背徳の紅"第三十三話、激励"


森に漂う霧。

青い霧は妖しい夢を誘う。


本来ならそのハズのもの。

しかし霧で包むのは、もう助からない瀕死のサーズデイだった。


「─────あぁ。」


瀕死で、弱々しい声で、しかし幸せそうな声で


「鉤爪、様・・・。」


あの鉤爪は何処にもいない。

妖しい霧が見せる、優しいゆめ

少年が見えるはどのようなものだろうか。

鉤爪が撫でているのか、抱きしめているのか。

いずれも有り得ない話。

それでも、それくらいしか少年にしてやれることは無かった。


「・・・おやすみなさい。」


アクシオの慈悲に溢れた声。

手で少年の瞳を閉じさせる。

それから、少年は遂に息絶えた。

優しいゆめに包まれながら。



「・・・この子は、物心がない時に連れ去られた子です。」


息を引き取るのを見届けたあと、アクシオは立ち上がる。

笑みは何処にもない、イグニスから聞いた印象とは大違いだ。


「環境が違えば、どんな子でもこうもなりましょう。産まれながら感性が違う子も居ますが、誰もがそうはなりません。」


そう言いながら、アクシオはアルの方を見る。


「・・・いつかは、終わるべきものでした。

ありがとうございました。」

「礼はいらんよ。救ったのはおまえだろ。」


もっと早く何か出来たのではないか、と思っているのか。

アクシオは悔いた顔をする。

それに対してアルはふっ、と笑う。

仰向けで空を見上げながら、言葉を続けた。


「安心したよ、イグニスから聞いた印象とは随分違う。

殺したのは私だし、おまえは人並みに慈しんだだけだ。いいだろ、それで。」

「・・・そう、なのでしょうか。

私はこんなに、穢れていますのに。」


アクシオの言葉に対して、アルはため息をつく。


「別に、穢れているかは知らん。

これからどうするんだ、狐ちゃん。」

「アクシオで構いません。

そうですね、旅に出ようかと。」


アクシオは何処か遠くみている。

濁った瞳は、ほんの少し澄んだように見えた。


「じゃ、アクシオ。難しいことは言わん。

────楽しくあれ。」


笑みを向けてアルは言った。

アクシオは微笑みを返し、歩いて離れてゆく。


青い霧はもう晴れた。

その足取りは、少し軽くなっているように見えた。


「さて、と・・・。どうすっかな、これ。」


矢が突き刺さっている脚を見て、また空を見上げる。

負傷はせいぜい応急処置しか出来ないが、このままには出来ない。


「・・・やるしかないっ・・・・─────ッ!!」


矢を一気に引き抜く。

歯を食いしばり、痛みが響く。

血が吹き出て、荒くなりそうな息を抑える。


「ったく・・・痛いな・・・!

ここまでやったんだ・・・あの馬鹿、帰ってこなきゃ殺してやる。」


アルはひとり、応急処置を開始する。

そして、身体を張って先に行かせた友の無事を祈るのだった。





────────






大広間。

胴体から鮮血を吹き出して倒れた英雄。

膝をつき、剣を杖にして倒れない背徳の紅。


どちらが勝利したのかは、一目瞭然だった。


イグニスはゆっくり立ち上がる。

深呼吸し、先に進もうとした時─────。



「・・・背徳の紅。」

「・・・んだよ。まだくたばってねぇのか。」


後ろから聞こえた、倒したはずの敵の声に空を仰ぎ、立ち止まる。

トドメを刺そうと思い振り返るが、血を大量に流し倒れ指ひとつ動かそうとしないレイゴルトを見て、また先へと目線を向ける。


「・・・行くのだな。」


レイゴルトの声に、反応はしない。

先へと進もうとする足が、無言の肯定を現している。


「・・・鉤爪を、カルロットを、頼む。」

「・・・。」

「俺は救えなかった。最期を与えられるのは、恐らくは貴様だけ────」

「────知るかよ。」


イグニスはため息をつき、レイゴルトの言葉を遮らながら歩き出す。


「お前の為に、戦うわけじゃねぇ。

奴は、俺が必ず殺す。絶対に変わらねぇ。」


歩きながら、言葉は続く。

この先を生きるには、まず果たすべきことがある。


「後はくたばるなり、生きるなり、好きにしろ。」


そう言いながら、イグニスは先にある階段へと向かい、降りていった。


残されたレイゴルトは、呟いた。


「・・・わからん男だ。」


どうしてトドメを刺さなかったのか。

理由は分からないが、生きてもいいのだと言われた気がした。

しかしもう、身体は動かない。

身体の内部も、外部も、損傷が酷い。


天井を見上げる。

もう今は、こうして独り言を言う他ない。








「─────ふむ。お前、そんなところで寝て楽しいかい?」


目を見開く。

知らない声なのに、自分以外の知らない存在を感知したその瞬間、忌避すべき存在の出現に警鐘を鳴らす。

不快だ。ともかく不快だ。


「─────何者だ。」


聞くべきことは他にあったかもしれない。

ただ何より、その存在がなんなのか、知るべきだと本能が動いた。


「ただの人間────と言ったところで、お前は分かってしまうだろうね。」


倒れているレイゴルトの前に、その存在はそこにいた。

真っ白な少年のような誰か。

それがただの少年なはずが無いのは、誰でも理解出来る。


「私は王の化身なりし者。

創造を司りし白き王の手によって産み落とされた者。

・・・これで、答えになるだろう?」


────王の化身。

つまり、この世界を司る、二色の王。

そのひと欠片が、目の前の存在。


「・・・確かに、俺の問いに対する回答としては文句はあるまい。

だが、此処に何の用だ。」


黄金の輝きなど、届くはずもないかもしれない。

それでも、気力だけで身体を起こそうとする、


「罪を抱えたまま、死ぬのは許されない。

自ら死を選ぶのは、なんだろうと愚かだろう。」


白い王の欠片は、すっと手を挙げる。

王の権限、その欠片。

動こうとする身体を、触れるまでもなく押さえつける。


「────ッ、く。

俺に、償う機会を与えると?

俺にまだ、戦えと言ってくれるのか・・・。」

「そう、だから・・・私がお前に命をやろう。

やり直すといい。お前は罪を背負い、奪い去られようとする命を守る側へと回るのだ。

・・・無論、断ると言うなら、お前の地獄行きを見送ろう。」


地獄行き────されどもう、今や本当の地獄すら生ぬるいかもしれない。

死ねば必ず地獄に行くだろう。

そんなものは、とうの昔に覚悟していた。

ならば、罪を償うべく、それ以上を地獄を求めるというのなら────。


「────良いだろう。

既に友との後悔も、奪った命も戻らない。

ならば、俺は・・・


悪を滅する死の光に───"悪の敵"になるとしよう。」


それを聞いた白い王の欠片は、目を開く。

風が起こるはずも無いこの空間に、息吹が吹き荒れる。

荒々しい生命の息吹。

それは英雄の身に流れ込み、生命を癒し、元の形へと戻す。

風は止み、その時にはもう英雄は身体が癒えていた。


「───嘆くといい、お前は私の配下となるのだ。」


竜に近し、魔族のひとり。

それが、王の欠片の手駒になる。

それは恐らく、嘆くべき事象なのだろう。


だが何より、今度こそ・・・。

無辜の民だれかの為に戦えるというのなら─────。


「笑止、俺は進んで地獄へ往こう。

レイゴルト=E=マキシアルティ、ここに契りは交わされた。」


────地獄すら生ぬるい生き地獄など、むしろ上等。

再び英雄は立ち上がった。

あの雄々しい眼差しは、以前の英雄と何も変わらない。


王の欠片に連れられ、英雄はこの場を去った。

再び英雄として裏の世界で戦う英雄譚は、また別の話である─────。

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