背徳の紅"第四十四話、希望"



白星のいる部屋。

その扉は唐突に開かれた。


「ノックくらい────する余裕もないか。」


白星は椅子に座り、大きな音を立てて開かれたにも関わらず特に動じた様子はない。



そういえば、そんなふうに言ったこともあった。

約束に近い出来事。

興味本位か、泣かれると困る子が居るからか。

どちらにせよ、少しばかりの手助けをしてやるべきだろう。


「・・・約束の時だ、手伝ってあげよう。」

「・・・借りは、いつか返す。」








────────────






「・・・まったくあのバカは。」


アルはとある紙切れを見てため息をついた。

こんなモノ、押し付けてくるのはアイツしかいない。


書かれているのは場所。


「・・・じゃあ行くか。」


仕方ない。

世話を妬かせるが、いつだって飽きないアイツだった。

だったら、自身の流儀に則って手助けしてやろうじゃないか。








───────────








白辰、暗い、誰も訪れようとは思わない、廃施設。


「もう、やめてくれ・・・もう、もう、これ以上はっ・・・」


鎖につながれ、立つ力もない。

そもそも立ち上がる気力すらない。

目の前には傷ついた、人、動物────生き物がたくさんいた。

キャリーが毒によって、生き物たちを苦しませていた。


言うまでもない。

実験など、そんなことはしていない。

ただコメットに治癒術を使わせる為でしかない。

キャリーにとって、目をつけた命と、その為に利用される命すべては、人形でしかない。


「そんな事を言っても無駄なのは知っているでしょう?

ほら、次よ。今のところ、また死んだ子は居ないんだから頑張りなさない。」

「─────ッ!!」


もう治した犠牲者に、キャリーはまた触れる。

悶え狂う程の毒。

その痛みも苦しみも知っているから、コメットは必死に応えて治癒術を行う。


「やめろっ!やだっ、もう、もうやめて!この人たちは何も悪くないのに!」

「ええ、アナタが悪いから終わらないのよ。」


コメットの訴えが取り付く島など、どこにも無い。

このやり取りに意味が無い。

ただコメットの縋ろうとする姿を、嘲笑い突き落とす作業でしかない。


「アナタがもっともっと治癒できれば済む話でしょう?

アナタがいけないの。

そんなことしかできないんだから。

だから、治癒し続けなさい。」


此処には何も無い。

のろいを外してくれた彼はいない。

どうせ此処には訪れない。

こうして未来ひかりを見出した彗星は絶望やみに落ちる。

助けた彼もまた、助けたかった彼女を失うのだ。


ああ─────この為に私は生きている


甘美に震える、長年築き上げた人形は、見事に絶望に堕ちる。









暗く、静かだったはずのこの場所は


─────大きな爆発音と共に、光が洩れた。


中心に降り立つのは、紅い男。

コートを靡かせ、ゆっくり見上げる。


降り立った位置は、コメットとキャリーの間。


キャリーは目を見開く。

有り得ない、此処に誰かが来る筈がない。

一歩引く、怒りが言葉にせずとも伝わってくる。


コメットはぼんやり見上げる。

まるで夢を見ているかのように。

青白くなっている顔、指は血で濡れてしまって・・・今にも死にそうな表情をしている。


ゆっくり立ち上がる、背徳の紅。

その背中は、大きく見えた。


「・・・仲間が来る。もう治癒はしなくていい。

後は、任せろ。」


イグニスはようやく口を開いた。

それによって、少し意識が現実に戻る。


「っ、イグニス!なんで・・・!」

「お前を助けに来た、それ以外に何がある。

それより─────」


イグニスの視線は、毒女に向けられる。

怒りが、闘気が、その瞳に込められている。


「人の女に手を出してんじゃねぇ────殺すぞ。」


キャリーはその言葉を聞いて、鼻で嗤った。


「誰に手を出すか、私が決めるのよ。

みんな、私の人形なのよ。」


あらゆる悪事は自身のもの。

自分が望んだ行為は、なんであれ実行する。


「知るか。テメェの言葉を誰が聞くか。」


一歩前へ。

紅は睨み、毒は嗤う。


「あらゆる希望も、あらゆる絶望も、刹那すべてが俺の糧だ。

俺やこいつの生涯は、俺たちのものだ。」

「あらゆる希望も、あらゆる絶望も、私の人形すべてよ。

だから、アナタ達の生涯は私の人形すべてよ。」


だから、決して相いれない。


目の前の存在は赦してはいけない。



「いいわ。アプローチは違うけれど、絶望に堕とすのは変わらない。

これもこれで、イイじゃない。」



嘲笑う。

彼こそが、コメットの希望だった。

ならば、それを打ち砕いてみるのもまた一興。


「ふ、ふぅっ、間に合った!コメット、下がるぞ!」

「ぁ─────。」


アルが後から駆けつけてきた。

浮遊する刃で鎖を裂く。

他の治癒されている生き物たちを、この間に逃がし、二人は下がる。





「毒ガスの充満は、無理そうね。

天井から大穴あけられちゃ、直ぐに換気されちゃうし。

なら────苦しむといいわ。」


キャリーは軽く前へ振る。

直後、キャリーの足元から魔力に猛毒を練りこんだ波が起きる。

範囲を犠牲に、より濃密に練り込まれた毒素の塊が真っ直ぐにイグニスへ襲いかかる。


「邪魔だ。」


イグニスは吐き捨てるように、大剣で波を斬り裂いた。


「・・・!」


その余波は、イグニスの左右に散り、毒素の塵はイグニスのコートへ。

僅かな毒でも、かかったところが溶けかけている。


「ちっ・・・!」


イグニスは舌打ちして、前へ出ようとする。

乱発される前に、ケリをつけなくてはならない。

それを見たキャリーは、舌なめずりした。


「あら、騎士ナイト役が離れちゃダメじゃない。」


もう一度毒素の波を打つ。

その波の先はイグニスではなく────


「なっ・・・!?」


コメットと、それを支えるアルに向けられていた。

動けない二人だったがしかし────


「悪いが、こっちも手ぶらじゃないんだよ。」


アルはニッと笑い、12の刃が波を遮った。

この手は通じないと知ったキャリーは仕方なしと判断、直後イグニスは前へ出た。


身体強化で突撃するイグニス。

大剣を振り上げる、捉えた。


「仕方ないわね・・・柄じゃないけど踊ってあげる。」


キャリーは指を鳴らした。

刹那、イグニスが踏み出そうとする位置から地面から槍がいくつも突き出る。

その槍は、毒素を練りこんだ魔力の塊。


「くっ・・・」


間一髪で、回り込むように回避。

だが次に踏み出そうとする度に、上から、横から、下から、毒素の刃が襲いかかる。


「魔術師のテリトリーに入るとはこういうことよ、お馬鹿さん。」


余裕綽々と嘲笑う。

身体を動かすのは僅か。

イグニスが避けるたびに、進む度に、的確に邪魔をする。


「陣地作成か・・・!」


よく見れば、四方八方に魔法陣が浮き上がっている。

予め、誰かが襲いかかってもいいように、事前に有利になるように仕掛けていた。


イグニスは直ぐに、目標を本体より、魔法陣を優先する。

刃を向ける先を地面に。

炎属性でもあるイグニスは、天井を破壊した時と同じように切っ先に焔を宿す。


「砕けろッ・・・!」


移動する度に襲いかかる毒素の槍を回避しつつ、地面に思い切り大剣を突き刺した。

焔は接触に作用し、爆発する。


それを、またしても毒女は嘲笑った。


爆発し、魔法陣は確かに破壊された。

同時に、次なる罠が作用する。

残りの魔法陣が、毒を乗せた風としてイグニスに吹き付ける。


「──────。」


動きが止まり、息を止め、目を瞑る。

溜め込んだ魔力が、毒の暴風として叩きつける。


「ッ、ぁ・・・!?」


視界がぐらつく。

塞いでも塞ぎきれない魔力と毒による暴力、立つことも難しくなる。

コメットたちに襲いかかることは無いが、そのぶん全ての魔法陣の標的がイグニスだ。


「ァ、かはっ────。」


血を吐き出し、膝をつく。

獣を仕留めるには、人智による罠を。

致死の猛毒を叩きつけられたイグニスは、倒れた。


「ぁ、ああ・・・」

「イグニス・・・嘘だろ・・・。」

「確かにアナタは強いわ。でも、予め備えればこの通り。」


キャリーはほくそ笑んで、コメットやアルに顔を向ける。

アルは目を見開き驚愕して、コメットの表情が絶望に染まる。


「さぁ、どう?あれだけ縋ってた希望がすべて、打ち砕かれた気分は。」


邪悪に笑う。

全てが操り人形として捉える瞳は、完成した糧を見つめる。

目に光が失われ始める。

声も出ない、涙が溢れる。

心が壊れてゆく音が聞こえたような気がする。








「・・・なによ、その目。」


そう、思っていたのに、何故。

何故その目に、また光が灯っている────?


「教えてやろうか、アバズレ。」


アルはニヤリと笑う。

煩わしい、その笑みが。

何故誰も絶望しない?

何故───勝利を確信したように笑う?







「──────死ね。」

「──────しまっ」


地獄の底から静かに響くような声が届く。

同時に毒女は振り向いた。


既に起き上がった背徳の紅は、大剣を突き出していた。

回避を試みる毒女は、間に合わず。

脇腹を突き抜け、血を吹き出した。


「ぐっ、あ、嘘・・・!」


致命傷ではない。大量に血が出てしまうが、まだいける。

久しく感じた自分への痛みに顔を歪める。

だが、何故、あれだけの毒の暴力を受けて立ち上がれるのか。


だが、その疑問は直ぐに解消された。


「ふぅぅぅうっ・・・。」


イグニスの周りを見ると、大きな瓦礫。

その瓦礫は炎に包まれていた。


「アナタ、無茶苦茶するわね・・・瓦礫を壁にして、被害を最低限に抑えた。」


暴風に乗った毒の大半は焔により消毒。

僅かな毒だけが、イグニスを蝕んだ。

そう、それでもイグニスは毒を受けた。


「それなら、ダメ押しをするまでよ。」


毒女は手を伸ばす。

確かに立ち上がったにせよ、もう満身創痍。

立つことも、まだままならない。


イグニスは大剣を振り上げる。

その手首に、毒女は触れた。


「ッ────」


振り上げたはずの大剣を、落とす。

その手は、あらゆる猛毒を含んだ最悪の毒手。

触れただけでも蝕んで、想像を絶する苦痛を与える。


「あはっ!」


勝利を確信した毒女は、もう片方の手で喉に手を伸ばす。




「───触れるな、クソ女が。」


イグニスの手が、キャリーの手を払った。


「ぇ─────がっ!?」


まだ、動けるのか。

そう認識するより早く、イグニスの拳が顔面に叩きつけられた。

身体強化を乗せた拳。

罠や毒手を乗り越えた先の肉体は、物理に対してはあまりに無力。

血を吹き出し、歯を砕く。


「あ、ぐ、・・・ごっ!?」


更に、腹部に拳を叩き込む。

キャリーの体がくの字に曲がり、腹を抑えてよろける。


だが、まだだ───。

惚れた女を苦しめて、自分たちの刹那を奪おうとした女へ下す制裁としては、生ぬるい。


「立てよ。」

「ひ・・・!?」


イグニスは髪を掴み、無理やりキャリーを立たせる。

無慈悲に、怒りのままに。


殴り、蹴り、地面に叩きつける。






「ぁ、ああ、あ、あ・・・。」





─────


鬼神のような男の赫怒は、毒女をタダの人間にした。

久しぶりに感じた恐怖、痛み。

そしてなにより、自身が人形のように痛みつけられる自業自得。


「さあ」


だが、恐らく何をしても、この毒女が赦されることはない。

背徳の紅は、もう一度大剣を振り上げる。


────毒女が最期に見た光景は、鬼神の殺意。



「─────地獄を楽しみな。」



振り下ろされた大剣で、最悪の毒女の心臓を貫いた。

よって、毒女は完全に死亡した。








「────ふぅううっ、ぐっ、はっ」


イグニスは毒女の亡骸を一瞥し、大剣を引きずりながら、数歩コメットに向いて歩くが膝をつく。

回っている毒が、本格的に蝕んでいく。


「・・・・・。」


コメットが立ち上がり、ふらふらとイグニスのもとへ。

アルは手を離してやり、静かに見守る。


「・・・本当に馬鹿だな、お前。」


弱々しく、コメットも膝を着く。

イグニスとコメットはようやく、お互いの自分の意思で向き合った。


イグニスの手をコメットが握る。

キャリーによる毒はほんの僅か、解毒という形で治癒をされる。

イグニスの命を蝕む毒はもう、何処にもない。


「・・・結局、お前の力を使わせちまったか。」

「無茶するからだ、ばーか。」


お互いに苦笑する。

こんなになって、ようやく向き合えたこと。

我ながら自分たちは馬鹿だな、と笑い合う。


「ホントに、もっと早く気づけばよかった。

お前の手は・・・こんなにも、あったかいんだな。」


コメットの触れたイグニスの手は血に濡れていた。

そのまま、コメットは自身の頬に、その手を当てる。

血に濡れていても、気にする事はない。

この温かさは、彼自身のモノだと確信する。


「なぁ、イグニス。」

「・・・なんだ、コメット。」

「わたしもね、もっとみんなと居たいんだ。

それに、こんな気持ちにさせたのはお前のせいだ。


だから────。」




一度、息を飲んで、精一杯の想いを告げる。




「責任取って─────わたしの愛を背負ってくれないか?」





ああ、それならもう。

想いはあの時から変わらない。


「当然だ。」


頷く。


「誰よりも何よりも、俺はお前を愛している。

だから─────」


もう一度、不変の想いを伝えよう。


「────俺が、背負ってやる。」




「死んでも離してやるもんか。

後悔しても、遅いからな。」

「後悔なんぞするかよ。」


軽く言い合い、お互いの唇は、お互いの意思でようやく、繋がった。


二人の時間の中で、コメットの目から、嬉しさの涙が溢れ出る。

祝福のように、空から洩れた太陽の光は、とても暖かだった。








─────毒女、キャリーによる事件の全てが解決した。

負傷者は居るものの、全員生還。

帰れなかった者は誰一人いなかった。

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