背徳の紅"第四十三話、毒女"


「────ふふっ」



暗がりの廃施設。

絶望を糧に愉悦する魔女は笑みを零す。


湧き上がる欲を抑えようとした事は無い。

思いつく悪事を叶えてきた。


そんな彼女が、長年ずっと寝かせていた希望を絶望に変える機会を得た。


「可愛い彗星、のろいを外して貰えたのね。」


あの雨の日、二人の男女が楽しげに相合傘にしているのを見た。

長年、楽しみも怒りも悲しみも楽しみも抑え、ただ贖罪にしか走れなかった女の子。

そののろいを外してくれた男、そしてようやく解放されてめでたしめでたし。



────



素材も良ければ味付けも良ければヨダレも垂らすのは自明の理。

如何にも旨そうな匂いもする。

希望だったはずの現象が、まさか絶望にする為の過程でしかなかったとしたら────それを理解した時、それは何にも勝る甘露になる。


「それに、のろいを背負ったまま死んだら、拍子抜けだもの。」


無理して無理して無理して。

治して治して治して死ぬ。

そんな当たり前の死など絶望とは程遠い、せっかくの素材なのだから。

良い素材は良い素材なりに調理されて然るべきだ。

あらゆる意味で規格外に育てたのも、その一環に過ぎない。


「さ、迎えに行きましょうか。」


もう待ちきれない。

笑みを零したまま、立ち上がる。

今日はせっかくの、雨の日だ。

迎えに行くには、とてもいい日だ。








──────────









雨、それは音を隠し、光を隠す天候。

コメットは相も変わらず、雨の中お菓子やらパンやらを買いに来る。

前と比べて、買い物がとても楽しい。

軽くなったような、そして少し寂しいような。


少し足早に、路地裏も駆使して走る。








「楽しそうねぇコメット。何かイイ事でもあった?」








─────最悪な事に、誰よりも逢いたくなかった人間と鉢合わせてしまった。


「おまぇ・・・なんでっ・・・」


コメットは怖気が走る。

怖い、以前より遥かに怖い。

今まで付けていた首輪は、忌まわしく恐怖を和らげていたモノでもあった。

だが、今はもうそれが無い。


この恐怖を、抑えられる術がない。


目の前にいる女は最悪の毒女。

名をキャリー。

コメットで実験し、コメットに業を覚えさせ、コメットの価値観を歪めた絶対悪。

そんな女が、まるで待ち構えていたように目の前にいる。


「なんでって、酷いわね。

私が求めることはいつも変わらないじゃない。」


ああ、でも。

そう付け足して、指をとある箇所に指す。


「いつもの首輪はどうしたの?アレ、従順なアナタにはお似合いだったのに。」

「ッ・・・!」


思わずコメットは首を庇う。

アレをつけたのは自分だが、そうさせたのはお前だろう、と言う余裕などない。

言葉ひとつが、仕草ひとつが、コメットにとっては見えない毒になって蝕んでいく。


「で、でも、おれはしごと────」


なけなしの気力を振り絞って断ろうとする。

これを、気力と言うことすら儚い、恐怖から出でた"はやく逃げたい"という感情で断ろうとする。


だが─────


「がっ・・・!」


首を掴まれた。

掴む、にしては力が弱い。

拒むのは簡単なはずなのに、身体が言うことを効かない。

顔が青ざめる。


拒めるはずがない。

これが何なのか、コメットは誰よりも知っている。


「ぁ─────」


喉が焼けるように暑い。

痛く、痒く、熱く、痺れ。


「──────────────────────ッ!?!?!?」


叫びにすらならない叫びで、膝を着いた。

その叫びすら、喉の痛みが加速する。

痛い熱い痒い。

脳にその害によるストレスで可笑しくなる。


「馬鹿な娘、逆らえばどうなるか。アナタが一番知っているでしょう?」


キャリーは、自分の手をひと舐めする。

それは普通の血色の通った手では一切ない。

毒々しく、紫に変色した手。


「あらゆる猛毒の虫や植物を混ぜた砂で染み込ませた私の手。

竜族はともかく、魔族以下ならばこのように脳が逝っちゃうくらい痛むでしょうね。」


キャリーは苦しみ悶えるコメットに向けて顔を覗き込むように笑う。


「まぁ、それもアナタは分かっていたでしょう?あらゆる薬を作るなら、あらゆる毒も知る。特にアナタは身を以て知っていたはずよ?


私に対しては─────あらゆる毒に意味が無い特異体質、ということもね?」


まるで復習を促す教員かのように、思い出してもらうべく言うまでもないことを喋りかける。


「それにね?私は、アナタの首輪がなんなのか知ってるのよ。

そののろい、付けるよう仕向けたのは私だもの。」


今更、なんの意味もない過去の過程を邪悪に笑い、語る。


「何があっても働き続けて、あらゆる行動に自分を捨てて他人の為。

そんなこと、耐えられるはずがないもの。」


だからのろいを込めた。

自らそれを求めるのが、あまりにも滑稽だった。


「でもね?私はもっと面白かったのはそこじゃないのよ。」


だが、そんなものですらキャリーを満たすには足りない。


「そののろい、外す術があった。

それはアナタへの赦し。

特に、カッコイイ殿方からの告白は格別になる。


ええ、ええ、実にロマンがあるわ。

可愛らしいわコメット、まるでお姫様みたいで───────








──────自分から抜け出す心すらない、アナタらしい愚かさだわ。」



喉の痛みより、心中に突き刺さる毒。

それにより、今度こそ逆らう気力は、虫のように散らされた。


「ね?分かったでしょう?

アナタは、私に逆らえない人形なの。

アナタを誰より知っているのは、紅い彼でも、小さな兎でもなく─────私なの。」



他の誰でもない。

アナタを創ったのは私だから、と。

結論を築いて、考えることが出来ないコメットに言葉として叩き伏せる。



「アナタに頼みたいのは、私による犠牲者たちの治癒よ。

でも残念ね、我が身可愛さ、というやつかしら。

どちらにせよ・・・


─────犠牲者たちは人形以下だったらしいわね?」



残念、と。

その場から離れようとする毒女。

このまま離れさせれば、きっと自分は一時的に助かる。

あんな女に目をつけられたら、逃げたって仕方ない。

犠牲者たちは可哀想だが、自分には無理だ。



「ぃ、や、だ・・・。」


コメットは、痛みに苦しみながらも、キャリーの白衣を掴んだ。

掴んでしまった。それは最悪の選択と知りながら。

逃げることを、彼女は選べない。

これこそが、コメットという人物だ。










──────それから一日経った時。


イグニス=クリムゾンが、コメットの行方が分からなくなったと知ったのは


・・・マリアが泣きながら帰ってこないと知らせに来た、その時だった。


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