対クリスタリア戦闘員・イージス ①
季節は春。地面に落ちた桜の花びらが風で舞う頃。
からっとした晴天の下、国によって設置された関門所で、検問官である自衛隊員が厳つい顔を顰め華奢な少年に食い寄っていた。
「おいおい、マジでお前が輸送を担当する『イージス』だってのか? アホ抜かせ、ただのガキじゃねぇか!」
凄みのある視線に晒された少年、
蓮二は何度目か分からない溜息を零し、男と真っ向から対面する。
「だから、さっきから言ってるだろ。俺たちが今回の物資運搬を受け持つイージスだよ。契約書もあるし、ライセンスもちゃんと持ってる。なんだったら今からそっちのお偉いさんに確認してくれても構わないぜ」
男は諦めたように肩の力を抜き、手の平を空に向けて差し出す。蓮二は懐から輸送任務に関する契約書と政府発行の
耐えろ俺――蓮二は今にも吐き出したくなる文句を飲み込む。これも全ては今日を生きていくために必要なことだ。
男は契約書とライセンスを突き返す。書類の端、判子が並ぶ場所には新たに『佐々木』という名前の朱色判が押されていた。
「にしても、イージスが単独で物資輸送ねぇ。随分と暇なんだな」
「こ、今回は上司からの命令だから仕方なくやってるんだよ。いつもは前線に出てビシバシ戦ってる!」
「……とてもそうは見えねぇな」
佐々木の目に映るのは蓮二の姿。国から支給されている特注制装は使い込んでいるのか所々が
移動させていた視線が頭の一部分で止まる。蓮二が持つ日本人らしい黒髪が一房だけ塗り潰されたように真っ白だったのだ。
「その髪、ファッションか? 確かメッシュとか言うんだったか」
「……そうだけど。なんかあるのか?」
「それ、絶望的に似合ってねぇぞ」
「うるせぇよ余計なお世話だ!」
仕方なくこうなっているとはいえ、他人から指摘されるとやはりイライラしてしまう。こういった時すぐ感情的になってしまうのが自分の悪い癖だと分かってはいるが、改善の道はまだまだ先長いようだ。
常在戦場。それが出来ればどれだけ楽なことか。
そんなことを考えていた矢先。頭を軽く掻いた佐々木は顎をしゃくり指示、蓮二を先導して歩く。
辿り着いたのは関門所に併設された倉庫。扉を開けると、そこには外から持ち込まれた電子部品が梱包され、大量に積み重ねられていた。
パッケージに張られている封入物が書かれた紙を確認する。端末に記録されている識別番号と相違ない、これが今回の目的の物で間違いなかった。
「
「わかったー!」
外に停められたジープの影から現れたのは一人の少女。年の頃は十歳前後、軍服調にアレンジされたミニスカートの機動制服。厚底の編み上げ靴を履いて、風に靡くツインテールはリボンによって高めの位置で結ばれていた。
少女は二人の元に辿り着くと健脚でもって急ブレーキを掛けて立ち止まる。顔を上げれば「おお、検問官の人! ごくろーさまです!」と元気よく頭を下げた。
「そいつがお前の『ブリンガー』か」
「ああ。ほら一海、挨拶してくれ」
「わかった! 私の名前は
一海は蓮二の手を取って誇示するように掲げると「婚約者ですっ!」と言い放つ。その言葉を証明するように両者の左薬指にはめられた、宝石を削って造ったかに見えるリングが陽光を分散していた。
それを見た佐々木は刺すような目つきで蓮二を睨み上げる。それは極寒といっても差し支えなかった。
「バッ、ちげぇっての! おっさんは知らないかもしれねぇけど、ブリンガーと誓約を結んだ人間には証として装飾品が出現するんだよ! これはそれだ! 決して
「……急に
「だ・か・ら! 違うって言ってるだろ⁉」
流石に第二次性徴期を迎えたばかりの女児に性的興奮を覚えるようなことは無い。だが、第三者の目から見れば『幼女を誑し込んでいるクソ野郎』と捉えられてしまうのだろう。
それもこれも左手薬指に嵌められた指輪のせいなのだが、自分の意志で外せない以上はどうしようもない。一時期は手袋を身に着けることも検討していたが、一海による涙伴う必死の抵抗によって水泡と帰した。
蓮二の身を襲う寒気。正直なところ、あの時に喰らった万力の如き抱擁は二度と体験したくない。
さてどうすれば目の前にいる男に信じて貰えるか――説得の言を考えているとジャケットの裾が引かれる。視線を下げれば一海が純真な瞳でもって此方を見上げている。
「蓮二、恥ずかしいのはわかるよ。でも私たちは確かに将来を誓い合った仲じゃん! 誓約を結んだ時の言葉は今でも鮮明に覚えてる。『俺とお前は死ぬまで一緒だ』なんて、とっても情熱的なプロポーズを……」
「一海、頼むから一回その口閉じろ! 死ぬ、俺が社会的に死ぬからッ!」
時間が経つと共に刺々しくなる視線。頬に手をあて首を左右に揺らす一海は酔い痴れたように過去へ思いを馳せる。蓮二の味方はこの場に存在しなかった。
◆◇◆◇
「十三、十四、十五……よし、これで全部だな」
最終チェックを済ませると荷台の扉を勢いよく閉める。別れの挨拶をするために佐々木の元へと顔を出す蓮二だったが、関門所はもぬけの殻だった。
辺りを見渡すと目的の人物を見つける。切り出された岩に腰を下ろして、どことなく遠くを見つめていた。
防護服から小さな紙箱を取り出すと指で軽く叩く。頭を出した煙草を引っ張りだすと片手に持っていたライターで着火、ゆるりと紫煙を吸って吐き出した。
「おい、アンタ仮にも検問官だろ。サボっていいのか?」
「俺がやる事なんざ空の監視と地上を出入りする奴らの確認くらいだ。アレが完成してからは随分と平和になった」
佐々木の視線の先にあるものは地表を走る白い帯。高さ一〇〇メートルもある白亜の巨大建造物が遥か遠方まで張り巡らされている。その様はまるで世界に身体を這わせる巨大蛇のよう。荒れ果てた世界で悠然と立ち振る舞う姿には、どこか神々しさを感じさせる。
この
かつて関東と呼ばれていた地域。その中から埼玉、東京、神奈川を隙間なく囲む物体は対クリスタリア装甲壁。クリスタリアを寄せ付けない特殊力場を発生させる結晶物質が埋め込まれた隔壁だ。
物理面においても頑強であるそれが、今日までここ東都区域を外敵から守護していた。
逆を言えば、日本は現存する三つのエデン以外の地域には人外の怪物と、元はヒトだった怪物が溢れかえっている。力無き者がエデンの外に出ようものなら、立ち所に喰い殺されるか奴らの仲間入りを果たすかの二択だろう。
それはなにも日本に限った話ではない。諸外国においてもエデン以外の場所は魔窟と化している。
クリスタリアの恐ろしい点は剛健な肉体でも、ましてや圧倒的な破壊力でもない。真に厄介なのは、その肉体を構成する結晶物質にウイルスのような感染能力が備わっていたことだった。
人類が謎の怪物たちに焦り出した頃には時すでに遅く、奴らは百鬼夜行の軍隊を作り出してしまっていた。
クリスタリアとの全面戦争で被害を負った各国は、数多の実験を重ね実用に踏み切れるまでになった対クリスタリア装甲壁で自国を世界から切り離した。十年経った今でもその態勢は継続されている。
十年前、クリスタリア世界大戦は人類の敗北で幕を閉じた。
日本は十年かけて文明を取り戻し、世界を破壊した怨敵へと立ち向かうだけの気概を持てるようになった。
佐々木が吐き出した紫煙が空気に溶けていく。
その時、プロペラが回転する音が聞こえてきた。空へと視線を向ければ壁を越えようと此方に向かって飛行する軍用ヘリコプター―――それが突如、内側から四散した。
静謐を裂く爆発音。炎を纏う残骸と共に黒煙を突っ切った物体が十メートルほど先に着地する。
細長い体躯を持ち、つるりとした透明な甲殻を全身に纏う。八本の脚に鋏のような触肢。黒く鋭い瞳は自分たちを獲物と捉えて離さず、揺らめく尾の先には剣とも槍ともいえる針が備わっている。―――それは、巨大な
「今すぐ退避しろッ!」
「わ、分かった!」
関門所に向けて一目散に走り去っていく佐々木、それと同時に巨大蠍が動き出す。真っ直ぐ距離を詰めて来る対象に拳を構え臨戦態勢をとる蓮二。真正面から衝突するかに思われたが、クリスタリアは地面を思いきり蹴り上げる。
想像もできない圧倒的な跳躍力を以て、蓮二の頭上を易々と飛び越えた。
「しまッ――」
蓮二の視線が追う先、蠍が描く放物線はぴたりと佐々木を定めている。咄嗟に転身し銃口を向けるが遅すぎる。今から構え直して銃撃するまで到底間に合わない。
あわやという瞬間、爆発的な硬質音と共にクリスタリアの体が横向きに吹き飛ばされ、地面を削りながら砂塵を巻き起こす。先ほどまで巨体があった位置にはキックを繰り出した体勢の一海がいた。
蹴りの反動を利用して蓮二の隣へと降り立った一海。見上げてくるその瞳は黄金色に輝いていた。
「一海、助かった!」
「どういたしまして! 全く、私がいなきゃ何もできないんだから!」
「さっきのはマジで予想外だったんだよ! 次はしっかりやる!」
「それならよし。カッコいいところ期待してるね♪」
蓮二が腰から抜き放ったのは艶消しされた黒塗りの拳銃。スライドを力強く引きマガジンを装填、そのままリリースして弾丸を発射できるようにする。
アイアンサイト越しの視線上、舞い上がった土埃が渦を巻いて晴れる。姿を現したクリスタリアは全身を猛り伸ばす様子は誰がどう見ても怒り狂っていると感想を抱くだろう。最早その眼には二人のことしか映っていなかった。
蓮二と一海の目が合う。それだけで互いの意志が通わされた。
一海は足のバネを最大限利用しロケットスタート。一気に敵へと肉薄する。
クリスタリアの返答は迎撃。脚を食い込ませ力を振り絞ると体躯を一気に回転させ、尻尾で地面スレスレを薙ぎ払う。
その攻撃を一海は跳び上がって軽々と回避、空中で一度回転し蹴りのモーションへと移る瞬間―――バゴンッ! と、大きな銃声と共に跳ね上がろうとする銃口を抑え付ける。撃ち出された五〇口径弾は、先ほど一海が蹴り抜いた箇所へと寸分の狂い無く吸い込まれた。
対クリスタリア用に製造された
苦痛に叫び声を上げる蠍の怪物。そして亀裂が入った外殻を狙って一海の落下キックが炸裂し、その奥にある核ごと体躯を蹴り砕いた。
透明な肉片が地面に音を立てて落ちていく中、一海は着地と同時に膝を曲げて反動を吸収する。
――数秒の静寂。もう二度と動き出すことは無いと判断した蓮二は、ゆっくりと息を吐き出した。
「戦闘終了。お疲れ、一海」
「うんっ、蓮二もお疲れ! 初めて見るヤツだったけど新種かな?」
「それも含めて博士に連絡する。少し待っててくれ」
銃身に残った弾を排出し、適切な処置を済ませるとホルダーへと収納する。ポケットから端末を取り出して電話をかけると、三コールもしない内に相手の男性は気だるげな声を上げた。
『なんだい蓮二クン、こっちは頼んでおいたブツが届くのを待ち続けているのだが』
「そのことなんですが、第二三区の検問所にて侵入してきたクリスタリアと交戦しました。無事撃破できましたが、恐らく新種かと思われます」
『……なるほど、先ほどから本部が色々と騒がしいのはそれが原因か。至急回収員を回すよう手配しておく。キミはさっさと帰投したまえ』
「ありがとうございます。では」
蓮二は通話を切ると関門所へと視線を向ける。恐る恐るこちらへと近づいて来た佐々木は地面に転がる怪物の散乱死体、黒煙を吐き出しながら燃え盛る軍用ヘリに視線を移す。その顔は盛大に顰められていた。
「……イージスの戦いってのは初めて見るが、普段からこんな感じなのか?」
「そうだよ! 私と蓮二のコンビに倒せない敵なんていないんだから!」
胸を張って答える一海、その言葉は自信に満ち溢れたものだった。蓮二は恥ずかしいやら嬉しいやらが混ざり合って、むず痒さを感じていた。
だが、はっきりと言わなければならない事がある。
「今回は運が良かっただけだ。敵も小さかったし、俺自身が万全とは言えない状態だったからな」
「むー、蓮二はもっと頼って良いんだよ? 全部私がやっつけちゃうから!」
「流石にそれは俺のプライドが許さないから却下」
「……くっ、ドロドロに甘やかして依存させる計画が」
「ちょっと待てそんなこと考えてたのか⁉」
やいのやいのと言い合いになる二人。その光景はまるで兄妹喧嘩だ、話している内容はまるで夫婦のようだが。
そんな時、蓮二が佐々木に向き直る。
「そうだおっさん、暫くしたらこの死骸を回収する人たちが来る。ぶちまけられてて気持ち悪いだろうけど、少しの間だけ我慢してくれ」
「あ、あぁ……それよりも一海ちゃんだったか。その傷、大丈夫なのか?」
その言葉に蓮二はハッと視線を向ける、一海の太腿に生じた一筋の切り傷から透明な液体が流れ出していた。最後の一撃を放った際、砕けた甲殻に引っかかったのだろう。
「心配してくれてありがと。少し痛いけど、もう治るから大丈夫だよ」
その言葉を裏付けするように、傷の切れ間が明らかに小さくなっていく。十秒もすれば裂傷はすっかり姿を消し、元来少女が持つ美しい肌が取り戻された。
目を丸くする佐々木を見つつも、当然の反応だと思った。
普通の人間なら、例えどんなに小さな傷といえど秒単位で塞がることなどありえない。時間を巻き戻したかのようにも見えるその現象が、彼女が普通ではないことの証明だった。
超再生能力。それがクリスタリアの力を限定的とはいえ制御している少女たち、ブリンガーに与えられた恩恵の一つ。無論先程の戦闘で見せた規格外の身体能力もその一端である。
蓮二はブリンガーの相棒・エンフォーサーとして、彼女と共に生活する日々を送っていた。
「よし、そろそろ出発するか。じゃあなおっさん」
「お仕事頑張ってねー!」
蓮二と一海はジープに乗り込むとエンジンを始動。周囲を確認した後ペダルを踏み込み、徐に走り出した。
彼方に消えゆくジープの背中を見送った佐々木
体液は地面に吸われ、ゼリー質な肉と水晶の甲殻が散乱している。蠍の化け物がこうなるまでの一部始終を見ていたが、とても現実で起こったものとは思えなかった。
戦闘前まで腰を下ろしていた岩に再び座り込む。手は自然と煙草に伸ばされ、再び紫煙を吸い込み吐き出した。
思い起こされるのは先ほどの二人。十八と十、年齢こそ離れているが比翼連理と言っても差し支えないであろうコンビネーションだった。
だが、まだ若い人材が一般市民を守る為に壁の外へと駆り出される今の世の中は、まさに地獄と称しても差し支えない。
「対クリスタリア戦闘員イージス……その身を以て楽園を守護する盾と成らん、か」
――かつて、自分にも家族がいた。
当時娘を妊娠していた妻と八歳の息子。先のクリスタリア大戦によって倒壊した建物の下敷きになって、あっけなく死んでしまった。生きていたのなら丁度あの二人と同じくらいの歳に育っていた。
そんな奴らが無辜の民を守るために犠牲となっている。こうして時たま壁の内側に入り込むクリスタリアを倒すのも、彼らイージスの仕事だ。
「――ああ、本当、クソったれな世界だ」
防衛軍に志願したのも妻と息子、生まれてくるはずだった娘を忘れるため。
その目的は果たされた。過酷な訓練が織り成す激動の日々はあらゆる過去を置き去りにして、未来など見る暇を与えることはなく、ただ刹那を生き続けた。
だが、人間という生き物は得てして環境に慣れる。なまじ軍人になったばかりに、あらゆる苦労苦痛に対して耐性が出来てしまった。
そうなるともう直視せざるを得なくなった。家族を失った過去を、一寸先も見えない未来を。
更なる苦痛を求めようともした。しかしイージスになるためにはペアとなる子供が居ることが絶対条件。
少なくとも現状、佐々木玄徳という男に適合する遺伝子を持った子供は日本に存在しない。故に、イージスになることは出来ない。
煙草を吸うようになったのもそれからだ。気付けば手放せない存在となってしまっている。
かつて忌避していた物に辿り着くとは、なんとも皮肉な話ではあるが。
プロペラ音が小さく聞こえ始め、段々と大きくなっていく。照りつける陽も気にせず、紫煙を吹かしながらエデンの防壁を感傷的な気持ちで見つめた。
二人で一組を成すイージスは、人類にとって最後の希望だった。
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