったから気になっちゃって!」

「わわっ、落ち着いて! 教室に着いたら話すからッ」

「本当⁉ それなら善は急げよ! 校舎内を走るのは禁じられているけれど、入るまでなら走っても問題ないわ!」

「ちょ、そんな引っ張らないでーッ⁉」


 級友と思われる少女に手を引かれて登校する一海。なんだかんだ学校では上手くやれているらしい、心配は杞憂のようだ。

 加えて確認できたのは、黒髪の少女の瞳が赤色を呈していたこと。


 クリスタリアの遺伝子に適合した子供たちは尋常では無い身体機能と特殊能力を得る。それと同時に、その見た目が普通の人間ではあり得ないものに変容する。

 例として一海をあげるとわかりやすい。

 両親共に純日本人同士であるにも関わらず髪が白色であり、瞳は虹色。先程見た一海の学友も例に当てはまり、日本人らしい黒髪でありながら赤き双眸を陽の下に輝かせていた。

 それらはクリスタリアの遺伝子が適合した際に起こる突然変異の影響だった。

 三階草学園は国によって設立された『穢れた子供たち』が通う学校。ここに通う少女たちは例外なく、その身にクリスタリアの遺伝子を宿している。


「……うし、俺も頑張るとしますかね」


 心機一転。思考を切り替えジープにエンジンをかけ周囲を確認するとハンドルを切る。

 向かう先は第二区。昨日も訪れた上司である御影の研究室だ。


◆◇◆◇


「――いやさ、まさかこんな雑務を押し付けられるとは思わないだろ」


 入れ替えた心はどこへやら。蓮二は重い息を吐きながら研究室内の物品を整理していた。

 研究室に辿り着いて御影の第一声は「掃除しておいてくれ」の一言。そしてそれだけ言うと自身は何処かに出かける始末。

 おかげさまで資料と物品に満たされた研究室を一人で整理する羽目に。自然と愚痴も出てしまうというものだ。


「うわ、またよく分からないモンだなこれ……」


 机の下から出てきたのは円筒状の物体。金属特有の光沢を持った表面には三つの機械が備わっている。見た目からして受け口のようなものだろうか。どうやら何かに接続して使うらしい。

 一番怖いのは御影にとって必要な物か否かという点。ゴミだと思っていた物が実は重要でした、なんてことがあったら洒落にならない。


「ったく。技術開発局長なんだから少しくらい自分で整理しとけよ……」


 結局粗方の物はそのままに。自分でも明らかにゴミと判断できる物(くしゃくしゃに丸められた紙や包装など)だけを捨てるように分別した後、溜まった埃を掃き出して終了となった。

 それから一分もしない内に研究所の扉が開く。現れたのは雪ノ下御影その人だった。


「ご苦労様。助かったよ」

「あのな博士、イージスは家政婦じゃないんだよ。ただ掃除頼むだけだったら代行業者に依頼しとけ」

「生憎と機密書類が多いんでね。その点、キミだったら信用して頼むことが出来るという訳だ」

「だったら普段から整理整頓しとけ! まったく、人使いが荒すぎる……」

「ハハハ。まぁしっかり報酬もあるんだ、そこは大目に見てくれたまえ」


 零れる溜め息。一研究者としては確かに素晴らしいのだが、如何せん人使いが荒いのが玉に瑕だった。

 ふと端末を見れば時刻は四時間目の授業が始まった時間帯。すぐに出れば迎えに間に合うだろう。


「じゃあ博士、一海と合流したらまた来るかんな」

「ああ、さっさと行ってこい。トラブルに巻き込まれんようにな」

「縁起でもないこと言うなよ……」


 軽口の応酬を終えると研究所から出立する。

 天気は予報通り快晴。僅かに開けた車窓から流れ込む陽気に満ちた風を感じながらジープを走らせる。

 あと一〇分も行けば三階草学園に着く――異変が起こったのはそんな時だった。

 まるで少量の火薬を爆発させたような音を聴覚が捉える。銃声だと導き出すまで一秒とかからなかった。


「こんな場所で発砲だと……!?」


 クリスタリア大戦以降、日本では自衛手段の一環として住居内に限り一般人でも銃の所持が法によって許可されている。

 それを踏まえても、東都の中心近いこの地域で発砲音が鳴るというのは異常につきた。


 路肩に停車させるとホルダーから銃を抜き放ちスライドをリリース。周囲を確認し道路を渡ると銃声が聞こえた一軒家の扉の前に立った。

 いつでも拳銃を撃てるよう心構えを完了させると玄関のドアに触れる。普段は固く閉ざされているはずの場所はいとも簡単に口を開いた。


「……ッ」


 音を殺して屋内へと侵入する。リビングと思わしき部屋には明かりが灯っていた。

 隔てる扉越しに理解できる。この先に、誰かが居ると。

 ドアノブを時間をかけて捻り、一気に開け放つ。

 待っていたのは、一人の奇妙な人間と凄惨たる光景だった。

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