背徳の紅"第三十四話、報復"


地下施設、鉤爪のアジト。

大広間から更に地下へ。

そこは大理石で築いた聖堂。


そこは神聖だった。

そこは教会だった。

祈りを捧げ。

懺悔をし。

幸福を願う。

争いを憎しみ。

意思を慈しみ。

平穏を願う。

祈りては数多───対し、導き手はただ一人。




「・・・。」


言葉はない。

背徳の紅は、足を若干引きずりつつ、額から血を流し、身体中に傷を負ったまま、真っ直ぐ壇上の前まで歩く。


「─────お待ちしておりました。」


2mはある、大きな男は壇上にいた。

その右手は、多くの人々の生命を奪い。

代わりに、記憶を保管した。

死が無意味にならないように、新世界にて生まれ変わるために。


背徳の紅は鉤爪を見上げる。

あの惨劇から15年、漸く出逢えた。


「────はっ」


口角が上がりそうだ。

もう、何かが壊れてしまいそうだ。


「お久しぶりです、背徳の紅────いいや、イグニス君。」


鉤爪の顔は、ひたすら慈悲に満ちていた。

身体の震えが止まらない。

殺したい。

殺したい。

潰して燃やして斬って捨てて、粉になるまで刻んでやりたい。


「おお、そんなに傷ついて・・・。

震えているじゃないですか、怖かったでしょう?来なさい、抱きしめてあげましょう。」


バカを言え、早く殺して仕方ないんだ。

だから、我慢して震えているのに────ああ、ダメだ。

喋る余裕すらない。


「もう争いはやめましょう。

貴方の両親が、永遠の平和が、貴方を待っています。

英雄を下した君は実に立派になった。

─────私は、総てを赦しましょう。」


腕を広げて、優しく慈悲深く笑うのだ。

きっと、のだろう。


「────殺す。」


馬鹿らしいにも程がある。

つい、口が滑ってしまう。

殺意が、鉤爪に集中する。

殺意にさらされた鉤爪は、"はて・・・?"といった風に首を傾げる。

直ぐに、思い出したかのような顔をした。


「ああ、さては・・・ご両親だけを先に逝かせてしまったのを怒っているのですね?

すみません、15年も放置して────」


反省している顔だ。

だがそんな顔をしても、此方が知るような"反省"とは程遠い。




「生命を奪った次の日にはもう

────誰を救ったのか忘れてしまって。」


「────────。」




ああ、そら見たことか。

アイツは、あの男は、アレは、真性のクソ野郎なのだ。


─────訂正すべきだ。


そこは神聖ではない。

そこは教会ではない。


祈りを赦さず。

懺悔を赦さず。

幸福を奪われる。


争いを憎しみ。

意思を剥奪し。

平穏を強制する。


祈り手は数多────されど、導き手は存在せず。


居たのは─────己以外が総て、虚像と無自覚に断ずる醜悪である。

見るに堪えない、怖気が走る。

アレのせいで。

あんなやつのせいで。

過去を潰されたと云うのか─────。


「「────嗚呼、わかった。」」


地獄の底から唸る低い声と。

理解したつもりで歓喜する声。


「テメェはクズだな!!」

「君はバカなのか!!」


喜びに染まった笑顔を浮かべる鉤爪に。

遂にせき止められなかった狂笑で背徳の紅が襲いかかる。


完全にリミッターが壊れる。

イグニスが床を抉り前へ。

壇上の台を蹴り飛ばし、鉤爪に台が襲いかかる。

対し、鉤爪は自らの右腕で簡単に台を斬り裂いた。


身体強化を乗せたイグニスの剣に、鉤爪は右腕で対抗した。

床が沈む、狂笑と歓喜は交差する。


「すごい力だ!私も力には自信があったのですがね・・・!」


元々力があったのか、或いは身体強化か。

だが強化を使った自覚があるようには見えない。

人間性がもう壊れているから、望みの動きに一々強化がかかるのか。


────どちらでもいい、殺せるなら。


そんな異常など、イグニスにとっては関係ない。

鉤爪の抱擁で死した原因は正に、その異常から来る強化なのだろう。

そもそもそんな抱擁など、イグニスが受けるつもりなど無いが。



「────くはっ、はははははは!!」

「素晴らしい!ああ馬鹿よ、愛すべき馬鹿よ!あっははははは!」


笑う。

殺意の笑みと歓喜の笑み。

あらゆる音が聖堂に響き渡る。

周りを壊して、何がなんでも目的を果たすために。

殺したい相手を壊すために。

愛したい相手をあいすために。


打ち合う。

全力で、自分たちの全てを尽くして。

鉤爪は暗殺者でありながら、戦士に拮抗する。

互角の打ち合いを、彼らは演じた。


「っらぁあああッ!!!」


───そう、最初だけは。

鉤爪のガードを崩し始めたことを境に、その拮抗は崩れだした。


土俵がもう違ったのだ。

戦士の平均を超えた暗殺者たる鉤爪であっても・・・相手は背徳の紅、英雄を下した男。

負傷し、負荷により万全でなくても、リミッターが壊れた彼を、止められる道理はない。


「くっふふふ、嬉しい、ですねッ!!」

「がっ・・・!!」


それでも、反撃する。

鉤爪は笑いながら、イグニスの肩に右腕の爪を深く刺し込む。


「がっ、つ・・・ぁあッ!」

「素晴らしい、素晴らしいッ?

痛いでしょう!たとえ貴方でも!」


癖なのか、或いは無自覚からの不快感からか。

爪を刺し込んだまま、その爪をうごめかせて、イグニスの傷を抉る。

痛みに一瞬、顔を歪めた。


だが、そんなもので止まるはずがない────


「ぉおおおおッ!!」


歯を食いしばり、脚で思い切り鉤爪を蹴り飛ばす。

爪が引き抜かれた肩から血が吹きでるが、今更止まるイグニスではない。


身体強化・絶。

必殺の強化を発動し、接近。

ガードすらもう赦さない。


「死ねぇえええ!!」


放たれたのは袈裟斬り。

刃は深く、深く、鉤爪の身体を斬り裂いた。


「────ああ。」


肉を裂いて、骨すら裂いて。

血を吹き出し、肉を散らし、内蔵を散らし。

倒れゆく鉤爪は右手を伸ばす。

慈悲深い笑みは変わらない。


「貴方を愛して────。」

「だれが────」


鉤爪の最期に発しようとした言葉。

それを言い切る前に全開で掌から炎を発し、首から上を燃やし尽くした。


「────だれか呼吸していいと言った、屑が。」


吐き捨てるように言った。

見下ろす。

もう、あれほど焦がれた復讐の対象は物言わぬ肉塊になった。


もし、生きる覚悟がなければ、この時にはもう自分は虚無になっていただろう。

剣を背中に背負う。

復讐は終わった。

さあ、帰ろう。


歩きだそうと踵を返し、足を踏み出す。

なのに─────



「・・・ぁ? 」




────それを嘲笑うかのように、力なくその場で倒れてしまった。

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